天からの、贈りもの。

「天からの、贈りもの。」 ⑦狭川に、巨木ロードを。(篆刻:道)

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さて、手力男は巨木アートを使って、狭川をどう活性化するのか。まず、主祭神が
天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)である九頭神社に収蔵庫を造って、巨木
アートを置く。九頭神社の御旅所である田部神社にも、置く。神社の向かいの丘の
上にある、空き家の旧幼稚園を市から借りて、残りの巨木を置いて「ふじい忠一
記念館」にしよう。出来ればここに忠一さんの道具やチェーンブロックなどを置いて
アトリエを再現しよう。しかし、これでは細長い狭川の真ん中に巨木アートが集中
するだけだ。奈良市内から来ても、笠置から来ても、真ん中だけを見てUターン
されたら、狭川全体の活性化にならない。そこで、奈良側の両町の県道添いの
桜の根元にも巨木を、笠置側の広岡町にも巨木を、それもベンガラを塗って雨や
日差しに耐えるようにして、モニュメント的に設置すれば、奈良から来た人は広岡
まで、笠置から来たら両町まで、巨木を見に足を延ばしてもらえるのではないか。

名付けて「狭川・巨木ロード」。これが狭川の太い背骨になれば、おいおい周辺に
点在する歴史スポットにもつなげていける。それで狭川全体の骨格が形づくれるの
ではないか。つまり、県道33号線(笠置街道)に拡がる狭川の両端を、ふじい
忠一の巨木アートでつなぐこと。手力男のやるべきことの基本は、これで定まった。

「天からの、贈りもの。 ⑥「狭川の会」から、NPOへ。(篆刻:SAGAWA)

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忠一さんと運搬する白井さんの話は済んだけれど、肝心の受け入れる側・狭川の
方は、ちょっと単純ではない。2年前から有志が1ヶ月に1回集まって、狭川の今を
見つめ、未来を考える「狭川の会」ができて、私も参加している。農業部会の方は、
農業の現状をアンケート調査して、その結果を反映して「草刈りお助け隊」を発足
させているが、もうひとつの生活部会の方はなかなか活動テーマが絞りきれず、神社の
秋祭りに2回、子ども相手に金魚すくいをした程度。外孫と親はよろこぶけれど、その
孫が大人になって狭川に住む可能性はほとんどゼロ。また今年も金魚すくいが議題に
なったから、神社の主祭神・天手力男命にちなんで「腕相撲大会」を勝手に立ち上げ
ようとした矢先に、この巨木アートの話が降ってわいた、という次第なのだけれど、、、

狭川の会は、自治連合会長が発起人だが、自治会の組織ではない。ではないけれど、
自治連合会の意向は無視できないという。狭川の会で具体的なカタチは農地の草刈り
お助け隊だけで、発足したばかりだから続けるという。農地の草刈りと巨木アートによる
狭川の活性化が、組織として共存できるか。それは難しいし、ややこしい。巨木アートに
よる活性化が目的の独立組織として、NPO法人を立上げることにした。名前は九頭神社の
主祭神・天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)にちなんで、「手力男(タヂカラオ)」。

「天からの、贈りもの。」⑤忠一さんを、見舞う。(篆刻:見舞)

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明日、ふじい忠一さんを病院に訪ねるなら、何をしたらいいか。まず、半紙に筆で
「やる木、げん木」と書いて、裏打ちして、適当な額にいれた。人の数倍のやる気で
巨木を曲げた忠一さんを、見舞い、励ますには、この言葉がいいと信じたからだ。
確認書が守田さんと私宛になっている。神社と自治会宛てに書き直してもらうより、
狭川の活性化に使うことを守田さんに認めてもらえばいいと「同意書」を用意し、また
「田中個人が譲り受けるのではなく、神社と狭川の活性化のためにいただく」との
誓約書も書き、捺印した。翌日、同意書に守田さんの判をもらい、病院に向かった。

病床で忠一さんは、私の話を聞きながら、ウン、ウンとうなずいてくれる。「ウンウン
じゃなくて、ありがとうでしょ」と雅子さんがフォローしてくれる。同意書と確認書を
渡し、持参の額を手に笑顔で写真に納まってもくれた。忠一さんがリハビリに行った
ので、ロビーで雅子さんと先客で友人という奈良の額縁屋・池田さんと話をする。
そこへ、大柳生の材木屋・白井さんから電話が入った。「いま、巨木をいただくふじい
忠一さんのお見舞いに伊賀上野の病院にいる。帰りに、そちらに寄って頼みがある」
と答える。白井さんは、私が狭川の家を買うとき、保証人代わりになってくれた人で、
ユニック付きのトラックでの巨木運搬を快諾してくれた。さあ、これで、準備は整った。

「天からの、贈りもの。」④氏子も、賛成する。(篆刻:氏子)

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狭川・九頭神社は宮司ひとりと、9町を3ブロックにした代表・氏子総代3人で支え
らえている。4人は、毎月1日、18日に月並祭を行い、運営について協議・決定し、
それを9町の信徒総代に伝えて、協力を依頼する。3月1日に宮司が巨木アートの
話を氏子総代にする。昼過ぎに宮司が来て、4人で現物を見たい、4日に行きたいと
言ってきたのだが。相手のあることとだし、自治会の都合もある。自治連合会長にも
来てもらって、2人の前で藤井雅子さんに電話をした。4日で構わないと言ってくれた
ので、神社、自治会、出張所の総勢9人で伺うことをお願いした。さて、3月4日に。

案の定、誰もが巨木のすごさに圧倒された。せっかく人数がいるからと、主な作品を
撮影し、寸法も測って、記録した。帰り道にやぶっちゃ温泉がある。食事をしながら
感想を聞くと、「神社と狭川の活性化のためにいただこう」と全員の意見が一致した。

帰って早速竹内さんに電話をすると、ちょうどいま、ふじい夫妻から郵便で確認書が
届いたといい、すぐにファックスをくれた。「巨木アート作品及び材木等を当方の要請
により無償にて譲り渡す」。忠一さんが震えながら、奥さんはしっかり捺印してくれて
いる。私がハシゴを外されることにならないようにと竹内さんが配慮してくださったこと。
奥さんにお礼の電話を入れると「忠一に会って欲しい、明日病院で」という急展開に。

「天からの、贈りもの。」③狭川に、やる気を。(篆刻:ヤル気)

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竹内夫妻が快諾してくださったので、お礼に美味しい蕎麦を食べていただくことに
した。というのも、一緒に巨木を見に行った守田蔵さんは、浄瑠璃寺門前で蕎麦屋を
していて、拾子さんも行きつけだったから。蔵さんと知り合ったのも拾子さんの紹介。

蕎麦をいただきながら、蔵さんに「狭川の町おこしに使わせてもらうことになった」と
話す。蔵さんは、かつて白洲正子に愛でられた陶芸家だし、現在は正倉院御物の
撥鏤(ばちる)の復元をしているアーチスト。付合いのある奈良工藝館にふじい忠一
さんが巨木を手放す話をしていたようで、そもそもアート作品をタダで貰うことには
反対のようだったが、そこまで話が決まっているのならと、なんとか賛同してくれた。
その後、車で15分足らずだからと、九頭神社を見ていただくことにした。3人は鳥居を
くぐって、階段を拝殿まで登り、参拝を済ませて「いい神社ですね」と言ってくださった。

ここまで決まったのだから、次のステップに進もうと、25日に宮司、自治連合会、狭川
の会、市・出張所の振興係、5人に集まってもらって、事の次第を説明した。ひとりは
半信半疑だったが、4人は賛成。「巨木アートで、狭川を活性化しよう」という方向は
定まった。誰も思いつかない巨木アートが狭川を刺激する。「やる気があれば、巨木も
曲がる」、「やる木、げん木」というキー・ワードも決まった。いよいよ、巨木が動き出した。

「天からの、贈りもの。」②狭川のために。(篆刻:アート)

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ふじい忠一さんの奥さん・雅子さんに巨木の処分を頼まれて考えた。篆刻で縁ができた
大阪芸大の方や東京芸大出の先輩もいる。芸大なら収蔵してくれるだろう。奈良県立
美術館にも置いてもらえるかも。しかし、収蔵されても、常設展示でなく、収蔵庫の奥で
埃をかぶっているのなら意味がない。この巨木アートがよろこんでくれる場所はないか。

「狭川歴史マップ」は、自治連合会の依頼で、私が制作した。万年青年クラブの依頼で
改訂版も出した。そこに狭川の氏神・九頭神社の主祭神が天手力男命(アメノタヂカラオ
ノミコト)とあるのを思い出した。天照大神が天岩戸にこもった時、神々の協力で岩戸を
こじ開けた怪力(&知力)の神様。21日の夜、A4に、狭川に巨木アートが来てくれたら、
九頭神社のシンボル的存在ができる、奈良市なのに知る人が少ない狭川も注目される、
活性化が可能になると、いくつかのアイデアを書き連ねた。翌日、竹内さんにアポをとり、
小林拾子さんと訪ねて、聞いていただいた。「有志たちが《狭川の会》で2年間、毎月
会議を続けているけれど決め手がなく、実績といえば神社の秋祭りで金魚すくいをした
くらい。狭川の活性化のために、巨木アートをぜひ。」とお願いした。竹内さんの答えは
「そこまで考えていただいて、大変ありがたいことです。ぜひそうしてください。ふじいの
方には私から伝え、忠一が反対でも私が説得します。」 狭川に巨木アートが来るのだ!

「天からの、贈りもの。」①巨木に、出会う。(篆刻:巨木)

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きようは、5月20日。ふじい忠一さんの巨木アートに出会ったのが、2月20日
だから、あれからちょうど3ヶ月になる。この奈良から、さほど遠くない伊賀上野の
島ヶ原に太い木を曲げる人がいるから、見に行かないかという話は、かなり前にも
あったけれど、芸術新潮などでそれを知っていた守田蔵さんが大病を患って、無期
延期になっていた。忘れた頃に、またその話だが、今回は作者のふじい忠一さんが
脳梗塞で入院して、退院しても、もうこの仕事は出来ないだろうという状況だった。

留守宅の奥さん・雅子さんが「作業場に作品が残っていると家が売れない。なんとか
片付けて欲しい」という。蔵さん、小林さんと我々の夫婦3組で見に行った。小林
拾子さんは、雅子さんのお兄さんである竹内さんの奥さんと中学からの友だちという
関係。巨木を曲げた現代アートということ自体、よく判らなかったのだが、実物を見て
驚いた。誰しも思うのが、熱を使わずに、どうして曲げたかだが、ふじいさんを手伝って
いた雅子さんは企業秘密というばかり。現代アートの不思議といわれる「ふじい忠一の
巨木アートこそ、天からの贈りもの」というストーリーが、いよいよここから始まるが。

もし蔵さんが病気にならず、あの時見に行っていたら、ふじいさんはまだ元気な盛りで、
「なんだお前たちは」程度に扱われていただろう。贈りものになんか、ならなかったはず。

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