2010年6月

瞑想の、力。(篆刻:瞑)

瞑
吉田脩二先生は、初めての診察で10ヶ月も(実はもっと長いのだが)苦しんだ私の
うつ病にピタリ効く薬を下さった方なのだが。『ヒトとサルのあいだ』(文芸春秋)に続く
新刊が『感じる力 瞑想で人は変われる』(PHP新書)と知って驚いた。つい先日、
高野山系の種智院大学の友人に密教瞑想を習いたいと頼んだところだったから。

ただし、この本は瞑想の手引きではない。現代の人と社会がなぜヨガや瞑想に頼り
たくなるかをていねいに紐解いてくれる。その始まりは、狩猟採集民(自然人)だった
人間が農耕民になったこと。農耕は時刻・暦、過去・現在・未来という概念を必要とし、
農作業や灌漑で労働集約するために家族、村、そして国家(と権力)が生まれた。

狩猟採集民のイヌイットの父親が子の前で「この子は好きになれない」と言い、子も
黙って笑うだけという話は象徴的だ。その対極には理想の家族を演じ、いい子で
あろうとしながら破綻した不登校児やうつ病の若者がいる。「家族はこうあるべきを
前提にしてはならない。不幸にして仲悪くても、それも人間関係であれば許されるべき」
という言葉は、思春期の病める心を見守り続けてきた先生の切実な叫びに聞こえる。

読みながら、先生にはいわゆる瞑想の実体験が少ないような印象を受けたのだが。
それには確かな答えがあった。25歳の時に絵を描いていて自然との一体感を得た。
以来、先生は絵を描き続けている。今年も7月12日?17日まで大阪府立現代美術
センターで個展をされる。山を描く時、先生は山と自分が混然となっているに違いない。
それこそが先生の瞑想法だから。ささやかでも好きなことを続ける、それも瞑想なのだ。

出来た! ミニ・ギャラリー。(写真:楽篆堂)

仕事場
熊谷美術館の個展での注文印などが一段落して、5月20日から母屋二階の
仕事場の大改造に取り掛かった。まずは、大阪の堂島から運んできて置いた
無粋なスチールの本棚の撤去と、それに代わる木製本棚の製作をしたのだが。
その途中で、重い事務用椅子との心中未遂事件があって、後頭部は無事だが、
右の肩甲骨あたりを打ったようで、キリを両手でもむときも、まだ肩が少し痛む。
それでも、積年の乱雑が消えていく、その快感は、少々の痛みなど忘れさせる。

肩の痛みと引換えに、いくつかの事も知った。ホームセンターが欠品を補充せず、
注文を受けてからでないと発注しない、顧客無視の体質。広告関係のコピーや
デザイン、CMの古い年鑑などは、古本屋が見向きもせず、ただ重くやっかいな
ゴミなこと。それよりも、松岡英輔氏の名著『「挫折しない整理」の極意』(新潮新書)
が、いよいよ実践に移せることがうれしい。まあ、極意といっても本棚にはつねに
空きをつくっておき、一冊増やしたら一冊捨てる、という簡単なことなのだけれど。

いや仕事場改造の主眼は篆刻額などを少し置いて、楽篆堂のミニ・ギャラリーに
することだった。本棚の側面と棚の上に10点弱が置けたから、大成功としよう。

また「努力しない生き方」は書けなかった。内容の予告なんてするんじゃなかった。

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