2006年8月

水に、流す。(篆刻:流水桃華)

流水桃華

きのう、徳島県美馬市で、流しソーメンの世界最長記録が樹立された、という。
100人がかり、竹200本、1,527メートル。ソーメンを流すのに、2時間50分を要した。
その頃、我が庭でも、ソーメン流しが全長6メートル、総勢6人で盛大に開催されていた。
ホースから流すのが水道水で、氷をいくら入れてもキリッと冷えないことを除けば、
まことに風流で美味。ソーメン流しなんてと馬鹿にしたことを恥じた。夏の恒例としたい。

大阪のパーティーで、酔うと始まるのが「奈良のあんたの家で、焼き物したい」という話。
大阪に陶芸教室はいくらもあるのに、と思いつつも、お互い酔ってるから、まとまらない。
じゃあ、我が家でソーメン流しでもしながら、話を聞こう、ということになった。
酔う前に初めてちゃんと聞いたら、お客人はどうも本気らしい。「登り窯の作り方」を
ネットで探してプリントをご持参。場所はあるけど、いきなり登り窯なんて、無茶だなあ。

さりとて、ガス窯、電気窯はいや。小林熊さんが竹炭を焼いている窯で、ダメ元でやろう、
ということになった。人一倍横着な私としては、ソーメンを流しながら、焼き物の話も
水に流そうという魂胆だったが、チェーンソーで薪づくりからやることに、なってしまった。
篆刻は「流水桃華」。あいにく流水素麺という作品がないので、昔の除先生の真似っこを。
誠にお手数ですが、「桃華」の部分を「そうめん」と読み替えて、ご鑑賞賜りたい。

巡りめぐって、節(ふし)だらけ。(篆刻:巡)

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数えてみれば、プロダクションは、ハイエスト・ハイを入れて5社。代理店2社。
フリーは2回。自分に最適なクリエイティブの形を求めて、といえば聞こえはいいが。
あまりに多い紆余曲折、ワインディング・ロードだった。Aというプロダクションの頃、
代理店の若い人と飲みにいった小さなバー。マスターがマナーにうるさい。足を組んだ
膝がカウンターより上がるたびに注意される。隣と話すのに、体が横を向いてもだめ。

飲んだ気がしないので、店を出た。「客を客とも思ってないよな」と言ったら、すかさず
「田中さんもそうですよ」と言われた。昇龍が、ある日潜龍になる。土竜(もぐら)にもなる。
そんな私の周りの人間は、たまったものではない。死んだ遊も、同じ会社でハラハラの
連続だったと思う。まあ、遊とはお互い様なのだけれど。いまは、山里のSOHOで、
広告を続けさせてもらい、篆刻の注文を下さる方もいる。ストレスも無い。ありがたい。

篆刻は、今年の年賀状の「巡」。「なんとまあ、節(ふし)だらけなり、干支(えと)五巡」と
感慨を添えた。このブログは、「あ、満60歳の誕生日に、ちょうど60回になる」と
気づいて、書き続けた。きょうが、その日。書きながら、何度もカミサンに助けられたと、
いまさらながら思い知った。カミサンの名は、節子。「節だらけ」は、「節子だらけ」と
読んでいただいても構いません。ただただ感謝。引き続き、よろしく、ね。

こんな自分だった、とは。(篆刻:自分)

自分

漢字の成り立ちは面白い。文字自体、中国の皇帝が占いなどでの神との交信を
記録する道具だったから、庶民の暮らしや表情は見えない。が、現代の人や世の中が
忘れてしまった、神や自然への畏敬が生き生きと形になっている。そんなあれこれを、
篆刻と雑文でぼちぼち続けていこうとした、このブログだが、いつしか回顧談に。
現代どころか、埃をかぶっていた自分の発掘作業になった。これが、自分か。

昭和21年生まれ。おそらく広告を職業にするために大学や学部を選んだ最初の世代、
だと思う。オリンピック、万博を目の当たりにして、広告が世相をリードする時代を生きた。
日本人をパン食に変える、という藤田田の言葉を、直接聞いた。コンビニという言葉も
まだないローソンの立上げに参加した。得した覚えもないバブルと崩壊、神戸の震災。
そして、リストラ。同じ世代の多くが、早期退職で広告界を去った。指一本で残る、自分。

篆刻は「自分」。「自」は、人の鼻の象形。古代、鼻を叩いて、その鼻血を社(やしろ)に
塗る犠牲の方法があったという。「分」は、刀で物をふたつに分けること。
いつでも自分に正直にと思って、分かれ道のどちらかを選び続けて、ここに至った。
自分では、欲得に流されず、シンプルに歩み続けてきたつもりだが。他の人からは、
「あ、またあいつ角にぶつかった。ほら、鼻血が出てるよ」ってなことかもしれない。

神戸、ものよろこび。(篆刻:喜)

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大学時代にコマソンを書いて、地方ラジオ局のコンテストで賞金をもらったりした。
それを入れれば、広告歴は40年に近い。ああ・・・。マクドナルド・ハンバーガーの
無料カードの1枚にも思い出はあるが、もっとも楽しかった広告と聞かれたら、迷わず
大丸神戸店の新聞広告「神戸ものよろこび」シリーズを挙げる。関西では、子供に物を
あげても、うれしそうな顔をしないときなどに、「ものよろこびせんやつやなァ」と言う。

店長が、この言葉を知っているかが分かれ目。運よく知っておられて、採用となる。
毎月、自信の商品を持ち寄ってもらう。神戸の大丸ならではの4点に絞り込んで、
新聞全10段の田の字割に置いた。フランス海軍のシャツ、明石タコの姿揚げ・・・、
思い出しても楽しい。嫌みにならない程度の薀蓄コピー。イラストは、デザイナーの
東学さんが多彩なタッチで。写真は福田ノブさん。物撮りでは日本トップクラス、だった。

10回続いたが、実質40点の制作。売ることより、神戸大丸の好感度アップを狙った。
月末の金曜の夕刊に掲載。月曜には、土日にそれがいくつ売れたかファックスが入り、
成績も良かった。神戸大丸では、1987年のストア・コンセプト「新しいのに、懐かしい」が、
いまだに大事にされている。震災で店舗を建て替えるときのコンセプトにもなった。
コピーライターとしてお役に立てた。篆刻は「喜」。鼓を打って、神を楽しませること。

いつまでも、白いタオル。(篆刻:素)

素

遊は、金曜の夜、大丸神戸店のXマスセールの新聞広告の入稿を済ませて帰宅。
そして鈴鹿に向かった。掲載日が告別式。ゲラ刷りをお棺に入れた。年が明けて、
ハイエスト・ハイは、もうひとりでやって行こうと決めて、少ない社員にも辞めてもらった。
ひとりになった大阪堂島の会社。めったにないが、大阪に用があったカミサンがいた。
そこに電話がかかってきた。「去年の大丸の正月広告が、朝日広告賞に入った」と。

「1月1日の、白いタオル。」 ボディ・コピーは「平成11年1月1日、いいことが始まり
そうな数字が並んだこの日。そんなうれしさを、あなたなら何で表すでしょうか。」
「たとえば、1年で初めて使うタオル。普段よりちょっと上等な、真っ白な新品にしてみる。
肌をぬぐう。シャキッとする。おまけに「よし!」とか「さあ!」とか感じたら、1本のタオルにも、
元気や勇気や励ましなんかがしっかり詰まっていることに気づくでしょう。」

「どんな時代でも、あるものに気持ちがすっと重なり合った時の、あのうれしさこそが、
人を幸福にするエネルギーなのですね。」 準部門賞だったが、まったく賞などを
意識せず、遊を含むスタッフみんなが気持ちよくつくった広告だったから、うれしかった。
篆刻は「素」。糸を染めるとき、堅く結んだ部分が白く残ること。モノクロなのに、
朝の爽やかな日差しを感じさせる白いタオルを撮ってくれたノブさんも、もういないが。

そして、風になった。(篆刻:風)

風

遊は、大学には入ったが、3年になる前に「やめて広告をやりたい」と言い出した。
ちょうど企画書やコンテづくりにアシスタントが欲しかったので、手伝わせた。
ゲーム世代だから、マックも何とか自力で覚えた。広告制作会社ハイエスト・ハイを
ふたりでスタートさせた。しかし、大事な仕事のデザインは外注せざるを得ない。
企画に参加させても、お前にはまだまだと押さえつけてしまうことが多かった。

遊の給料とオフの時間のほとんどは、バイクとレースに使われた。チームの名は、
「ハイエストハイ・レーシング」。しかし、よく転倒した。年3回の骨折もあった。
普通の会社なら、とっくにクビだ。仕事かバイクかと、問いただすことが何回もあったが、
親子ゆえの甘さ、あいまいさがあった。平成11年12月5日。剣道をしている道場に、
電話がかかってきた。「遊が鈴鹿のレースで事故を起こした」と。

レースをする以上覚悟していたものの、不思議と「死」までは考えなかった。しかし、
病院のロビーでは、バイク仲間が泣きくずれていた。医者の説明がもどかしい。
結論はすでに心肺装置をはずしたという。99年鈴鹿選手権シリーズの最終戦だった。
10時のスタートから6分後、大きなカーブ200Rでの単独事故。27歳9ヵ月の命。
戒名「温好院道風日遊信士」。スズキのSP250に乗ったまま、道の風になった。

遊ぶために、生まれた。(篆刻:遊)

遊

もうひとつの命の話をしようと思う。
田中 遊。私が26歳で生まれた長男。外資系代理店にいた頃で、アルファベットに
ある漢字のひと文字にした。ちなみに年子の弟は、映。住まいは、横浜の中区竹之丸。
近所には、ハーフの子もいた。ある日、会社で外人の営業Hと喧嘩した。彼の秘書に、
「頭を冷やせ」と冷蔵庫の氷を渡して、家に帰った。案の定、電話がかかってきた。

遊が3歳前後。まだ日本語もまともではないが、電話に出たい盛り。受話器をとったが、
Hがしゃべるのを聞いて、目を白黒。しばらく無言。とっさに「ワンツースリー」と言った。
初めての給食の日に、奈良に引越しさせられて、5年生でまた、山に引越し。犬や猫が
飼える環境より、友達の方が大事と抵抗したが、ここに住むメリットに気づくのに、
さほど時間はかからなかった、と思う。近くの柳生にも月ヶ瀬にも、いい遊び場があった。

ゴルフ場のために山を削ったまま放置された、バイクや四駆の遊び場だ。小学生で
ホンダのゴリラに乗った。中学ではモトクロス。奈良の高校ならバイク通学ができると
思ったが、禁止。家の周りでならばと、私はバイクを黙認したが、知られて停学になった。
反省文を書く。それを読んで、私は思った。こいつは、広告に向いているかもしれない、と。
篆刻は「遊」。氏族の旗を風にひるがえしながら、国の外に遊ぶ王子の姿だという。

金内一郎の、命。(篆刻:命)

命

「一戸建てか、マンションか」が、いいコピーだと分かったのは、ずっと後のこと。
生意気盛りの若造には、「貯金は、赤い看板の三菱銀行」だって、フゥン、という感じ。
大事なボーナスキャンペーンをやらせてもらった。東京コピーライターズクラブの
会員にもしてもらった。なのに私は、「テレビがやりたい、代理店へ行く」と言い出した。
そんな勝手者に説教もせず、金内さんはいつもと変わらぬ笑顔で、許してくれた。

金内さんは、東京駅前の銀行の分室と銀座の本社を、前かがみで行き来しながら、
仕事のほとんどを仕切っていた。でも、忙しそうな素振りなど皆無。いつも笑っていた。
その合間をぬって人工透析に通っていたことを、社長以外ほとんどの人が知らなかった。
ある日、透析を待つ彼に「O型の人はいませんか」という声が聞こえた。手を挙げた。
ただちに腎臓移植の手術がはじまった。結果は、失敗。無念の死だった。

若い頃はともかく、いかにもコピー、というレトリックが嫌になった。大事なことも、
普通の言葉で語りたいと思う。「一戸建てか、マンションか」のように。しかし、ヤフーでも
グーグルでも、「金内一郎 コピーライター」は検索できない。WEBの世界にも存在して
いないのは悲しいが、私がコピーライターである限り、私の師は金内さんだ。
篆刻は「命」。いまでも、前かがみで歩いている。照れ笑いをすると隙っ歯が見える。

本当の巧みには、術などない。(篆刻:大巧無巧術)

大巧無巧術

大学では広告研究会だった。勧誘を受ける前に入って、教室より部室の方が多かった。
のんびりしたもので、4年になってやっと就職を考えはじめた。久保田宣伝研究所
(現・宣伝会議)のコピーライター養成講座に通った。その日の講師は、広研の先輩・
金内一郎さん。友人のTと挨拶して、コーヒーをご馳走になった。数日後、電話を
いただく。「T君と、うち(AZ)のコピーライターになりませんか」という、夢のような話。

その時ふたりは、NDCの試験を受けて結果待ち。ソニービルの前で、2時間ほど
話した。NDCには、「AZに行きたいので」とお詫びに行く。帰ると、梶さんという方から
電話があったという。「金内には話をつけるから、こっちに来ないか」という、またまた
夢のような話(数年前、梶さんにこの話をしたら、まったく記憶にないとのこと)。
NDCは大きい会社、AZなら金内さんが直接指導してくださるのが決め手だった。

三菱銀行の広報課分室で、コピーライター修行がはじまった。銀行の支店が次々に
出来た時代。開設準備室に支店長を訪ねて、方針を聞く。マーク、スローガンを決める。
支店長の挨拶状から、チラシ、マッチ、メモまで、いわばミニCIをやらせてもらった。
その頃の金内さんの住宅ローンのコピーは、「一戸建てか、マンションか」。
これコピー?とあっけにとられた。篆刻は「大いなる巧みに、巧みな術など無い」。

まさにこだわることも、無く。(篆刻:応無所住而生其心)

応無所住而生其心

言葉の意味も知らず、むろん体得した訳もなく、ただ彫っただけを、もうひとつ。
「応無所住而生其心」は、「まさに住する所無くして、しかもその心を生ずべし」。
住むところが無く、実に困った、ではない。すべては空・無我であると説く「金剛経」で、
「おうむしょじゅうにしょうごしん」と読む。字が読めない人のための絵文字般若心経で、
「摩訶」は釜を逆さまに書くが、これは「大麦小麦一升五(ごん)合」と唱えよ、と教えた。

「エクスキューズ ミー」が「挽き臼め」で、「ファット タイム イズ イット ナウ」が
「掘った芋いじるんでねぇ」の類い。本題に戻れば、住するとは心が一ヵ所に留まる、
執着すること。すべての迷いはそこから生ずるという。では、その心って、どの心?
禅独特の言い回しで分かりにくい。さすがに伝わらぬと思ったのか、
「応生無所住心」、まさに住する所無き心を起こさねばならぬ、と補足しています。

道元さんは、これを「水鳥の行くも帰るも跡絶えて されども道は忘れざりけり」と
詠み替えた。この歌は、剣道の世界でも「平常心」を説く道歌とされているけれど。
私といえば、座禅などしたこともなく、剣道も道半ばのずっと手前で投げ出した根性無し。
真意など分かる日は来ないが、些細なことにこだわる自分にふと気がついたら、
口の中でモゴモゴと繰り返そう。ひらがなで「おおむぎ こむぎ いっしょう ごんご」と。

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