2015年10月

拝啓 篠田桃紅様 (篆刻:創)

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NHKで篠田桃紅さんのドキュメンタリーを見た。私の亡くなった母と同じ大正2年の
生まれで102歳。ディレクターにいきなり「取材で真実が撮れるなんて思い上りよ」と
カウンターを浴びせるのだから、まだまだ元気。「人間が桜を可愛いなんて」、「桜の
方が人間は可愛いと思っているでしょ」と、自然に比べれば人間は小さなものと、また
脳天に一撃。妻にならず、母にもならず、女独りを貫き創造を持続してきたのだから、
精神の強さは尋常ではないだろう。こういう女性は苦手だけれど、敬意は表したい。

5歳頃から書を初めて前衛書で高い評価を得ながらも、書から水墨の抽象画「墨象」に
転じた理由は。「文字は文字の決まりを越えられないから、いくら何をしてもアレンジで
しかない、書はクリエイション(創造)でないから。そこに収まりきれなかった」というが。

その論法なら、生け花は花のアレンジに過ぎない。写実は創造ではなく、抽象だけが
創造ということなのか。自らを律する理屈だから他に害を及ぼすものではないのだが。
細い3本の線で月のような形を書いて、題は「月」。文字としての制約を逃れたいのに、
自らがつけた題で月と読む(見る)ことを強いているのが気になる。余計なお世話だが、
その偏狭ゆえにもっとおおらかで自由な何かを見失うことはなかっただろうか。篆刻と
いう「書体のアレンジ」でも、まだ新しい何かが創造できると、私は信じているのだが。

蛇の目さん、助かりました。(篆刻:端)

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夜はもう15℃以下に下がるので、掘りコタツの布団だけを掛けている。この布団は
コタツが大和間の畳一枚分なので長さ3.2、幅2.4メートルと大きい。このカバーを
カミサンが縫い終わり、次の暖簾にとりかかった時、ミシンのコントローラの差し込み
プラグの先端、プラスチック部分が粉々になった。一部は熱で溶けている。あんまり
酷使したからだろうが、他は何ともないのでメーカーのブラザーに問い合わせたら。

「もう部品がありません」のひと言で片づけられた。嫁入り道具で持ってきた足踏みの
ミシンだから本体は骨董品並みだが、モーターとコントローラを付けて機嫌よく働き
続けてくれたもの。新品に替えるのも忍びない。そこで、粉々のプラスチックを見れば、
JANOMEの文字がある。コントローラは蛇の目ミシン製だったのだ。そこでメールで
品番を伝えると、電話をくれて「あります、送ります」の返事。これで一件落着だったが。

さて、郵送されたコントローラのコードをモーターに差し込もうとしたら、プラグの穴が
丸い。モーターの方は平ら。品番は同じなのにと電話すれば「途中で端子が平らから
丸に変わったのに、確認せず済みません。すぐ送り直します。返送用の封筒も同封
しますので」と誠実に対応してくれた。もう、これで安心。篆刻の「端」は、金文で雨乞い
する巫女の姿だが、ミシンのコードの3本端子にも見える。だから篆書体は面白い。

知能は、まだまだ結晶する。(篆刻:結)

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吉田脩二先生は『ヒトとサルのあいだ 精神(こころ)はいつ生まれたのか』(文芸
春秋)で人の未来へ大きな希望を与えてくれた。私の病気にも最適な薬を処方
してくださり治ることができた大恩人だが、現在は著作と絵画(とゴルフ)で充実の
日々を送られている。毎秋、大阪で絵の個展をされるので先日もお会いできた。

今年は桜島、八ヶ岳、御嶽山など山の絵の集大成で、おおらかな姿と自由闊達な
色でまた元気をいただいたのだが。絵は歳をとっても上手くなれる、という話から
「流動性知能と結晶性知能」に話が及んだ。流動(性)知(能)は計算力、暗記力、
集中力など受験に反映されるような知能で18~25歳くらいがピーク。結晶知は知識、
知恵、判断力など経験で蓄積し磨かれるので、年齢とともに伸びて60代頃がピーク
だが下降は流動知よりずっと緩やか。脳細胞の数は加齢によって減るが結晶知が
伸びるほど細胞の分枝が増え、連動して動き出す。しかもこのネットワークはやる気、
面白さを感じてドーパミンが増えるほどつながりやすく、脳のどこかが阻害されても
バイパスルートができやすい認知的予備能になるという。もちろん結晶知はただ漫然
と歳を重ねるだけでは伸びない。仕事でも遊びでも構わない、やる気や快感をもって
取り組めるものがいい。吉田先生には絵が、私には篆刻がある。あなたは何だろう。

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