2015年11月

山茶花は、サンサカだった。(銅印:茶)

2015113011363.jpg
昔、女性下着のCMで「素肌にきいてみてほしい。」という訳の分からないナレー
ションを書いて、スーパーにも入れようとしたが、漢字は「聞いて」か「聴いて」かと
迷って、国立国語研究所に電話で問合わせた。「日本語は絶えず流動変化する
ものなので、お答えできない」と言われて、ならばと「聴」にしたような記憶がある。

我が百野草荘の山茶花は胴回り40センチほどの大木だが、満開も過ぎて根元は
散った花びらでピンク一色になっている。「山茶花」はサザンカなのだが、本来は
漢字の通りサンサカと呼んだと、毎日新聞の『余禄』にあった。サザンカの英語名も
言い間違いのまま「sasanqua」になっている。「舌つづみを打つ」が「舌づつみ」と
間違えたりする、音の入替りをメタセシスというらしい。「新し」は古くは「あらたし」
だったが、「あたらし」になって定着してしまった。正しさよりも言い易さの方が強くて
拡がりやすいのだ。(中国では山茶はツバキを指し、サザンカは茶梅というらしい)

隣りのOさんは「体」のことをいつも「カダラ」と言う。カラダと言いにくいそうで、笑い
ながら真似をすると「カダラ」は確かに言い易い。もう10年もしたら、この狭川地区で
体はカダラになり、50年もたてば日本中がカダラと言うようになるのが楽しみだが、
それまで生きていられない。カダラ、いや体も流動変化し、ついには消滅するから。

BPPV(回転性めまい)、予防法。(篆刻:耳)

20151116171950.jpg
昨日は名古屋からK夫妻が篆刻教室に来る日だったが。朝起きたら、ぐるぐる目が
回った。去年夏のBPPV(良性発作性頭位めまい症)の再発だが1分ほどで収まる。
ふたりは2、3文字のデザインも出来、彫りも心配ないので、キャンセルにしなかった。
が、その後2度もめまいがしたので、ベッドで横になった。着いたKさんは「自分にも
経験があるのでつらさが分かる、この機会に飛鳥に行ってみる」と言ってくれた、らしい。

夕方少し楽になったので、Kさんにお詫びのメールを入れ、改めてネットで調べてみた。
原因は内耳にある耳石が剥がれて、同じ内耳の三半規管に入り、頭を動かす時刺激に
なるという。枕が低く、寝返りが少ないと、耳石の粉がかたまりやすくなるとあり驚いた。
私はS字であるべき頸椎が逆C字なので、低い枕ふたつの間に頭を置いて、枕無しの
状態で寝る。両側の枕は寝返りをうつ時のためだが、右向きで寝ることが多い。これでは
耳石を溜めているようなものだったのだ。耳石の浮遊物を戻すエプリー法もあるらしいが、
NHKの「ためしてガッテン」で紹介された予防法があったので、昨晩と今朝やってみた。

枕を高くして、首を上、右、上、左に10秒ずつ向ける。これを寝る前と起きた時10セット
だから簡単。きょうは運転して猫の予防注射に行けたし、Kさんからは「おかげで飛鳥の
小旅行を楽しめました」とメールをもらった。2文字のデザインができたら送ってください。

不常識『篆刻講座』 9:近藤正臣さんへの、新「正臣」。

2015116115725.jpg「正臣(20×20ミリ)」
油絵は気に入るまで何度でも塗り重ねられるそうだが、ほとんどの創作はどこかで踏ん切りをつけて作品として仕上げなければならない。篆刻のデザインをして彫らずに翌日見直せば、きっとどこかを直したくなるけれど、それを延々と続けてほとんど彫れない人もいる。莫山先生も、上手いの下手のと考える前に、とにかく数を彫れとおっしゃっていた。

もう15年以上前だが、大阪の茶屋町画廊で初の個展をしたら、東京の友人が下北沢のギャラリー「思無邪」を紹介してくれて、そのままの勢いで共同展めいたことをした。そこで俳優の近藤正臣さんが「正臣」を注文してくださった。広告の現役バリバリだったから、私の篆刻でいいのかなと思いながらも一所懸命に彫った。いま私は広告から篆刻に軸足を移したが、近藤さんも大河ドラマや朝ドラの常連といっていいほどの名脇役になられた。テレビで拝見するたびに、あの旧作「正臣」がクッキリと浮かんでくる。それが「あさが来た」で毎朝ともなれば恥ずかしいやら苦しいやら。いまの近藤さんにいまの私がどんな「正臣」を彫るのか、彫れるのか。彫らずにはいられなくなった。それがこれ。事務所を検索して、お便りを添えてお送りした。

早速マネージャーの方から丁重なメールをいただき、「近藤に伝えたところ、下北沢のことも覚えているが、NHKの正月スペシャルや大河ドラマの収録で忙しい。篆刻を見てもらうまで少し時間が欲しい」とのことだった。そして、昨日の午前中、東京からの電話に出てみると「近藤です。すてきな篆刻をありがとうございました」と、さっきテレビで聞いた声。為書きに書いた「正の字は、城郭に囲まれた街を攻めることだったのですか」、(そうです、攻め勝った方が正義。勝てば官軍ですね)、「昔の作は昔のこと、これは新しい感覚ですね。これからこれを使います」、「袋物が好きなので、この袋もすごくうれしい」と、私とカミサンの気持ちを真っ直ぐに受け止めてくださった。喉に刺さっていた大骨がスッと溶けて消えていった。

さて、久々の不常識「篆刻講座」が、とにかく数を彫れ、旧作が恥ずかしければ新作を彫れと、常識的なことばかりになったが、頼まれてもいないのに彫って送りつけるなど不常識の極み、というお話です。

ページ上部へ