2008年12月

あなたは、長いか短いか。(篆刻:長)

長
大学生の頃、横浜高島屋で替えズボンを買った。ピンを刺したズボンを持って
いった店員が戻ってきて、いきなり股にメジャーを当てたので、驚いた。「股下を
測ったら長すぎたので」と言う。以来、私はひそかに足が長い、と思っていた。

先日、久しぶりに大阪に出たので、阪急のメンズ館に行った。目的は、
エドウインのプレミアム・ジーンズ。おなかが出た中高年に人気と、日経新聞に
出ていたので探したが、「そんなものは置いていません」と、けんもほろろ。
1階の公衆電話にある電話帳を見て、梅田近辺のジーンズショップに聞いたが、
どこにも無い。大阪・梅田には、エドウインなどは存在しないのだそうだ。

後日、奈良のジーンズショップに電話したら、「はい、ありますよ」とふたつ返事。
ウエストは、28?35インチで選べるのだが、股下は3種類だけ。一番長いはずも
ないから、控えめに真ん中のやつをはいたら、何とこれが長過ぎるではないか。
その下、別の言い方では、一番短いのをはいたら、これがぴったり。身長165?
170センチ用だというから、私は日本人の典型的な中高年体型なのだった。

篆刻は、「長」。長い髪の人の姿で、長髪を許された氏族の長老のこと。
人は老いて、髪やひげは伸びるが、脚はどんどん短くなるようですぞ、ご同輩。

あいている、ローソン。(篆刻:明)

明
いよいよ、コンビニの売上げが百貨店のそれを追い抜くのは確実なようだ。

大丸神戸店の広告に多少なりとも関わった以上、流通の栄枯盛衰には
感慨深いが、ローソンの最初のCMは、テレビもラジオも私の仕事だった。
1979年と思うが、「あいてます、あなたのローソン。」のサウンドロゴもそうだ。
私の原案は「あいてます、ローソン。」で、中内功社長が「あなたの」を加えた。

CM撮影なら最新の店舗で、と東京まで行ったが、その頃の店舗は正面の
半分以上がレンガの壁だった。それもそのはずで、ローソンの原型は、
マークが牛乳容器だから、アメリカの北東部オハイオ州の牛乳販売店。
寒さ対策優先型なのだ。店内は暗いし、客も入りづらかった。現在のように、
ほぼ全面がガラス張りになるには、何回もの試行錯誤があったようだ。

篆刻は「明」。月とその光が差込む窓で、陶芸家・佐野明子さんの注文印を
お借りした。21世紀の日本では、深夜でも月以上に明るいのが、コンビニ。
24時間営業の是非で、環境派の行政とコンビニ業界の論争が続いているが。
ビルの谷間で月も見えない都心店はともかく、地方店は店主の不眠不休で、
かろうじて深夜もあいている。そんなコンビニの将来は明るいのか、どうか。

法という、文字。(篆刻:法)

法
篆刻は、「法」。正字は表示できないし、表示しても画数が多く、つぶれる
だろうが。神に審判を仰ぐため差し出された羊と、水と去。去は、敗れた者の
正面形・大と、神への盟約の器「サイ」の蓋の無い形。神盟に虚偽があったと、
蓋を取り去り破棄されるが、神をあざむいた敗訴者とその羊も一緒に、
水に投棄され、遠くに流される。古代の裁判と刑罰をいまに伝える文字なのだ。

さて、裁判員制度だが、最高裁発行の『裁判員制度 ナビゲーション』という
冊子には、「国民が刑事裁判に参加することで、裁判の内容や手続きに国民の
良識が反映され、司法への国民の理解が深まり、信頼が高まると期待されて
います。」 また「6人の国民のさまざまな視点が審理に反映され、裁判の内容も、
より多角的で深みのあるものになると期待されます。」とも書かれている。

そうか、従来の裁判には、国民の良識が反映されていなかった。国民の
さまざまな視点が欠落して、浅い内容だったのかと、つい思ってしまった。

それならば良識を反映すべく裁判官を教育するのが先ではないか。それに、
裁判所以上に良識を欠くのは国会だから、国民から無作為に選ぶ、裁判員ならぬ
「国会員」を採決のたびに参加させなきゃと、迷える老羊は考えたのだった。

裁判員制度と、死刑。(篆刻:死)

死
幸か不幸か、私にもカミサンにも裁判員候補者になった通知は来なかった。
身近にも、そんな話はないが、いつまた候補者にならないとも限らないから。
先週末のNHKスペシャル「あなたは死刑を言い渡せますか?」という、
裁判員制度の模擬裁判とそれをめぐる討論を、かなり真面目に、真剣に見た。

裁判員制度へのいくつもの疑問が生まれたが、それ以上に死刑制度そのものに
素朴な疑問が大きくふくらんだ。「人は他人を殺してはいけないのに、人である
裁判官や裁判員は、死刑と断を下し、間接的に人を殺していいのか?」

私の意見は、こうだ。「明らかな殺意をもって人を殺したならば、極刑にすべき。
ただ、その極刑は人の命を奪う死刑ではなく、また平均30年超で仮釈放される
現在の無期懲役でもなく、終身刑にすべき」なのだが。

この説は、超党派の国会議員による死刑廃止の運動と同じらしい。
それに対して、法務当局は「終身刑は、生きる希望のない収監者を生み出す
だけの厳罰化だと、受け入れない」姿勢だ、という。死刑にはせず、
生き続けることができる終身刑が、なぜ厳罰化なのか。私には理解できない。

篆刻は、金文の「死」。風化させた残骨にひざまずいて拝む人の形。

押すか、捺すか。(篆刻:波羅僧羯諦)

波羅僧羯諦(重ね押し)
これが、篆刻・般若心経、2枚目も失敗の無残な姿。「波羅僧羯諦」の
縦横二重押し。こうなったら、やめてフテ寝を決め込むしか、手がない。

さて、私はここまで「印を押す」と書いてきた。「押印」と言うが、「捺印」とも言う。
だから、印を捺すでもいいのだが。正しくは「(けん)」らしい。白川静先生の
『字通』にも、「=しるし、印、印をおす」とある。しかし、印を(けん)す、とは
言わない。動詞でないから、使いにくい。使う人がないから、読める人もいない。

水野恵さんの『日本篆刻物語』では、あえて「(お)す」とルビをふっている。
「が、あらゆる篆刻の技のうちで一番難し」い、とおっしゃる。では熟達の
人が現われない。の名人達人など百年に一人生まれるかどうか、だと。

ややこしいから、分かりやすい「押す」に戻すが。私は、篆刻を彫るのは
苦にならない。一日中でも飽きずに続けられるが、出来上がった印を押すのが
好きではない。篆刻も紙に押さなければ、ただの石の塊に過ぎないと、
分かってはいるのだが。強いて理由を考えれば、石に彫るのは無から有を生む
創造だが、紙に押すのは、ただ右から左の転写作業だから、ではないか。

さあ、精魂を込めて、篆刻・般若心経のに再挑戦。でも、今度の土日、にね。

増さず、減らず。(篆刻:不増不減)

不増不減
篆刻・般若心経の「不増不減」は、徐三庚先生のそっくりさん丸出しなのだが。
松原泰道老師によれば、この「不」は無いのではなく、むしろ「超える」の意味。
現象として増や減はあるが、それにとらわれなければ、無いも同じということ。

奈良のギャラリー藍倉さんでの個展が終わって。まず、10以上の個人印を彫り、
次は篆刻・般若心経の掛軸。おふたりの注文で、印の数55、その倍を押すのだが。

雑用や電話の多い平日は、とても無理だから、土日の仕事にして。まず、土曜の
午前は、印面をきれいにして、半切の紙を下敷きにクリップでとめたりの、準備。
午後からは、いよいよ押しはじめる。寒さで硬い印泥を暖めたのに、1回押しでは
朱が薄い。押した印を持ち上げず、印矩(く)という直角定規を当てて、2度3度
重ねて押す。その日は2枚に25個を押したところで、疲労困憊。残りは、翌日に。

日曜の朝から、続きを押す。慎重に、体重を万遍なくかけて、押し続けて・・・。
17個目、定規は動いていないはずなのに、二重になって、1枚は失敗が確定。
仕方ない、残り1枚でも最後まで仕上げようと、再開。19個目を2回目に
押したとき、印が横になっていて、またもや失敗。2日間の作業が、水の泡に。
増さず減らずどころか、ゼロに消滅。ああ、般若心経が、お釈迦になった!

ページ上部へ