2017年4月

不常識『篆刻講座』 11:文字を引きずり廻せ。

2017424174251.jpg  「篆刻:久乃(12ミリ角)」
ずいぶん久しぶりの「不常識篆刻講座」だから「久乃」なのではないけれど。書道をされている娘さんへ、お母さんから落款印二顆(か・篆刻の数)セットのプレゼントのご依頼だった。作品に署名し、その下に白文の名前を、さらに朱文の雅号を押すことが、作品の完成=落款の作法。電話でお聞きすると、女子高生ながら応援団で、学ランを着て高下駄で通学しているという。大きな応援旗を持つ勇姿が地元の新聞にも載っている。書も豪快ですかと聞けば、確かに思い切りが良いという。篆刻のデザインは、それで決まった。「こころの芯棒として直線を活かすこと。直線以外は柔らかい、優しい曲線で、娘らしさを出すこと。」

「久」は人の後ろを棒状のもので支えて、いく久しくと願う文字。「人」の篆書体は人間の側面で、膝を少し曲げて、腕を前やや下に伸ばした形だが、第一画を斜めの直線にする。「乃」の篆書体は弓の弦をはずした象形で、弦のない弓状の曲線なのだが、あえて常用漢字のようにして、第一画の斜線を久のそれと平行にした。ここで当然、「ひとつの篆刻に篆書体と常用漢字が混ざるのは違反だ」という声があがるだろう。

いや、もうそんな下らない話は止めよう。我々は21世紀の日本に生きている。漢字、ひらがな、カタカナばかりか数字、アルファベットも使いながらコミュニケーションしている。そんな中で篆刻だけが篆書体を、それも甲骨文だけ、金文だけで構成せよをというのは時代錯誤、ナンセンスの極みではないか。「久」と「乃」という文字のすべての可能性を全部並べて、比較検討する。直観でも選んでも構わない。「乃」から生まれた「の」を選ぶ自由だってある。そうして選んだ文字の首根っこをつかんで、自分の方寸の世界に引きずり込む。そうして自分だけの何かを構築する。文字に振り回されてはいけない。主体である自分が文字を引きずり廻すのだ。そのためには、文字の生い立ちや本来の意味を熟知しなければならない。それをこの現代にどう生かしてあげようかと真剣に考えなければならない。そうすることでしか、自分らしい、自分だけの篆刻にならない、と私は思う。

『都会を滅ぼせ』は、正しい。(篆刻:滅)

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毎日新聞で倉本聰さんがコラムの最終回で『都市を滅ぼせ』(中島正著・双葉社)
を日本人必読の書と言っていたので、読んでみた。以下、順不同で抜粋する。

「都市を滅ぼさないと人類が滅ぶ。都市はあらゆる公害の元凶で、諸悪の根源」 
これが前文。「どんな田舎も二次・三次産業があり、その従事者が住んでいれば、
そこは都市」「近代化は都市化であり、便利、贅沢、安逸の追求、繁栄への進歩」 
「都市は貨幣経済の魔力で拡大する」「都市は活動のため森林、農地、農業人口、
農産物、海岸、水産資源、エネルギー・金属資源、酸素・水、電源、水源を収奪し
破壊する」「収奪して使用の後、二酸化炭素、排ガスとなり、オゾン層を破壊し、
汚排水とゴミを出し、それでも商品は氾濫し、過剰サービスを生み、ついに戦争の
元凶となる」 では、真の革命は。「都市の解体=不耕貪食の解消」しかないという。

都市を滅ぼす方法は安藤昌益の「万人直耕」、福岡正信の「国民皆農」だが、彼は
搾取機構の国家を認めないので「民族皆農」、大自然の掟だけを唯一の規範とした
縄文時代のごとき自然循環型有機農業だという。農具は野鍛冶による鎌一本だけ、
自給自足の耐乏型孤高の人間が世に満ちれば革命は成立する。「人々よ、都市
は滅ぶとも人類は滅ぼしてはならない」という主張は、すべて正論で反論できない。

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