2013年10月

「歴史マップ」、奮闘記。(篆刻:SAGAWA)

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今日は雨なので狭川地区の運動会は順延。前回書いた「狭川・歴史マップ」が、昨日
ほぼ完成したから、暇つぶしに振り返ってみよう。11月の半ばに、中学と狭川を含む
3地区の自治会が主催する「里山まつり」がある。そこで狭川の歴史をたどるイラスト
マップのようなものを配りたいと相談を受けた。狭川の氏神・九頭神社の元宮司、奥西
正俊氏がまとめてくれた「狭川の歴史と伝承」という冊子があるので、ダイジェストを
地図に落とし込めばと気軽に引き受けたが。「三游会」の作品制作が終わってから
取り掛かり、結局2週間係りっきりになった。その原因はひとえに私の未熟さにある。

デザイナーならイラストレータというデザインソフトで簡単につくれるのだが。私は
ほとんど使えないから、フォトショップという画像ソフトでやり繰りをするしかない。
ゼンリンの地図から道と川をトレースして写真と説明文を配置するのだが一度保存
すると修正が効かない。見直すたび修正したい所が見つかるので消しゴムツールで
消して、また入れ直す作業を繰り返した。途中で友人からエクセルでパーツを作れば
簡単などとアドバイスを受けるのだが、エクセルはもっと苦手。60代半ばを過ぎると
新しい学習に挑戦するより、自分の得手にしがみついて結局は遠回りになってしまう。
まあ非力ながらも狭川のお役に立てて良かった。首筋が寝違いのように少し痛いが。

「狭川帖」、余話。(篆刻:縁)

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この9月、大阪の狭川K子さんという方から、「突然、お目文字もなく」という書き出しの
お手紙をいただいた。狭川さんは昭和5年生まれの83歳。曾祖父・與七郎さんが、この
狭川から奈良市内の高畑町に移転、狭川家の墓も十輪院畑町の興善寺に移した。狭川
さんは父よりも父の従姉妹の「おばちゃん」から狭川家のことをよく聞かされ、「あんたは
狭川家の惣領娘として、しっかり家を守るように」と言われたそうだ。去年は與七郎さんの
百回忌。今年も8月の施餓鬼供養に車で奈良を訪れた時、はじめて「狭川町」の標識と
「下狭川町」行のバスに2度も出会って、急にご先祖のことが気になった。それを聞いた
息子さんがインターネットを検索してくれて、私の書いた「狭川帖」に出会ったのだという。

折しも私は、いま狭川の歴史マップを自治会のお手伝いで制作しているところ。狭川城跡、
狭川家代々の墓所、馬場跡なども写真と簡単な解説で載せる予定。もちろん刷り上がれば
狭川さんにもお送りしたい。大阪の狭川家との関連は知るよしもないが、遠方のゆかりの
方とのご縁がつながったのは「わたしのマチオモイ帖」に参加した「狭川帖」とインターネット
のお蔭だ。その「わたしのマチオモイ帖」が今年のグッドデザイン賞を受賞したとも聞いた。

篆刻は、三游会に出品予定の「縁」。縁はずいぶん彫ったけれど、生きていくことは次々
に縁を結ぶことだから、新しい「縁」をカタチにしたくなる。さァ、どんな縁が生まれるか。

タヌキ、という猫。(篆刻:落葉)

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その猫をはじめて見たのは、村の葬式だった。参列する大勢の人たちを物ともせず、
塀の上を悠然と歩いていた。見るからに野良猫然として、毛が長いので大きく見えた。

それが何かのきっかけでこの家に住みつくようになった。名前は猫には見えないので、
タヌキ(略してタヌ)にした。他ではパンを取って逃げたり、かなりの悪さをしていたらしい
のだが、ここでは本当に控えめ。我々の食事中に他の猫が食べ物を欲しがっていても、
決まった場所の猫の餌しか食べない。若いダンダンを弟分のようにして、ジャレながら
喧嘩の仕方を教えた。最年長の責任感からか餌を食べにくる野良猫を見張り、来れば
追いかけて、時には格闘もした。家で寝るときは仰向けの大の字で、人なつっこいから、
お客さんには人気者だった。それが、この夏頃から、夜ガラス戸をガリガリやって外に
出たがる。出たばかりなのに、外からまたガリガリして入りたがる。いま思えば、痴呆に
なっていたらしい。秋口に数日帰らない日があり、それから食欲が落ちた。何も食べず、
水も飲まないようになって、昼は外の決まった場所で寝続けた。最後は土間で横になり、
カミサンが見守るなかで、息を引きとった。板の墓標にはあえて「愛猫タヌキ」と書いた。

篆刻は、三游会に出品予定の「飛花落葉」のうちの「落葉」。秋が深まり、桜などが
紅葉して散る頃、タヌキはまるで枯葉が落ちるように死んだ。ありがとう。さようなら。

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