「天からの、贈りもの。」⑪自治会に、融資を依頼。(篆刻:資)

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旧農協の倉庫に巨木アートを運びこんだのは、4月29日だが。それに先立つ20日、
手力男は狭川の自治連合会に500万円の融資を依頼している。かなりの額の特別
会計が定期預金で眠っているので、狭川の活性化に使わせてもらいたい、もちろん
定期以上の金利で返済する条件での依頼なのだが。4月の10町の自治会長会議では
一部に抵抗があり、各町に持ち帰って意見を聞き、それを集約することになった。

5月の連休5、6日に、倉庫の巨木アートを実際に見てもらい、融資の賛否の材料に
してもらおうとした。自治連合会から各町の自治会長に公開を伝えてもらったのだが、
各町の自治会長の受け取り方や理解にばらつきがあって、公開が全住民には伝わら
なかった。それでも、2日間で約80人が見に来てくれて、驚いたり、写真をとったりした
のは、大成功と言える。しかし、融資の依頼が、各町、各人に混乱を与えたことは事実。

いくつかの町では、ほとんど全員一致で、融資も賛成だったが、やむなく融資の依頼を
取り下げることにした。結果的に、資金は須蒲(すがま)孝委員長が個人で立て替える
ことになるが、須蒲さんはそういう決断をしてくれた。須蒲さんは75歳、自治連合会で
副会長、会長などを長く歴任してくれた人で、狭川を何とかしなければならない、座して
死ねないと、手力男の委員長を引き受けてくれた。余命を懸けても、という気迫だった。

桃栗三年、柿三十五年。(篆刻:柿)

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庭で花や実を見つけて、「あ、こんなところに。写真を撮らなきゃ!」と思うのだが、
撮り忘れるだけでなく、それが何だったかが思いだせない。昨日も、そんなことが
あって、さっき篆刻を彫りながら、ふと思い出したのは、庭の「柿の実」なのだった。

柿がなって何が珍しいか。その柿の木は、ここに越してきてすぐ、子どもが小学校
高学年、柿を食べて種を飛ばして遊んだ、その種が育ったものなのだ。庭の右寄り
に生えたし単調さを破るアクセントだから、適度な高さで剪定し続けて、35年。花は
咲くけど実はならないと、あきらめていたのに、柿色の実があったのだから驚いた。
桃栗三年、柿三十五年! また忘れてはと、雨の中、傘をさして撮った。暗い写真を
パソコンで明るくして見たら、もう熟して割れも入っている。亡くなった遊の飛ばした
種か、弟の種かは判らないが、熟れて落ちるのも忍びないから摘んで仏壇に供えた。

今日は、亡くなった息子さんの名前を彫った篆刻を発送した。先日、納骨が済んで、
この28日の一周忌に仏壇に供えるという。名前を口にするだけで涙が出ると言い
ながら頼まれた篆刻だから、名前に込められたご両親の想いを私なりに形にしたの
だが、デザインをしながら何度か胸にこみ上げるものがあった。まだ1年に満たない
なら無理もないけど。日にちという薬もある。思いがけない実がなるかもしれません。

ご近所の歌丸さん。(篆刻:歌)

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広告プロダクショのAZ(エージー)で新入コピーライターの私に、大幹部だか大顧問
だかの黒須田伸次郎先生が、「おまえ、いいところに住んでるなァ!」とおっしゃった。
(先生の名作は「ゴホン!といえば龍角散」) 黒須田先生は横浜国大の先生だった
らしいから、私のその頃の住所、横浜市南区永楽町が昔の歓楽街、花街だったことも
よくご存じだったのだろう。11月の酉の市で賑わう大鷲(おおとり)神社の門前町なので、
関内駅や伊勢佐木町に向かう道には夕方から赤提灯が灯る小さな店が何軒もあった。

私の生まれは鶴見だが、住宅地で家具屋をしていたから、音の苦情もあって永楽町に
越した。すぐ隣りが真金(まがね)町で、2、3ブロック先には桂歌丸師匠の、元・妓楼
だった家がある。Wikiによれば、ご近所だった頃、歌丸師匠は真打に昇進しているが、
町内がお祝いムードになった記憶もない。『笑点』という番組も、たまには見てはいるが、
本当の大喜利ではなく、構成作家が何人もいて、本番前にそっくり同じリハーサルをする
と聞いてからは白けながら見ている程度。ご近所以外に歌丸師匠とは何のご縁もない。

昔、大阪のキャノン・ギャラリーのパーティーで、ヌードモデルが横浜・鶴見の出身という
から「私も鶴見だ」と言ったら、それがどうした?という顔をされた。この話も亡くなったと
聞いたので書いたけど、「それがどうした?」でしょうね、きっと。なにはともあれ、合掌。

アスナロは、よろこんでいるか。(篆刻:木)

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以前、奈良公園のホテル建設反対に賛同した“Change.org”で、世界一のクリスマス
ツリーPROJECTを知って、唖然とした。富山県氷見市の樹齢約150年のアスナロを
神戸メリケンパークで、クリスマスツリーにするという。なぜ、そんなことをするのか。

生きた木では世界一だとか、阪神淡路震災の鎮魂だとか、生田神社の鳥居にする
予定だとか、フェリシモが木のグッズを販売予定(その後中止)だとか、ワイヤーに
付けたプレートの数でギネス記録を狙うとか、とにかく意図や動機が支離滅裂なのだ。

発案者の西畠清順氏はプラントハンターで、樹木のプロ。昨夜のTBS「情熱大陸」が
20周年記念番組としてこの木を選ぶ段階から記録していたから、番組企画というのが
丸見えだった。「人の心に植物を植えつけたい」「信じているのは植物の力だ」「命の
大切さを伝えたい」「大きな存在感を多くの人に伝えたい」。彼が言葉を重ねるたびに
やっていることとの矛盾が大きくなる。会場では多くの人が感動しているようだが、
“Change.org”では中止を求める人が2万人を超えた。何事にも賛否はあるだろうが。
私が知りたいのは、この巨大な植木鉢に入ったアスナロは生きているのか死んでいる
のかだ。もっと知りたいのは、海の寒風に吹かれながら、この木がよろこんでいるか
悲しんでいるか。葉加瀬太郎の後ろでライトアップされた木は泣いているように見えた。
 

創造は、思いつき。(篆刻:壮馬&ピアノ)

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五風舎の個展では「素晴らしいですね」と言ってくださる方もいて、そんな時は「いえ、
思いつきばかりで」とお答えしたのだけれど。大映京都撮影所の名録音技師だった
故・大谷巌さんが「芸術っていうのは、その場その場の思いつきだ」と言っていたと
毎日新聞で読んで、やっぱり!と膝を叩いた。私の篆刻が芸術とは言わないけれど。

篆刻は、ピアノの演奏・教育をされる方からの「ピアノと姓名を」とのご希望だったが、
名前だけの方がすっきりするのではと名字は入れないことにした。ところが、実際に
デザインしてみるとピアノのへこみが気になるし、もったいない。漢字では重いし邪魔
だけれど、カタカナなら入りそうと思いついた。書いてみたら縦の線が音符になりそう
だと、また思いついた。その思いつきをラフにして見ていただくと、「発想豊かなデザ
インですね!個性的で、遊び心があります!この案で進めてください。」とお許しが出た
ので、精度を上げてフィニッシュにかかった次第。思いつきで、こんな篆刻になりました。

思いつきといえばその場しのぎに聞こえるけれど、経験を重ねるうちに増えるアイデア
の抽斗(ひきだし)ではないか。莫山先生から聞いた「中国の篆刻家が弟子入りを頼ん
だら、師はただ空箱を突き出した。これに彫った石屑が溜まったら、またおいで。」という
話を思い出した。四の五の言わず、ただ彫る。その経験から思いつきは生まれる、はず。

「運命」というブランド。(篆刻:NUSARI)

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市英久くんは遊のバイク仲間だったが、鈴鹿でバイクのマフラーを製作して
いる。以前、ブランド・ロゴ“areman(アーマン)”のデザインを依頼された。
出身の与論島でヤドカリのこと、工場を借りているからだと聞いて、笑った。
バイクではなくホンダ・ビートという古いスポーツカーのマフラーを頼まれた
のだが、その出来栄えに満足されて販売権をもらえたので、新しいブランドを
立ち上げるという。ブランド名“NUSARI”は与論の言葉で「運命」。話を聞いて
すぐにSを斜めにするイメージが沸き、篆刻はそのイメージで出来上がった。

ただ、ステッカーやパッケージには全体を太くして、文字の先端はシャープに
したいというので、篆刻をベースにイラストレーターで作画して、画像で納品
した。画像はすぐメールで送れるが、篆刻は郵送になる。郵便局では鈴鹿なら
翌日着と聞いたが土日をはさんで3日もかかった。遅れを詫びたら「与論島は
朝刊の配達は夕方、週刊誌は1週間遅れで、まったく気になりません」という。

亡くなった遊の友だちが、自分の好きなことを仕事にして頑張っているのは
何よりうれしい。しかも、時代に流されず、生まれ育った郷土の良き価値観を
失わないのも、素晴らしい。新ブランド“NUSARI”に、良き運命よ、来たれ!

『都会を滅ぼせ』は、正しい。(篆刻:滅)

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毎日新聞で倉本聰さんがコラムの最終回で『都市を滅ぼせ』(中島正著・双葉社)
を日本人必読の書と言っていたので、読んでみた。以下、順不同で抜粋する。

「都市を滅ぼさないと人類が滅ぶ。都市はあらゆる公害の元凶で、諸悪の根源」 
これが前文。「どんな田舎も二次・三次産業があり、その従事者が住んでいれば、
そこは都市」「近代化は都市化であり、便利、贅沢、安逸の追求、繁栄への進歩」 
「都市は貨幣経済の魔力で拡大する」「都市は活動のため森林、農地、農業人口、
農産物、海岸、水産資源、エネルギー・金属資源、酸素・水、電源、水源を収奪し
破壊する」「収奪して使用の後、二酸化炭素、排ガスとなり、オゾン層を破壊し、
汚排水とゴミを出し、それでも商品は氾濫し、過剰サービスを生み、ついに戦争の
元凶となる」 では、真の革命は。「都市の解体=不耕貪食の解消」しかないという。

都市を滅ぼす方法は安藤昌益の「万人直耕」、福岡正信の「国民皆農」だが、彼は
搾取機構の国家を認めないので「民族皆農」、大自然の掟だけを唯一の規範とした
縄文時代のごとき自然循環型有機農業だという。農具は野鍛冶による鎌一本だけ、
自給自足の耐乏型孤高の人間が世に満ちれば革命は成立する。「人々よ、都市
は滅ぶとも人類は滅ぼしてはならない」という主張は、すべて正論で反論できない。

私は、職人か。(篆刻:職)

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私の祖父は横浜・関内の洋家具職人。父は店舗のショーケースなどを作ったが
木工職人ではある。私は横浜生まれの三代目で浜っこだが、職人なのかどうか。

たまたま読み直した永六輔の『職人』(1996年、岩波新書)は、職人たちの名言、
迷言を紹介していて、どれもが言い得て妙だ。「職人気質(かたぎ)という言葉は
ありますが、芸術家気質というのはありません。あるとすれば、芸術家気取り
です」 「褒められたい、認められたい、そう思い始めたら、仕事がどこか嘘になり
ます」 「自分の評判なんて気にするんじゃない! 気にしたからって、何の得も
ない」 「嬉しそうにマスコミのインタビューを受けている職人は職人じゃありません。
職人は自分の仕事以外で気をつかわないものです」 「健康に気をつかってる
やつに、いい仕事はできません」 「プロとアマチュアの違いですか・・・アマチュアは
失敗をごまかせません」 「メシ喰う暇があったり、ウンコする暇があったら忙しい
なんて言うもんじゃねェ」 「職人で、自分で仕事の質を落とすってことは考えられ
ません。世間や客が質を落とせって言う場合が多いです」 面白いけど、笑えない。

さて、私は職人か。展覧会の作品は別だが、お名前などの注文篆刻では、希望を
充分に聞いて形で返したい。作風や流儀を押付ける作家ではなく、職人でありたい。

明るい篆刻。(篆刻:游心)

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遊が「親父の趣味は剣道も篆刻も屋根の下で暗い」と言ったことがあるが。その遊が
大きな空の下、広い鈴鹿サーキットで事故死したのだから、良かったのかどうなのか。
あの日から丸17年が、今日。晴れ男だった遊にふさわしく、今日も日差しが温かい。

剣道は教えていた小学生が3人しかいないのを機に10年ほど前にやめたけれど、
篆刻はもう40年近く続けていて、趣味から本業になった。確かにインドアの仕事では
あるけれど、それが暗いのか明るいのか。先日の三游会で、出野さんという本格的な
篆刻をされる方が、「あなたの篆刻には陽気がある」と言ってくださった。「ありがとう
ございます」と笑顔で答えたが、心の中では躍り上がった。私が目指している篆刻は
まさにそうなのだから。その漢字が生まれたときの物語をまず白川先生の『字統』で
読む。その物語をいま、この時に生かしてみたい。そう考えながら文字を見つめると、
伸びたがる線、曲がりたがる場所が見えてくる。素直にそうしてあげると、その漢字が
よろこんでいるように見える。そんな篆刻は見る人にも伝わるらしい。無理やり座棺に
押し込んだような篆刻には無い、明るさ、楽しさが生まれているはず、だと思うのだが。
「方寸(3センチ四方)の世界に(のびのび)遊ぶ」ことこそが篆刻の醍醐味なのだから。

遊もきっと上から見ながら、それを知っていると思う。「親父、楽しそうにやってるな」と。

『阿久悠日記を読む』を読む。(篆刻:悠)

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『阿久悠日記を読む』は副題で、書名は『不機嫌な作詞家』(三田完著、文芸春秋刊)で、
明治大学の阿久悠記念館保管の26年7ヵ月分の日記から、阿久悠の真実に迫る試みだ。

淡路島の巡査の次男として生まれ、8歳で兄が戦死、14歳で結核のため自宅療養などが
『時代おくれ』の歌詞の下地と知ったのは収穫だった。ヒットを出し、賞を立て続けに獲った
頃、父がポツリと一言「お前の歌は品がいいね」。それを勲章に彼は詞を書き続けたという。
この話は泣ける。小林旭の『熱き心に』は好きな歌だが、元はAGFのCMソング。私も何回か
お世話になった大森昭男さんプロデュースと知って驚いた。歌は『北帰行』の小林旭でスタート。
大森さんは大瀧詠一以外ならやらないと決めた。大瀧は曲が出来上がった夜中、妻を叩き
起こして「聴け!」と言った。そして彼はその曲の詞をまだ面識のなかった阿久悠に託した。
この話にも泣けた。宣弘社時代の後輩が昭和の絵師・上村一夫なのだが、上村から贈られた
イラストを阿久悠は自室の押し入れの中の正面に飾ったという。その篤い思いにも泣けた。

後半は壮絶な闘病の記録だが、腎臓癌の手術の直前にNHKの「課外授業」で母校の
小学生にスーツ姿で「ことばは道具ではなく心と知性そのものですから」と、伝えている。
最後の一行を読み終えて、自分の嗚咽に狼狽した。そんな本は滅多にあるものではない。

私が読んだのは2016年7月30日発行の第一刷。2007年のきょう8月1日、70歳で死去。

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