2008年8月

プロの、ちから。(篆刻:自力)

自力
20代の後半、特に理由もなく、坊主頭にした。社長が、クライアントに私を
紹介するたびに、頭を指差して「こうしてアンテナを尖らせていますから」と言った。
そう言われれば、感度が良くなったような気もしたが、もちろんただの錯覚。
以来、気分転換でたまに長髪にしたけれど、ほとんどは坊主がすこし伸びた
くらいで通してきた。いまでは息子も孫も、男3代が、こんな頭をしている。

この前、大阪の理髪店で50歳前後の店員に「五分刈りぐらいで」と頼んだら、
「五分って、何ミリですか」と聞かれて驚いた。北京五輪の野球が惨敗で、
ダルビッシュ、川崎に続いてG.G佐藤までが坊主になった。五分か、一分かは
知らないが、どうせ頭を丸めて詫びるならば、ツルツルにしなくちゃいけない。
しかも、それで済むなら、星野監督以下コーチ陣が、まず坊主になるべきだろう。

真のリーダーなら、坊主などやめろ、全力を尽くしたと胸を張れと、さとすべきだ。
まぁ、ストライクゾーンをまだ言っているようじゃ、無理だけど。篆刻は、先日の
「他力」と対の「自力」。玄侑宗久さんは、「言葉で理解できる範囲のこと」と約すが。
自らの力を尽くす。自分の力だけではどうしようもないことがあるのを認める。
そして、結果を素直に受け入れる。それが、プロ。5ツ星ホテルなんて、まだ早い。

これって、縁なの。(篆刻:隨縁)

随縁
もう15年も前のことだけれど。大阪のニコンサロンだったかで、写真展を見た。
モノクロの女性ヌードで、ヘアーが床まで伸びて、しかも三つ編になっている。
なぜかパーティーにも出たのだが、そのモデルが傍にいて、横浜から来たという。
横浜はどこ、と聞けば、鶴見だという。「へぇ、僕も鶴見で生まれたんですよ」と
言ったら、「それが何なの」という顔をされた。私は奇遇だと思ったのだけれど、ね。

鶴見といえば、我が家の向かいの家の裏は崖で、その下には大洋ホエールズの
ホームラン王・桑田選手が庭で素振りするのが見えた。「それが、何なのさ」、かな。
それなら、巨人軍の倉田という投手は、高校の同級生で、数学のテストでは
カンニングさせてもらった、というのは? やっぱり「だから、何なのさ」、かな。
ならば、これはどうだ! 先日、早稲田大学の広告研究会の後輩が訪ねてきた。

4年後に創部百周年なので、記念事業でインタビューなのだという。先輩たちの
話になったが。「あの福田康夫総理が、昭和34年卒業で副幹事長だったのは、
ご存知ですか」と聞いた時は、ポカンとしてしまった。私も副幹事長だったけれど。
篆刻は、「随縁」。ご縁に随うにしては、遠すぎる。62年前のきょう、鶴見で生まれ、
大学のサークルでは福田さんの後輩だけど。「だから、何なのだ」と、独りつぶやく。

人々は、誰のため。(篆刻:人々我為)

人々我為
ハナタレという飛びっきり強い焼酎で酔眼朦朧だった。しかも途中で寝てしまった
のだから、あれこれ文句をいうのもおこがましいが。その朦と朧のまん中でも、
あの北京五輪の開会式が常軌を逸しているという、私の感覚は間違っていない
と思うのだが。あれでは、人間が万里の長城の一塊のレンガのようではないか。
世界に発信するための画像の、たったひとつの画素にしか過ぎないではないか。

あの開会式は、ある意味で完璧、圧倒的だったから、世界の評価は総じて高かった
らしいが。あちこちでほころびも出てきた。鳥の巣に向かう巨人の足跡のような
花火が、実はCGだったとか。革命歌を歌った可愛い少女が、他の少女の歌の
口パクだったとか。それでも、音楽監督は「国家のためだ」と居直っているとか。
すべての種目が、いまいちの日本チームが、かえって人間的でノーマルに見える。

篆刻は、昔の習作「人々我為」。「我為人々」との対で、"One for All, All for One"と
意味は同じだというが。チベット、新疆ウイグル、四川省の地震の報道を見る
かぎりでは・・・すべての人々は我のため、国民は国家のため、としか思えない。
あんまり中国に文句を言うと、今ごろになって漢字や篆刻の知的所有権は
中国にあると主張しかねない。それじゃ日本も私もお手上げだから、止めておく。

わが計らいに、あらず。(篆刻:他力)

他力
彼は、東京の時計屋の三男だった。大学の成績は4年間全優。広告研究会で
幹事長になった。幹事長になる前の2年の時、夏のキャンプストアのポスターを
デザインした。私のコピー「砂に残した足跡は、波が消してしまうけど」を受けて、
自分の足の裏に絵の具を塗って、紙の上を歩いた。早慶戦のための小冊子の
編集長もした。大阪のM電器に入社したが、希望の宣伝事業部ではなかった。

奈良の女性と出会って結婚して、男の子が産まれたが。彼女は社宅で、幼い子を
道連れに自ら世を去った。上司の配慮で東京に転勤になった。数年後に再婚して、
一男一女を授かり、胃潰瘍を克服して、事業部長格になった。私が紹介した店を
接待や部下の慰労で使っていた。数年前のある夜、私がたまたまそこにいたら、
彼も1人で来た。かなり酔っていて「きょう、早期退職の辞表を出した」と言った。

PR会社の契約社員になって、省エネ・環境関連のPR誌を企画した。創刊号で、
自ら施主として納入事例に登場し、写真にも納まった。その笑顔は、ついに
クリエイティブに関われたうれしさだと思った。その約1年後。彼はすい臓ガンで
逝った。遺影は、あのPR誌にあった、あの笑顔だった。篆刻は、「他力」。
五木寛之の『他力』に、その意は「生病老死、わが計(はか)らいにあらず」とある。

続・耳の話。(篆刻:耳順)

耳順
「ものに恥じる心は、まず耳にあらわれる」の意味は、いまだに解けないけれど。
私は、人間ドックで必ず高音域が難聴だといわれる。「要検査」だったから耳鼻科で
調べてもらったが、「加齢」で片付けられた。だから、「あっ、蝉が鳴きはじめた!」
というのは聞こえるが、蝉の声は聞こえない。さすがに、この頃の蝉のやかましさは、
嫌というほど聞こえますが。耳が遠い人は長生きという。でも、長生きっていいこと?

さて、私、この8月に62歳になる。だから、どうということもない半端な歳ですが。
2年前の8月には。このブログを毎日書くと還暦の日がちょうど60回目になる
と気づいた。途中で「あ、このまま書いたら61回になる。1日休まなきゃ」なんて
バタバタしていたから、「耳順」という言葉など眼中になかった。いや、正直に
申せば、無学文盲にして、最近はじめてそれを知った、というお粗末です。

広辞苑によれば、「[論語 為政 六十而耳順] 修養ますます進み、聞くところ
理にかなえば何らの障害なく理解しうる意、六十歳の異称。」とあるけれど。
私の場合に限れば、「思い込みいよいよ強くなり、聞くところすべてが引っかかれば、
多くの障害によって何ら理解せざる意」となります。ちなみに、耳はそのままの象形。
順の頁は礼装した姿なので、順は水に臨んで行う儀式らしいです。ご参考まで。

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