2006年2月

完全な悟り。(篆刻:得阿耨多羅三藐三菩提)

あのくたら

これが、「得阿耨多羅三藐三菩提」。原語を音写して、意味は「完全な悟り」。
パソコンの外字で探すのも手間だから、徐先生が親切にお手本を用意して
くれているはずもない。先生がこの印を見たら、「これのどこが徐三庚なんだ」と
怒鳴られる。私としては、確かに自慢できるものではないが、
生徒が必死に先生の真似をしようとする、そのけな気さには涙が出る(くらい)。

簡単な文節から始めた篆刻般若心経だから、長くて難しいのは後回し。
最後に表題の「摩訶般若波羅蜜多心経」を彫り終わったのは、
親父が亡くなった翌年も半ばを越えてのことだったと思う。
全53顆(か・篆刻の個数)、捺すのも大変なのだが、勢いとは怖いもので、
兄弟に配り、額装して奈良薬師寺の高田好胤管主にも直接献納した。

この「篆刻般若心経」は、近いうちにホームページでお目を汚すとして。
話はやっと「守破離」に戻ります。これを彫り上げたら、けろっと徐三庚先生の
作風に興味が無くなってしまった。私にとって、「守」の時代は
終わったらしいのだが。その後の私は「破」なのか。いまは「離」なのか。
自分で分からないから、困る。いや、正確に言えば、悟れないから面白い。

生ぜず、滅せず。(篆刻:不生不滅)

不生不滅

「不生不滅」は、ご存知の方も多いだろう。般若心経の一節。
「是諸法空相」 真理は空である、に続く、生ずることも、無くなることもない。
ところが、ちょうどこれを彫っている頃、私の父が滅した。
そのことによって、私のなかに、ひとつの野望が生まれた。
何のことはない、般若心経の意味なんて、ちっとも分かっとらんのです。

篆刻をされる方には覚えがあるでしょう。やたらに周りの誰かをつかまえて、
「ねえ、あなたの名前、彫ってみようか」「ねえ、ねえ、彫らせて」というやつ。
それをひとしきりやると、次は何かのテーマが欲しくなる。
それが、私の場合は般若心経ではあったのですが、
あの260文字を全部彫るなんて大それたことは微塵も考えてもいなかった。

「不垢不浄」「度一切苦厄」とかの文節をつまみ食い。画数が少なくて、
徐先生の作品に似た文字がある、とかで選んでは、彫っていただけだもの。
それが、全部彫ったら親父の供養になるかも、と思いついてからが大変。
見たこともない字が多いでしょう。しかも、次からつぎへ、「無」の行列。
「とくあーのーくたーらさんみゃくさんぼーだい」なんて、どうすりゃいいのよぉ。

守り、破り、離れる。(篆刻:守破離)

守破離

「守破離」は、しゅはりとも、しゅばりとも。武道で言われることが多いのだが、
お花でも、俳句でも、フラダンスでも、習い事は「守破離」だそうな。
まず先生の教えをただひたすらに守る。私の場合は、徐三庚先生の教えと
おぼしきものをひたすらに真似たということ。それを続けるうちに、先生の教えが
窮屈になってくる。どうしても教えからはみ出る思念が、ふつふつと湧いてくる。

ある日思い切って、先生の教えを破る。いや破らざるをえない日がくる。
破ったのはいいけれど、それはただの破れかぶれ、かもしれない、とも思う。
それから、あぁ先生の言うとおりやってりゃ楽だったのに、
なんて言いながら、とぼとぼ歩いている。と、突然、ぱっと目の前が開ける。
それが、「離」ということ、らしい。これでめでたく、自分流の開眼(かな?)。

何を隠そう、私は剣道をやっていた。四段の試験を10回近く受けた。
昇段をあきらめて、考えた。そうだ、何人かの先生の教えを守ろうとして、
ただ混乱して、迷うばかりで、「守」すらできなかったんだ、と気がついた。
「えっ、篆刻の話ほっぽり出して、いきなり剣道の言い訳か」
左様。これを白状しておかないと、篆刻の話も腰がすわらない、のでござる。

貧しきを、学ぶ。(篆刻:學貧)

学貧

「学貧」は、がくひん。「赤貧」といえば、「貧」を彫ったなあと思い出したので、
旧作を引っ張り出して、埃を払って捺してみた。
何かの本で拾った言葉だが、貧しさのなかから、何かを学ぶ。貧しさのなかにこそ、
学ぶものは多いのだぞ、かな。小泉さんの所得格差の言い訳じみてるけど、
「お金が無いから本が買えない」なんて言ったら、この言葉でゴッツン!だな。

篆刻を始めて鑑賞の余裕がでると、作品の好き嫌いを感じはじめる。
あ、何だかいいなと思うと、やっぱりその先生の作品だったりする。
私の場合は、中国の徐三庚(じょさんこう)という方が、その先生。
1826?1890年だから清の時代。明治の日本篆刻界に多大な影響を与えた、らしい。
少なくとも、私に大きな影響を与えた、ことは紛れもない事実。

とにかく、持っている篆刻関係の本から、徐先生の篆刻をすべてコピーして、
索引つきの「私製徐三庚篆刻字典」をつくって、真似しまくった。
彫りたい文字がなければ、扁と旁を合成して、無理やりにでも真似をした。
だから、「学貧」は、80%以上が徐三庚先生の作。道理で見事、と思いました?
「あれ、前回の話と違うじゃないか」というツッコミは、正しい。・・・でもね。

赤い心。(篆刻:赤心)

赤心

「赤言白心」は、7?8年を経て、この「赤心(せきしん)」に変化した。
意味は、ちゃんと広辞苑にも出ている。いつわりのない心、まごころ、とある。
誰かがこの作品を見てくださる。そばに書いてある意味を読む。
そして、私の顔を見る。「エエッ・・・」という顔をする。いやいや、それは誤解。
「赤心」を彫った私が、まごころの持ち主だなんて言ってませんよ。

あきらかに変化はしたが、進化したかどうかは、分からない。
自分では進化だと思っても、こんなモンは、篆刻ですらない、という方はいる。
特に、日展を頂点と思い信じて、とにかく先生のおっしゃるがまま、
いつの日か、日展入選作家になることを願う方にとっては、
これは篆刻ではない。単なる文字デザイン、レタリングである、らしい。

しかし、ものをつくるとは、と大上段に構えるつもりはないが、
その道で前に進もうとするのか、誰かの後を歩むだけで充分なのか。
他からの評価などはさておいて、この自覚の差はすこぶる大きい。
これが、私のいつわりのない心だが、実際は「赤心」どころか赤面ばかりだし、
赤心も度が過ぎると「赤貧」に限りなく近づくこともよく分かっている、つもりです。

赤い言葉、白い心。(篆刻:赤言白心)

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「赤言白心」は、せきげん・はくしん。10年ほど前に、大阪の茶屋町画廊で、
楽篆堂(らくてんどう)が初めて篆刻の個展をしたときのタイトル。
正直な言葉、真っ白な心、という叶いもしない願いを込めたが、
「赤言」も「白心」も辞書にはない。篆刻としての独自性にも乏しいが、
赤と白だけの篆刻のテーマとしては上出来だ、と思っていた。

あのサルバトーレ・フェラガモの社長が、日本で仕事を終えて、
何か日本的なものをと、あちこち歩いたが、何も求めずに、
A氏の事務所に戻ってきた。そして、壁を指さして言った。
「ここにあるじゃない」 
それが、この「赤言白心」の額だった。

その額は、いまでも彼女の別荘に飾られている、そうだ。
A氏には、意味を十分説明したつもりなのだが、うまく伝わらない、という。
意味はなんだか解らないが、彼女はそれを日本的な何かとして、
そばに置いてくれている、らしい。しかも、くつろぐべき別荘に、だ。
「印」だから、インテリア。・・・という駄ジャレの方が解りやすかった、かな。

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