2014年10月

お地蔵さんを下ろす。(篆刻:地蔵)

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我が西狭川町の北西の山の中に薬師堂という祠(ほこら)があり、ジョーセン地蔵が
祀られている。この地域の新西国三十三所のひとつで、ジョーセンとはお菓子の飴。
子どもの吹き出ものには「ありがたや薬師堂地蔵菩薩救いの誓いあらたなり」と祈り、
治れば飴を手に「お礼参りのうれしさに聞こし召されよ南無地蔵さん」と唱えたという。

この祠の瓦が落ちて建て直しが必要だが、高齢化で山道はつらい、登り口の畑を
借りて移転することになった。長老を祭主に地鎮祭をして、石垣、ブロックで整地し、
祠の土台が出来た。1.5メートル、1トンほどもある地蔵さんを下ろす大仕事になる。
僧侶が性根を抜いたから、ただの石だが粗末には扱えない。考えた末の方法は、
割った竹を番線で巻いて、ロープで細い山道を滑らせることにしたが、予想以上に
上手くいった。大小30の石仏は一輪車で。8人で午前中にはすべてを下ろし終え、
午後はすえ付け。ミニユンボの威力も借りて、地蔵を立て、石仏も整然と並べた。

つぎは大工の仕事で、11月1日には性根入れ。これで地蔵移転、薬師堂再建が
完成する。宗教施設だが町の文化遺産でもあるので自治会の事業とした。今回は
下ろす仕事だったけれど、あの大きく重い地蔵をあの高さまで運び上げた昔の人は
本当に凄いなァ。宗教心と、知恵と和の力だろうと、痛む足腰をさすりながら思う。

 

枕は、ふたつ。(篆刻:枕)

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数年前、重い椅子を抱えたまま階段から仰向けに落ちたのだが、首が梁に当たって
前歯が欠けただけですんだ。場所が場所なので、病院で脳のCTと首のレントゲンを
撮った。脳も首も損傷はなかったが、S字になっているべき頸椎が逆Cになっている
から、枕をしないで寝た方がいいと言う。医者の言うことには素直に従う人間だから
そうしたのだが、首の座りが悪いし、寝返りをうつと肩と頭の差が大きくて具合が悪い。

結局低い枕にしたが、最近朝起きてからごく軽い目まいがあって、午前中は少し不快
感が残っている。それがここ3日まったくなくなったし、かえって爽快なほど。その訳は
たまたま見たテレビのおかげ。ある医者が枕ふたつで寝ているというのだが、枕ふたつ
を重ねて高くするのではなく、ふたつの枕は頭を両側からはさむため。つまり、実際は
枕なしで寝て、ふたつの枕は寝返りしたときのため。これぞ、私にぴったりと早速に
試したのが大正解だった。3日続けて寝覚めが爽快なので、ここでお勧めする次第。

医者はスマホで下ばかり向いている現代人にと言っていたが。スマホに無縁の私も
下を向く仕事を長く続けているから、枕を高くするのは安心ではなく不健康の元になる。
「枕」の右側のインは、人が枕をした形。木ヘンがつくと枕をすることで、音読みはチン。
枕ふたつの健康法だからチンチン健康法と呼べばと思ったけれど、どう? ダメ?

 

不常識『篆刻講座』 6:これが、横書き用の名前の篆刻。

20141013133132.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像「敬志(20×20ミリを拡大)」
最近はさすがに見ないが、トラックの荷台に書かれた社名が左側は「〇△運送」なのに右側が「送運△〇」となっているのがあった。車は走るものだから社名も車の頭の方から書く、とでも思い込みがあったのだろうか。日本語の文章、表記が縦書きから横書きに変わる葉境期の戸惑いが見て取れた。

現代は、言うまでもなく圧倒的に横書き。スマホのメールを筆頭に、テレビのニュース、官庁の文書までが横書きになった。NHKの『100分de名著』という番組でも枕草子の一節までが横書きなのだから。いまだに縦書きなのは新聞、本、書道くらいではないか。さて、ここからやっと篆刻の話になります。

結論を言うと、横書き時代の篆刻、たとえば「敬志」という名前の印は、こうあるべきではないか。まず、文字の配置。従来の篆刻の常識では文章の縦書きが前提だから、右に敬、左に志なのだが。これは横書きのままに左から敬、志として、文章の方向と名前の順を揃えて、目線の混乱を無くした。さらに、文字が赤くなる朱文の周囲の枠は。一般には四辺の太さをほぼ均等にするが、私は太さを変えることが多い。下は安定感を出すためにやや太く、上は文字の上に伸びる線を邪魔せず、圧迫感を無くすために細く、また破ることもある。左右の枠は、従来の篆刻は文字が右からだから、右は太く、左は細くか破るかにするのだが。横書きの敬志だから、左の辺を太く、右の辺は細くまた破って、目線の流れに添わせている。偉そうに言うこともないけれど、これが横書き用の名前の篆刻。

私はメールにもハンコを挿入しようと「メルはん」というネーミングまで考えて、HPでもお勧めしていながら、その篆刻風画像は縦書き用のままだった。その不自然さに最近やっと気づいたことを大いに恥じている。しかし、まあ、縦書きでも横書きでも兼用できるように、文字の順はともかく、枠は左右変わらない太さで、というテもあるんですが・・・

 

写経は信仰、ではない。(篆刻:抜苦与楽)

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奈良・薬師寺の入口には「与楽門」と石に刻まれている。1939年から30年間ここの
住職・法相宗管長を務めた高田凝胤(ぎょういん)師の話(※)を読んで、びっくりした。

師は平安から明治以降の近代仏教までをニセモノとして、日本仏教1200年の歴史を
拒絶する。「煩悩即菩提、生死即涅槃、即身成仏など人間をバカにした話だ。人間は
アホだから生まれながら自由、平等といえばよろこぶ。しかし事実は違っている。仏は
その違いが真理だという。真理だから貧乏人がつまらんやつとはいえん。それをミソも
クソも一つの考え方をしたのが弘法大師。天才だ、仏教を独創的に転換したとほめるが、
仏教を日本人にあうようにしても、それが人間全体にあうのか。」 さらに「親鸞の仏教は
弱い人間のための教えで人間を軽く見ている。人間の本当の良さを開発しないで、ただ
そのままでよいというのは人間をバカにしている」と手厳しい。では薬師寺金堂建立の
ため写経運動をして浄財を集め、テレビで人生教訓を述べ、仏教書を書く師のお弟子
(高田好胤)はとの問いに「写経運動は信仰ではなく、単なる民衆運動。僧侶は口(ぐ)法
より戒律が大切。その自覚のない坊主がしゃべり、書く。これは堕落です」と断罪する。

カミサンと二人で写経108巻を収め、安田管長から輪袈裟をいただき記念写真まで
撮った私たちではあるけれど・・・薬師寺だけに良薬は口に苦く、耳に痛いものです。

※『仏音 最後の名僧10人が語る「生きる喜び」』 高瀬広居著 朝日新聞社刊

 

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