2009年12月

日本人の、私。(篆刻:日)

日
このLINKにある『人生の芯・ヨガを通じた哲学日記』は、私の大学時代の友人
MK氏の素晴らしいブログなのだが。最新記事は、インドの3大哲学のうちの
「ヴェダーンタ哲学」。前回あまりにも難解だったので、もっと分かりやすくと頼み、
苦心の労作なのだが。「それでもすっと心に沁みてこないのは、私が日本人
だからではないか?」とコメントした直後に、クロネコメール便が東京から届いた。

京都の宇治に家族を残して、単身東京で頑張っている写真家・森善之さんが
編集責任の『JAPANGRAPH』という本。副題は「暮らしの中にある47の日本」。
滋賀01/47だから47冊を目指すのか。広告は、村田製作所と琵琶湖ホテルだけ。
森さんの写真・文のページを読んで、早速を電話した。案の定、仲間と自腹覚悟で
始めた挑戦。次号のために、いま同士がテント持参で岩手に行っているという。

でもね、だからね、すべての写真がじわじわじんじん沁みてくる。どの言葉もきんきん
響いてくる。森さん、こんなにいい文を書く人だったんだ、とうれしくなる。「経済の
情報にほんろうされる僕達の未来には、どんな暮らしを思い描くことができるのだろう。
その一つの道標が、湖のほとりの小さな町の日々の暮らしの中に、無造作に立て
かけられてあるように思えた。」なんて、しびれるよ。やっぱり日本人です、私は。

町の顔、人の心。(篆刻:心)

心
迫田司氏の『四万十日用百貨店』(羽島書店)によると、四万十では「車で
すれ違っても誰が運転していたかすぐ分かる」というが。本当なのだろうか。
市道はともかく県道ですれ違った車の運転者の顔は、私にはまず見えない。

三浦展氏の『ファスト風土化する日本』(洋泉社)は、恐ろしい本だった。
国や地方が市街地から郊外へと開発を進め、同時に道路網を整備した。
ジャスコ、マクドナルド、ユニクロなどが集積したパワーセンターが出現する。
そこの商品は、日本のどこでも買える、いわば顔のない商品ばかり。そして、
そこに家族は車で消費しに行く。家族は車に乗って国道を走るとき、すでに
匿名化している。名前のないグループが、顔のない商品を消費するのだ。
実は、さらに犯罪多発地帯と大型スーパーの関連にまで話が及ぶのだが。

奈良市北東部のここでも、酒、たばこ、最低限の食品と日用品の店が1軒だけ。
だから市内のスーパーや国道沿いの大型店に車で買出しに行くしか手がない。
25年前は、肉を置く店、鉄工所、造り酒屋、車の整備工場などがあったのだが。
子どもが学校帰りに、店や職人の作業場をのぞく。声をかける、働く姿を見る。
それは、もう出来ない。顔のない町で、心など育つ訳がない。篆刻は、「心」。

なかなか、言えない。(篆刻:アリガトウ)

アリガトウ
我が家には、薬師寺のお坊さん・大谷徹奘さんの日めくりカレンダーがある。
5日は、「なかなか 言えない ありがとう なかなか わからぬ おかげさま」
10年前のきょう、鈴鹿のバイクレースで亡くなった遊と私の間も、そうだった。
父親と男の子どもがいっしょに仕事をするのは、とても大変だったから・・・。

数日前、Sさんという方からメールをいただいた。遊が大学の頃、アルバイトで
ティッシュ配りをした英会話学校の方だった。私はうつ病が治って、中崎町の
Aというプロダクションで働き出したのだが。バイトをしたいなら私を手伝えと、
Macを覚えさせデザインをさせた。ちょうどその頃、Sさんも同じ中崎町の広告
代理店に転職して、ばったり遊と再会したという。いっしょに飯を食べ、電話で
話したりしたが、我々がハイエスト・ハイを立上げたのを知らせなかったらしい。

Sさんが再び遊のことを知ったのは、新聞の事故の記事。数週間前に生まれた
長男の名前に「遊」を考えていたが、名字との関係で断念したところだったという。
メールには「礼儀正しくて楽しくて名前のとおり本当に素敵な男の子でした」と
あった。私も、いま言おう、遊が私の子だったことに「ありがとう。おかげさま」と。
そして言おう、「遊のことをいまでも忘れない、すべての方に、ありがとう」と。

木を、伐ること。(篆刻:伐)

伐
去年、北隣の家の裏山で樫を伐りはじめた。どこの家にもチェーンソーはあるから、
多少の太さなら自分で伐れるのだが、裏山で伸び放題になったのは、手に負えない。
専門の業者に頼んで手間賃なしで伐ってもらい、その樫は業者が持ち帰るのだが。
樫なら何でも、という訳にはいかない。中の白い白樫でなければ、商品価値が無い。
いまでも、白樫はクワなどの柄、カンナの台、クサビなどになる有用材なのだという。

隣の空き家にも樫が生い茂って、下の市道にまでせり出している。常緑で落葉は
少ないが、秋にドングリが落ちて、それを車が粉引きする。それが腐葉土になって、
雑草が生える。もちろん、見通しが悪く、暗い。三重県の持ち主に連絡して、業者に
伐ってもらった。離れの屋根の上に大きな空が見える。次は我が家のイチョウを
根元から伐ってもらった。仕事場の窓から、西の空が大きく見えるようになった。

草刈機を持つと、ふだん愛らしく思っていた草まで刈る。チェーンソーを持つと、
他の木まで伐りたくなる。武器が手にあると人格が変るのは事実に違いない。
篆書の「伐」は、人と武器である戈(ほこ)だが、戈が人の上部にまで入っている。
伐は人を斬ること、斬首であった。木を伐っておいて言うのもおこがましいが、
木を伐ることは自然を殺すこと。それが人を殺すことにならなければいいけれど。

※画像はフォトショップで色を塗っているときに、出たムラが面白かったので。

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