2019年5月

「天からの、贈りもの。」③狭川に、やる気を。(篆刻:ヤル気)

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竹内夫妻が快諾してくださったので、お礼に美味しい蕎麦を食べていただくことに
した。というのも、一緒に巨木を見に行った守田蔵さんは、浄瑠璃寺門前で蕎麦屋を
していて、拾子さんも行きつけだったから。蔵さんと知り合ったのも拾子さんの紹介。

蕎麦をいただきながら、蔵さんに「狭川の町おこしに使わせてもらうことになった」と
話す。蔵さんは、かつて白洲正子に愛でられた陶芸家だし、現在は正倉院御物の
撥鏤(ばちる)の復元をしているアーチスト。付合いのある奈良工藝館にふじい忠一
さんが巨木を手放す話をしていたようで、そもそもアート作品をタダで貰うことには
反対のようだったが、そこまで話が決まっているのならと、なんとか賛同してくれた。
その後、車で15分足らずだからと、九頭神社を見ていただくことにした。3人は鳥居を
くぐって、階段を拝殿まで登り、参拝を済ませて「いい神社ですね」と言ってくださった。

ここまで決まったのだから、次のステップに進もうと、25日に宮司、自治連合会、狭川
の会、市・出張所の振興係、5人に集まってもらって、事の次第を説明した。ひとりは
半信半疑だったが、4人は賛成。「巨木アートで、狭川を活性化しよう」という方向は
定まった。誰も思いつかない巨木アートが狭川を刺激する。「やる気があれば、巨木も
曲がる」、「やる木、げん木」というキー・ワードも決まった。いよいよ、巨木が動き出した。

「天からの、贈りもの。」②狭川のために。(篆刻:アート)

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ふじい忠一さんの奥さん・雅子さんに巨木の処分を頼まれて考えた。篆刻で縁ができた
大阪芸大の方や東京芸大出の先輩もいる。芸大なら収蔵してくれるだろう。奈良県立
美術館にも置いてもらえるかも。しかし、収蔵されても、常設展示でなく、収蔵庫の奥で
埃をかぶっているのなら意味がない。この巨木アートがよろこんでくれる場所はないか。

「狭川歴史マップ」は、自治連合会の依頼で、私が制作した。万年青年クラブの依頼で
改訂版も出した。そこに狭川の氏神・九頭神社の主祭神が天手力男命(アメノタヂカラオ
ノミコト)とあるのを思い出した。天照大神が天岩戸にこもった時、神々の協力で岩戸を
こじ開けた怪力(&知力)の神様。21日の夜、A4に、狭川に巨木アートが来てくれたら、
九頭神社のシンボル的存在ができる、奈良市なのに知る人が少ない狭川も注目される、
活性化が可能になると、いくつかのアイデアを書き連ねた。翌日、竹内さんにアポをとり、
小林拾子さんと訪ねて、聞いていただいた。「有志たちが《狭川の会》で2年間、毎月
会議を続けているけれど決め手がなく、実績といえば神社の秋祭りで金魚すくいをした
くらい。狭川の活性化のために、巨木アートをぜひ。」とお願いした。竹内さんの答えは
「そこまで考えていただいて、大変ありがたいことです。ぜひそうしてください。ふじいの
方には私から伝え、忠一が反対でも私が説得します。」 狭川に巨木アートが来るのだ!

「天からの、贈りもの。」①巨木に、出会う。(篆刻:巨木)

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きようは、5月20日。ふじい忠一さんの巨木アートに出会ったのが、2月20日
だから、あれからちょうど3ヶ月になる。この奈良から、さほど遠くない伊賀上野の
島ヶ原に太い木を曲げる人がいるから、見に行かないかという話は、かなり前にも
あったけれど、芸術新潮などでそれを知っていた守田蔵さんが大病を患って、無期
延期になっていた。忘れた頃に、またその話だが、今回は作者のふじい忠一さんが
脳梗塞で入院して、退院しても、もうこの仕事は出来ないだろうという状況だった。

留守宅の奥さん・雅子さんが「作業場に作品が残っていると家が売れない。なんとか
片付けて欲しい」という。蔵さん、小林さんと我々の夫婦3組で見に行った。小林
拾子さんは、雅子さんのお兄さんである竹内さんの奥さんと中学からの友だちという
関係。巨木を曲げた現代アートということ自体、よく判らなかったのだが、実物を見て
驚いた。誰しも思うのが、熱を使わずに、どうして曲げたかだが、ふじいさんを手伝って
いた雅子さんは企業秘密というばかり。現代アートの不思議といわれる「ふじい忠一の
巨木アートこそ、天からの贈りもの」というストーリーが、いよいよここから始まるが。

もし蔵さんが病気にならず、あの時見に行っていたら、ふじいさんはまだ元気な盛りで、
「なんだお前たちは」程度に扱われていただろう。贈りものになんか、ならなかったはず。

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