2010年1月

母、という文字。(篆刻:母)

母
昔の篆刻「遊心」を見たら側面に「祈母之平穏 一九八〇年十月」と彫ってあった。
私の父母は、横浜からこの家に移り住んだことがあって、その頃母が腸閉塞で
手術した前後と思われる。母が手術というのに「心、遊ばせよう」は異な感じだが。

吉田一子さんは、大正14年生まれの85歳。60歳を過ぎてから、大阪・富田林の
人権文化センターの識字学級で字を習いはじめた。ひらがながやっと書けるように
なった頃。銀行に娘さんに書いてもらった払戻し請求書を持って行ったが、数字が
ダブっていたとかで、書き直すよう言われた。字が書けないから代わりに書いてと
頼んだが書いてくれず、自分のお金が出せない。その悔しさで漢字も習いはじめた。

ある時は、駅で落書きを見て、びっくりして涙を流す。「なにかんがえてるんやろね 
だいじな かわいい じ つこて ひとの わるぐち かいて」と、日記に書いた。

NHKのドキュメンタリー番組で、小学生の前で話をした時。いちばん好きな漢字は、
と聞かれた。実の母が2歳の時死んだから「母」と答えて、ホワイトボードに人前で
はじめて漢字を書くことになった。恐る恐る書いたその「母」は、とてもいい字だった。
私はそれを見ながら、誰かが、母という字は「女とふたつの乳」と教えてあげたら、
もっと早く覚えられただろうに、と思った。篆刻は「母」で、横座りする垂乳の女。

間(あいだ)の、言葉。(篆刻:間)

間
「もう5年。まだ5年。」 あの大震災から5年後、NHKの特番用のポスターに
書いた、私のコピー。人々の気持ちは、5年の時を整理しきれずに揺れていた。
15年目のきょうにしても、それは「もう」だし、「まだ」なのではないだろうか。

昨日のNHK「追跡!AtoZ」は、被災者の心の浮沈を復興曲線にして分析する
研究を紹介していた。公営住宅に優先的に入居できた高齢者より、自力で
住居を再建せざるを得なかった働き盛りの多くが二番底を経験し、いまだに
下降している人がいる。しかし、あることを機に一転、上昇をはじめた人もいる。

身体に障害を受けて、笑えない日々が続いたが、語りあえる仲間を見つけた。
会話の途絶えていた夫婦が話はじめた。震災の体験を伝える語り部になった。
手記を書き出した。そんな人たちの曲線は、上に伸びていく。その共通項は、
言葉なのだ。言葉が人を救う、という事実。しかし、その言葉は、単純ではない。
「もう15年」というには、あまりに遅い。「まだ15年」と思うには、かなり早い。
切ったら血がでる本当の言葉は、その間にある。そんな言葉だけが、伝わる。

篆刻は、「間」。門の中に肉を置いて祀(まつ)り、安静を祈願すること。本当に
人の心の肉となり骨となるような真の言葉は、我と他、彼と此、その間にある。

陽は、昇る。(篆刻:陽)

陽
ここ数年は年賀状のスタイルを決めている。この2010年もそれに従って、
上には篆刻「陽」、真ん中に庭からの日の出の写真、その下に「陽は、昇る。
見えても、見えなくても。」という言葉を添えた。陽は、神殿の階段そばに置く
玉が放射すること。去年生まれたふたり目の孫「陽菜(ひな)」にちなんでも
いるのだが。この名が、2年連続で女の子の名前トップだというので驚いた。

私の母が、よく私の息子たちが大きくなったら「地球は、日本は、どうなるの?
心配だ、可哀想だ」と言っていたが。私もまた、この孫たちが大人になった時、
日本は、世界は、地球はどうなっているのかと、かなり本気で心配している。

いまさら言うまでもなく、日本の政治が漂流している。経済があえいでいる。
でも影の総理は選挙のことしか考えていない。cop15は、何も決められずに
終わった。戦争中の軍事超大国の総指揮官が、ノーベル平和賞だという。
世界が、薄暗い雲に包まれている。それでも、陽は昇っている、と思いたい。

春3月31日?4月4日、いよいよ東京の豊島区立熊谷守一美術館3階の
ギャラリーで、篆刻の個展をやる。テーマは、「印のアート・いいことばだけ」。
せめて、小さくても、弱くても、光を放ちたい。いいことばを石に刻むことで。

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