2009年6月

京の、尻たたき。(篆刻:京)

京
京都に住んだら、きっと疲れるだろうな、と思うのだが。時々訪ねるのはいい。

カミサンの両親が眠る大谷祖廟へ参るときは、八坂神社を抜けて行く。ちょうど
舞殿の前に夏越の茅(ち)の輪があって、生まれてはじめて茅の輪くぐりをした。
説明通りに左周りに3回、最後は「蘇民将来」と唱える。疫病封じらしいが、
夏を無事過ごすことが大変だったことの名残り。絵馬堂には、ひときわ大きな
篆刻「祇園」の絵馬があり、正款法とあるのは不明だが水野東洞の名も見えた。

さて、この日いちばんのお目当ては、南座そばSPACE KAGIYA(空 鍵屋)での、
「ちょっと あーと。な表具展」。山科千里さん、駒井佐喜江さん他の4人が、
並みの表具ではもの足りないと、表具の先生の指導で、掛け軸、屏風から
巻物までをすべて自作してしまった。山科さんは、オーガンジーに詩を書き、
裏打ちの紙の墨模様を重ねる大作。駒井さんは、四季の絵巻を山並みの
うねりにそって断ち落としてしまう奇想天外。半紙半分の裏打ちでさえ表具屋に
頼む私としては穴があったら入りたい思いで、身を縮めるばかりであった。

篆刻は、「京」。アーチ状の門で、上に望楼などのある形。京都に尻を叩かれて
痛いのなんの。電車で座ることも出来ず、奈良まで立って帰ったのだった。

『日本の難点』の、難点。(篆刻:難)

難
宮台真司の『日本の難点』(幻冬社新書)が売れているようだから、読んでみた。
「最先端の人文知の成果を総動員して、生きていくのに必要な評価の物差しを
指し示すべく、現状→背景→処方箋・・・で完全解説」とあるから、どれどれという
気になったのだが。新書でそんなこと出来る訳ない、という当然の結果だった。

緻密で博学(らしい)部分と、極端に感情的な論調、個人的経験が入れ替わり
立ちかわりで出現するから、えらく読みにくい。それは置くとして、どうしても
納得できないことを一点に絞れば、彼の持論が「日本は重武装×対米中立を
目指せ」だということ。重武装とは対地攻撃能力を中核とする反撃能力のことで、
「反撃できると相手に思わせることによって、相手の攻撃を思いとどまらせる
能力」だというのだが。思わせる、思いとどまらせる、と思いに期待をかける
甘さは、援助交際評論家の宿命か。米、ロ、中の重武装国家が北朝鮮の
核武装を制止できないこと、世界最大の重武装国家アメリカが9・11テロを
抑止できなかったことに言及せずに、何の完全解説かとあきれてしまうのだ。

篆書は「難」。白川静説では火矢で鳥を驚かす呪的行為らしいが、日本の難点を
完全解説という幻冬社得意の人を驚かす商法に乗った私にこそ難があった。

笑って、許して。(篆刻:遊方)

遊方
手帳を見たら、もう13年も前。大柳生の友人の家が神社建替えの役にあたった。
広告をやっているなら吉本か松竹芸能にコネがないかと、祭りの余興の相談を
受けた。予算を聞けば、そこそこの金額。遊び仲間に話をしたら、我々で芝居を
しようじゃないか、ということになった。古流の居合の高段者のIが座頭市で、
ちょっと剣道をやっていた私が斬られ役の浪人。やくざの親分やチンピラもすぐ
決まった。さあ、それから毎週毎週、土・日の練習を2ヶ月以上も続けたのだが。

素人芝居に問題はないが、やはりプロも欲しい、という声が出た。大阪の飲み屋で
誰か知らないかと聞いて紹介されたのが、月亭八方さんの弟子の遊方さんだった。
電話したら快く引き受けてくれて、さあ、その当日。午前中、先輩の高座のお囃子を
済ませて、太鼓を積んだまま車で来てくれたのだが。急いで飛ばしたら、阪奈道路で
スピード違反。ただでさえ少ないギャラが、罰金で消えてしまったという、トホホな話。

以来、申し訳ないとずっと気にかかっていたのだが。「家の光」という雑誌で、
「落語家生活20周年、《カジュアルラクゴ》で頑張っている」という3年前の記事に
出会った。写真もあの時とうって変わって、立派な落語家の風貌になっていた。
遊方さん、あの時はごめんなさい。「遊方」の篆刻を送りますので、笑って許して。

海の私、山の私。(篆刻:海)

海
この6月2日は、横浜開港150周年だった。横浜市のはずれ鶴見区で生まれて、
19歳まで東寺尾町。それから結婚まで南区。新婚時代は金沢区。子どもが
生まれる頃は中区。32歳まで横浜市民で、奈良に住むいまも、本籍は中区竹之丸。
奈良より横浜の方がかっこいい、と子どもに言われてそのままにしているのだが。

それまでの本籍は中区相生町6丁目。祖父の「さし重」という家具屋がそこだった。
グーグルマップのストリートビューで360度を見れば、大都会。航空写真では
100メートル足らずのところに、旧横浜正金銀行、現在の県立歴史博物館がある。
私が生まれる前、家族は生糸検査場(現・横浜第二合同庁舎)の前に住んだことが
あるし、カミサンの父が金沢で生糸関係だったから、結婚式はシルクホテルで挙げた。
この春、その周辺を歩いたが、ホテルは廃業し、一部がシルク博物館になっていた。

小学校高学年の頃、元日の朝、横浜港で日の出を見ようと、鶴見から自転車で
山下公園のマリンタワーまで行った。展望台で、お屠蘇が出てほろ酔いで帰った。
三渓園の海で立ったまま、澄んだ水の底のハマグリを足の指で採った記憶もある。

篆刻は「四海静穏」の一部で「海」。横浜で32年、奈良で31年。海の私だったが、
もう山の私になってしまった。海より山の方が落ち着ける。性に合っている。

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