2013年3月

変哲、半生記。(篆刻:変・變)

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『俳句で綴る 変哲半生記』(岩波書店)はご存じ小沢昭一の句集。約4,000句だから
読むのに相当時間がかかるが。彼が俳句をはじめた昭和44年は、私が大学を出て
コピーライターになった時とちょうど重なっていて「ゲバ棒の落ち目の春のにが笑ひ」 

私が結婚した45年11月は「ネーブルをむいた爪いたく破談かな」 外資系の広告
代理店と契約した46年「日給月給おくればせなる初鰹」 長男誕生の47年3月は
「小児科の泣き声ありて木蓮咲く」 次男誕生、マクドナルド・藤田社長にプレゼンを
していた48年「ステテコや彼にも昭和立志伝」 代理店を辞めCMプロダクションを
始めた51年「いきいきと生きたしと思う鳥渡る」 ペプシのCMで王選手のキャンプ地
宮崎にひと月近く行きっぱなしだった52年には「しばらくは戻れぬ旅の湯ざめかな」 

横浜から奈良に越して、鉄筋アパートなのに子どもが子猫を拾った53年「露地越えて
はじめて遠出した仔猫」 沖縄、ハワイのロケが続いた54年「東風吹くや漢和辞典の
うすぼこり」 広告代理店に辞表を出した55年は「生きて生きて咲かざる花実秋彼岸」
職業訓練校で大工の勉強をし、川で釣りしていた56年は「釣堀の四角の空に雲流れ」
この西狭川町に引っ越して紫陽花などを植えはじめた57年「あじさいや明日天気に
なあれ」と、小沢昭一的こころは私の人生と重なるのです。続きは次回、ということで。

創造の、神。(篆刻:光)

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私が広告プロダクションのAZ(エージー)から外資系広告代理店のグレイ大広に
移ったのは1971(昭和46)年で25歳。上條喬久さんのチームだった。上條さんは
現在日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)の副会長さんだが、上條スタジオと
して独立する直前。表皮の上下を着たのを見て「河馬ですね」と言った記憶がある。
何という無礼! その頃、上條さんがTシャツ展をされた会場に 田中一光さんが
みえていた。私は「あれがイッコか」とつぶやいた。なんという非礼! 生意気盛りも
ここまでいけば礼の次元でなく、品性下劣。いま思い出しても顔から火が出そうだ。

先日、奈良県立美術館で「特別展・没後10周年・田中一光デザインの世界」を見た。
『田中一光とデザインの前後左右』という本の帯には「20世紀をデザインの世紀に
した日本の巨星」とあるが、これは星なんていうものじゃない、20世紀後半のジャスト
50年間実在した創造神です。「デザイナーは苦悩は腹の奥深く呑みこんで明日の
陽光を全身で信じ、どこまでも生き生きと行動するべき職業かもしれない」と語った。
確かに、そういう時代に生きたのだが、それさえも神が配剤したこととしか思えない。

それにしても、奈良が生んだ創造神を迎えるにしては、あの美術館はお粗末すぎる。
イッコと呼んだ罰当たり者に、それを言う資格がないことは百も承知で、実にひどい。

かえでの郷「ひらら」へ。(篆刻:ひらら)

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雛の節句の昨日、奈良県宇陀市古市場の「奈良かえでの郷《ひらら》」を訪ねた。去年
6月、初めて行ったときは色とりどりのかえでの葉が迎えてくれたが、いまは芽吹き前の
枝ばかり。矢野正善さんたちが寒さの中やっと整備し終えた名札でかろうじて1200種の
多彩さを推し量るしかなかったが。お訪ねしたのは、この篆刻をお渡しするため。愛称が
「ひらら」と決まったのを知って、多少のお役に立てばと彫り、カミサンがかえで柄の布で
袋もつくった。開園予定はこの4月28日だから、もう2ヶ月もないが、何かのヒントが
いただければと「東大寺門前・夢風ひろば」総支配人・林忠厚さんに同行をお願いした。

NPO法人「宇陀カエデの郷づくり」の理事長、事務局長にいろいろお話を伺ったのだが、
「開園だからといって身の丈を越えた集客をするよりも、地域の皆さんの知恵と力によって
地道に日本全国、さらには世界までファンを拡げたい」という方針に素直に賛同。林さん
からは懇意にしている奈良の情報誌に取材を勧めるという、うれしい応援もいただけた。

旧校舎はカフェ・物販、展示、近大農学部の研究室などのために改修が進行中。さすが
銘木の里だから真新しい木の香りも清々しい。忙しい手を止めて皆のためにコーヒーを
淹れてくださった矢野さんには申し訳なかったが。開園の日には出来るだけ多くの人と
一緒にお祝いに馳せ参じたい。もうひと踏ん張り頑張って、矢野さん! NPOの皆さん!

『有情』に、思うこと。(篆刻:有情)

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角川俳句叢書・日本の俳人100の『有情』は、大石悦子さんの第五句集。出版直後に
送っていただいた中扉には、タイトル下に私の遊印「有情」が鮮やかに押されていて、
何とも晴れがましい気持ちにさせていただいた。書名はこの世に生き情を解するもの、
一切の人間・鳥獣などをさすが、私も知る人への哀悼の句がある。大石さんとの縁を
結んでくれた人で吉野が好きだった森慎一さんへの「中有(ちゅうう・中陰)より二月
(ふたつき?)礼者(年賀に回る人)となりて来よ」、乗馬を愛した医師・中井黄燕さんへ
「梅が枝を鞭(しもと)にとりて逝かれしや」。古季語や難季語を詠む「紫薇」の同人に
なられた、その探究心には頭が下がるが、葩煎(はぜ)が糯米を炒った菓子だとか、
青首が鴨やアヒルであると分かるまで難渋することが多かった。素人の私でもその
精神の高さと技術の確かさには脱帽しきりだが、そのお人柄を知るだけに「椿象
(かめむし)は来るはパソコンは鈍(のろ)いは」とか「茶柱が立つたり鶯が来たり」など、
しばし立てた旗を置いてつぶやいたような句は、「口論は苦手押しくら饅頭で来い」を
思い出しながら微笑んだ。自選十二句の中の「土木通(つちあけび)奈良新聞に
包み来し」は送った人を知っているのでうれしかったが。「しろじろとかりそめを生き
栗の虫」は、栗虫に枯らされた木を伐ったから分かる。生きとし生けるものへの心眼。

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