2008年6月

苦しみは、尽きて。(篆刻:苦尽甘来)

苦尽甘来

玄侑宗久さんの『アミターバ 無量光明』を読み直した。玄侑さんの奥さんの
お母さんの死を核にして、宗教学のカール・ベッカー氏と物理工学の古澤明氏の
研究成果に示唆されて、形になった小説だと記している。玄侑さんは、仏教の
地獄観には懐疑的ながらも、極楽浄土の世界を信じている、いや信じたいようだ。
さらには、死の直後にある体重の減少が魂の重さではないかと考えているらしい。

その魂の重さは、膨大なエネルギーになって、魂に現世の時空とまったく
異なる自由を与えるのではないかと。「極楽浄土ってのは、なにか私らには
計り知れない存在の意思や思いが実現している場所らしいんですよ」 
「自分の望んだとおりの美しい形が現われるらしいですよ。音楽を聴きたいと
望めば聞こえるし、いい香りがかぎたいと思えばかげるっていうんです」 

おととい、私の広告のキャリアの半分、足かけ20年間お付き合いいただいた
Mさんが、癌との戦いに敗れて亡くなった。篆刻は、「苦尽甘来」。苦しみは
ついに尽きて、甘美で自由で、光彩に満ち溢れた極楽浄土に往かれたと、
私は信じたい。せっかく大阪の会社にまで届けてくださったクコの苗を、
枯らせてしまったことが悔やまれる。Mさんのご冥福をお祈りします。合掌

畑で、ボチボチ。(篆刻:ボチボチ)

ボチボチ

猫の額のような畑に植えた3本のキュウリが、1日2、3本ずつ生りはじめた。
トマトも、うっすら赤くなりはじめた。ナスは、やっとプルーン程度になったが、
虫に食われながらも、大きくなろうとする意思は見える。今年は気まぐれにだが
肥料をやっているから、どれもまずまずの出来。ただ、それもこのまま放置すると
雑草に隠れて見えなくなりそうだから、応急処置で草刈機を動員した。

ここに越して来て、すぐに植えたトマトが、雑草に隠れて小さなスイカくらいに
なってやっと気づいたのに比べれば、格段の進歩だ。以前、このブログで、
農薬会社の人の「農業こそ不自然の最たるもの。自然は農地を本来の姿に
戻そうとして虫や草を進出させる。だから農薬が必要なのだ」という話を
書いたが。我が猫の額も例外ではないけれど、除草剤だけは嫌ですね。

最近、日本の食料自給率が39%、各国が食料の輸出制限を強めて、このままでは
心配、という議論が多いが。こんな畑でも、キュウリやトマトが作れるのだから、
食料の輸入が止まっても、我が家は何とかなるだろうという、根拠のない自信が
ある。いや、根拠が無いこともない。土こそ、人間の生きる根拠そのものだから。
篆刻は、「ボチボチ」。チビチビした畑でも、ボチボチやれば死にはしないだろう。

生命の、格差。(篆刻:生命)

生命

毎年のことだが、卵を産んだ親ツバメは、いつも留守がちで、雛がかえるのかと
心配になる。が、縁側にきれいに割られた卵の殻が落ちると、心を入れ替えたように
熱心に餌を運びはじめる。親が餌をやるは、ほんの一瞬のことだから、
要領のいい雛は、いつも親が来る場所にいて何回も餌をもらう。生まれたのが
遅かったのか、隅の鈍なやつは、いつも貰いそびれるから、育つのも遅い。

子ツバメが巣のへりで、羽をバタバタさせはじめたら、飛ぶ準備完了の合図。
いちばん元気なのが意を決して飛んでも、庭の隅には電話線があるから、
巣からあまり離れずに、飛んだり休んだりできる。親ツバメが寄り添って、
「どうだ、思ったほど怖くないだろ」などと聞いている(らしい)のも微笑ましい。
夜は、子ツバメだけが、巣で寝る。皆が飛べるようになるまで、そんな日が続く。

そして、ある朝、巣が空になる。親も子も戻らない。巣立ちは完了したらしい。
ただ、カミサンが卵を数えた時は7個あったというのだが、育ったのは4羽。
手鏡で中を見ると底に黒いものがある。ある程度育ったのに、押しつぶされて
死んだのだろう。カミサンが、庭に埋めた。篆刻は「生命」で、生は木の枝葉が
生え伸びる形。木も草も、鳥さえも、強いものしか生き残れない。それが自然。

誰かのための、本。(篆刻:我為人々)

我為人人

田辺聖子の本、それもハイ・ミスが妻も子もある男と、滑った転んだという話。
そのラストで、不覚にも涙ぐんでしまった。久しぶりに新地(の隅)で飲んでの帰り。
地下鉄西梅田駅の不要な本を持ち寄っての「リサイクル文庫」で、借りた本。
この本は当りだったけれど、酔っていたら面白くても、覚めたら大違いは、
飲んだ時の馬鹿話と同じ。返さない人も多いのか、棚にはこの1冊だけだった。

大阪・堂島に会社があった頃。デザイナーだった息子の遊が、私が家を出る時
まだ寝ていたのに、西梅田で降りようとすると、同じ車両の離れたところで、
文庫本から目を上げることが、何回もあった。奈良の駅まで車を飛ばしたのだろう、
誰かを巻き添えに事故など起こさなければいいがと、心配したものだが。
彼がバイクのレースで亡くなって、本棚には文庫本が100冊以上も残された。

いま、もう1度この小説『窓を開けますか?』を見て、驚いた。昭和47年に
新潮社から刊行されたとある。47年は、遊が生まれた年。小説には、主人公の
恋人の娘がバイクの後ろに乗って事故死する話まである。この本をちゃんと返そう。
その時、遊の本をリサイクル文庫に置いてもらおう。遊の本を、酔っ払いでも
構わないから、誰かに読んでもらおう。篆刻は、旧作の「我、人々の為に」。

兎のように、走る。(篆刻:兎走)

兎走

篆刻は、「烏飛」と対の「兎走」。続く話は、またたく間の35年前。マクドナルドの
新しい広告部長が、私に言った。「これまでのCMは一切忘れて、人が感動する
企画を考えてください」 「流すCMは何本も商品篇があるから、いい案が出るまで
何ヵ月でも待ちます」 感動!? それから長く暗いトンネルの日々が始まった。
来る日もくる日も、思いつくままコンテを描き続けるが、駄目、だめ、ダメ。

寝ても覚めても頭から離れない。朝起きると毛布が寝汗でグッショリ濡れている。
2、3ヵ月もたったある時、それは突然生まれた。すぐにコンテにまとめて、
翌日10時の約束をする。が、安心して気がゆるんだのか、起きたのが10時。
駅へ走る。ホームを走る。いつもは乗らない横須賀線に飛び乗る。1時間の
遅刻で、見てもらった企画も、走る案。走るのは、マクドナルドのトラックだが。

朝まだ明けやらぬ道。ゴールデンアーチをつけた配送トラックが走る。
道端の草。朝露が揺れて飛ぶ。「これですよ、待っていたのは」と、部長は
満面の笑み。結果的には、そのトラックが全国配置できていない、という理由で
別案になった。深夜の厨房で、クルーがひとり黙々と鉄板を磨いている。
ナレーション『マクドナルドは眠りません。たったひとつのハンガーガーのために』

赤い鶴は、消えたが。(篆刻:烏飛)

烏飛

私の生まれは、横浜市鶴見区。昔は、湿地帯で鶴が群れていたのだそうだが。
日本航空のマークの鶴の話。コピーライターになって2、3年後のことだった。
若手たちはこぞって広告賞に応募したものだ。同じ三菱銀行担当チームの
Kさんというデザイナーが「朝日広告賞に、こんなビジュアル考えたけれど、
コピー書く?」と誘ってくれた。新聞10段、赤のプラス1色で、2点。

ひとつは、丸いマークの鶴が、駒撮り風に飛び出していく。もうひとつは、
飛んできた鶴がマークに収まる。女性コピーライターも手を挙げたので、
彼女が飛ぶ方、私が帰る方になった。そこで、生意気盛りの私は言った。
「2点をまとめて出したら、足を引っ張られるかもしれない。別々に出したい」
ならば、とそうしたのだが。結果は、飛び出る方が朝日広告賞になった。

ある朝、会社に行くと、デスクの上に三菱銀行の封筒が置いてある。
中には1万円札が3枚。「途中まで一緒にやったんだから、取っときなよ」と
Kさんの声。それをいただいたかお返したかは、ご想像にまかせるとして。
篆刻は、歳月はすぐ過ぎるという「兎走(とそう)」と対の「烏飛(うひ)」で、
兎は月、烏(からす)は日。あっという間の40年近くでも、消えない黒い思い出。

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