2009年1月

日本の、言葉。(篆刻:言)

言
眠いのを我慢してオバマ大統領の就任演説を聞いた。同時通訳が女性で
聞きにくかったが、最後まで聞いてから寝た。朝青龍は早朝まで見ていたそうで、
屋根工事の社長もパレードまで見たらしい。全文をネットと新聞で読んだ。
27歳のスピーチライターが書いたようだが、もう"CHANGE"や"CAN"に頼らず、
未来に向かって、いま何をすべきかを語った。その言葉は、生きていた。

一方、日本では。「未曾有」の読み違いなどはご愛嬌の枕。国の根幹に関わる
消費税増税が2011年の「実施」か、「準備」かと、言葉をこねくり回したあげく、
結局どうにでも解釈できる玉虫色の言葉に落ち着いた。給付金にしても、
「言葉がぶれる」との批判が気になって、自縄自縛、引っ込みがつかない。
近頃では、「私は、最初からそう言っている」が決まり文句になってしまった。

コピーライターの大先輩・黒須田伸次郎先生から「言葉が実態を牽引する」と
お聞きしたが。いまの日本には、未来の日本はおろか、今日明日の日本を
正すべき言葉すらない。これほど言葉が空疎になった時代は無いのではないか。

篆刻は、「言」。神への誓いの言葉を入れた器「さい」と、入墨の刑に使う針「辛」。
言葉は違約したら罰を受ける覚悟において発する、神聖なものであったのだが。

降ってわいた、屋根。(篆刻:降)

降
2階の仕事場の屋根が揺れている。電動ドライバーの音が、あちこちで響く。
昔なら1月14日は、まだ松の内。突然、我が家の屋根工事が始まったのだ。

去年から、気にはなっていたのだが。ワラ屋根にかぶせたトタンの塗料が、
剥げはじめた。錆もあちこちにある。だが、これでまた、ペンキを塗ればいいものか、
どうか。素人目でも、トタンの寿命はきている。こう見えても、2級建築技能士の私。
この古トタンはそのままにして、上に木枠を置いて、その上に、最近話題の
ガルバリウムの波板をかぶせる方が賢明ではないかと、考えていたのだが。

先週の金曜、カミサンの留守中に、大阪の屋根工事会社が、飛び込み営業に来た。
私が考えていた、そのままの工法を提案された。それは結構なことだが、問題は
先立つものの額。聞けば、もしこの契約がまとまれば、今年の初荷仕事だという。
なおかつ、この奈良市東部山間の最初の工事になるからと、かなり思い切った
見積もりを提示された。やや間を置いて、カミサンに話せば、カミサンも屋根の
ことは気になっていたから、とすんなり合意。急ぎ契約に至ったという次第。

篆刻は、「降(くだる)」。ヘンは神の梯子、ツクリは歩の逆の形。神が降りてくること。
この我が家に、突然、屋根といっしょに神様が降ってきたのだと、信じたい。

480円の、侍。(篆刻:居酒屋侍)

居酒屋侍
テレビのCMで、DVDを「ネットで借りて、自宅に届き、ポストへ返却」という
のが気になっていた。奈良市内のTSUTAYAまでは遠いから、借りるのも
返すのも面倒。物は試しと、借りてみることにした。借りるなら、黒澤明の
「七人の侍」、これしかない。注文は順番があるから、すぐに発送とは
いかないのだが、2、3日後に発送のメール。その段階でクレジット決済。
前後編2枚組みで、たったの480円とは安いじゃないかと、よろこんだ。

送料無料の宅配便で届いたのは、簡単なビニール包装。中のあて先の紙を
裏返すと、返送先の印刷で、90円切手が貼ってあるのも、またうれしい。

居間のテレビにつながるDVDが不調なので、パソコンでしか見ることが
できなかったのは、残念だったが。すぐに画面の大きさや、農民たちの月代
(さかやき)の盛り上がりの不自然さなど忘れて、話に引き込まれてしまった。
三船敏郎の菊千代は見事だが、志村喬はすべてにおいて完璧なのだった。

篆刻は、ずいぶん昔、ハイエスト・ハイが大阪茶屋町にあった頃、近所の
「居酒屋・侍」のために彫った拙作。名前の由来は聞き忘れたが、オッちゃんが
農民役の藤原釜足にどこか似ていたなァと懐かしくなって、のせた次第。

夢は、希望は。(篆刻:望)

望
昨年の春、母が亡くなったので、毎年29日恒例の餅つきは無し。餅つきの
ない年末は、こんなにゆっくりかと思いつつ読んだ本が、アンリ・バルビュスの
『地獄』。開高健大兄のお薦めだが、暗く、やりきれない。正月2日に読んだのは、
白川静先生の『狂字論』。2008年は地獄で暮れて、2009年は狂で始まった。

テレビの正月馬鹿騒ぎ番組の間のニュースでは、日比谷公園の年越し派遣村。
終戦後、私たち家族6人は横浜の小さな借家にいたが、玄関の3畳間には
行き場のないOさん家族4人が身を寄せていたという。「ウチにおいでよ」と
言ってあげる人はいないのか。「泊めてよ」と言える友は、いないのか。日本人の
心は、そこまで貧しくなったのか。そんなことを考えていたら、このブログで何を
書いたらいいのかが、判らなくなってしまった。さあ、気を取り直して書こう。

石川九楊『失われた書を求めて』には、「人類は、いまだ・・・国家と神を主語とする
言葉しか持ち得ていない三歳児である。」とある。世界は、まだまだこれからなのだ。
吉田脩二先生の『ヒトとサルのあいだ』も、「人類の歴史はまだまだ新しく展開される
可能性を秘めているかもしれないのです。」で終わる。篆刻は「望」。大きな目を
上げて先を仰ぎ見る形。後に月を加えて、十五夜の望となった。月は、また満ちる。

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