俳句

巨匠からの、句集。(篆刻:健)

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一応、盆休みなので高校野球を見ているが。手持ち無沙汰なので、ゴミに出すため
使い捨てライターのガスを使い切ろうと思ったが、暑いし熱いのであきらめた。そこに
ゆうメールが届いた。自由律俳句の巨匠、第一回尾崎放哉賞受賞者の木村健治氏の
4冊目の雑文、写真つきの句集『きょうも世間はややこしい』(象の森書房)だった。

いまだ自由律俳句というものが解らないので、掲載順に好きな句を挙げれてみれば、
「母帰らぬ日はかもめ食堂麻婆豆腐」「母焼く朝のネクタイを結ぶ」「母に隠し事あり
浅蜊が砂を吐く」「草原へつづく蒙古斑撫でてやる」「尼僧にも戸籍あって紅葉掃く」
「まっすぐに電柱凍ててあれがオリオン」など俳句的風格のあるもので、家族など
身内への優しい眼を感じる。その優しさが外に向くと一転、「バリウムいちご味と
言われても」「鯉のぼり泳げど繋がれている」など川柳的ひねくれ目線になるのが
惜しい、と思うのだが。振込み用紙が無いから頂戴したとして自由律俳句が苦手な
方にも、さすがコピーライターだから写真と雑文が面白いことは保証しておきたい。

しかし、この篆刻「健」は彼が制作会社の役付きになったお祝いに贈ったものだが。
本の扉にも添え状にも押さず、封緘にも使っていないのは、どういうことなのだろう? 
篆刻を上手に使えるようになれば、真の巨匠になれるのだけれど、惜しいなあ・・・

続・変哲半生記。(篆刻:哲)

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さて、小沢昭一『俳句で綴る 変哲半生記』と楽篆堂の合わせ鏡の続編。毎年では
お退屈でしょうから、かいつまんで。やっと剣道初段になった昭和58年「ぬくき夜は
素足で下駄でポストまで」 新しい広告プロダクションの共同経営を始めた58年は
「行く先のあるらしき空赤とんぼ」 剣道二段の平成元年「年齢(とし)で知ることの
多きよ夏野行く」 過労と共同経営のストレスで鬱病になった3年には「病みし子へ
鴨居にさした風車」 鬱病が治り、父が亡くなった4年「信心のうすき身なれどよき
彼岸」 (有)ハイエスト・ハイをスタートした5年は横浜から奈良に来て15年目で
「横浜の坂やまもなくクリスマス」 阪神淡路大地震の句が見当たらない7年には
「駅裏に春一番の破れ傘」 長男・遊が亡くなった11年12月には「法事なる末席に
いて隙間風」 次男に初孫が生まれた13年は「雨だとよはずしておけよ鯉のぼり」

東京神田神保町に事務所を開いた14年「書肆(しょし)ごとのにほひ神保町の夏」
逗子から奈良に戻ってSOHOにした15年「春寒や不義理出不精人嫌い」 篆刻の
HPとブログを始め、還暦を迎えた18年「秋雨に生きている人逝きし人」 仙台で
桜の頃母が亡くなった20年「親鳴くや巣より落ちたる雀の子」・・・と、約4千句は
24年7月で終わり12月10日没、句集発行は12月20日。お見事、あっ晴れ!!

変哲、半生記。(篆刻:変・變)

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『俳句で綴る 変哲半生記』(岩波書店)はご存じ小沢昭一の句集。約4,000句だから
読むのに相当時間がかかるが。彼が俳句をはじめた昭和44年は、私が大学を出て
コピーライターになった時とちょうど重なっていて「ゲバ棒の落ち目の春のにが笑ひ」 

私が結婚した45年11月は「ネーブルをむいた爪いたく破談かな」 外資系の広告
代理店と契約した46年「日給月給おくればせなる初鰹」 長男誕生の47年3月は
「小児科の泣き声ありて木蓮咲く」 次男誕生、マクドナルド・藤田社長にプレゼンを
していた48年「ステテコや彼にも昭和立志伝」 代理店を辞めCMプロダクションを
始めた51年「いきいきと生きたしと思う鳥渡る」 ペプシのCMで王選手のキャンプ地
宮崎にひと月近く行きっぱなしだった52年には「しばらくは戻れぬ旅の湯ざめかな」 

横浜から奈良に越して、鉄筋アパートなのに子どもが子猫を拾った53年「露地越えて
はじめて遠出した仔猫」 沖縄、ハワイのロケが続いた54年「東風吹くや漢和辞典の
うすぼこり」 広告代理店に辞表を出した55年は「生きて生きて咲かざる花実秋彼岸」
職業訓練校で大工の勉強をし、川で釣りしていた56年は「釣堀の四角の空に雲流れ」
この西狭川町に引っ越して紫陽花などを植えはじめた57年「あじさいや明日天気に
なあれ」と、小沢昭一的こころは私の人生と重なるのです。続きは次回、ということで。

『有情』に、思うこと。(篆刻:有情)

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角川俳句叢書・日本の俳人100の『有情』は、大石悦子さんの第五句集。出版直後に
送っていただいた中扉には、タイトル下に私の遊印「有情」が鮮やかに押されていて、
何とも晴れがましい気持ちにさせていただいた。書名はこの世に生き情を解するもの、
一切の人間・鳥獣などをさすが、私も知る人への哀悼の句がある。大石さんとの縁を
結んでくれた人で吉野が好きだった森慎一さんへの「中有(ちゅうう・中陰)より二月
(ふたつき?)礼者(年賀に回る人)となりて来よ」、乗馬を愛した医師・中井黄燕さんへ
「梅が枝を鞭(しもと)にとりて逝かれしや」。古季語や難季語を詠む「紫薇」の同人に
なられた、その探究心には頭が下がるが、葩煎(はぜ)が糯米を炒った菓子だとか、
青首が鴨やアヒルであると分かるまで難渋することが多かった。素人の私でもその
精神の高さと技術の確かさには脱帽しきりだが、そのお人柄を知るだけに「椿象
(かめむし)は来るはパソコンは鈍(のろ)いは」とか「茶柱が立つたり鶯が来たり」など、
しばし立てた旗を置いてつぶやいたような句は、「口論は苦手押しくら饅頭で来い」を
思い出しながら微笑んだ。自選十二句の中の「土木通(つちあけび)奈良新聞に
包み来し」は送った人を知っているのでうれしかったが。「しろじろとかりそめを生き
栗の虫」は、栗虫に枯らされた木を伐ったから分かる。生きとし生けるものへの心眼。

ちょっと、安心。(篆刻:安心)

安心

  大寒の証しにせむと白き朝
下手な俳句もどきだから、解説がいる。昨夜、テレビで金子光晴の番組を
見終わってから、やっと窓の外が白いのに気がついた。そういえば、テレビも
名阪や第二阪奈道路が通行止め、と伝えていた。で、大寒の今朝は、銀世界。
いくら季節が変と言われたって、ここまで律儀にせんでも、という感想。

だが、昼前にはポストへ下りる坂の雪は、もう消えている。ポストの中には、
  新しき落款をもて書き始め 
味な墨文字の句に私の篆刻がおされたはがきがあった。以前少しお手伝いした
会社の広報の方が定年になって、慰労の会に私も混ぜていただくことになった。
ただ混ぜていただくのも恐縮と、俳号の印をお贈りしたのだったのだが。

ご注文の俳号であれば、色紙か短冊かと、お好みの大きさを聞くけれど、
この際は勝手に6分角の石を選んで、出来は約15ミリ四方に。それが、はがきの
中にいい納まり具合だったので、やっとひと安心。調子に乗って、駄句をひねった
という次第。篆刻は、ずいぶん前の「安心」だが。こんな篆刻を彫った昔の自分、
それを引っ張りだした自分。どちらにも心安らかでない自分。大いに寒い。

工夫は、普段から。(篆刻:工夫有平生)

工夫有平生

このブログは、自由律俳句(季語と五七五にとらわれない)の巨匠であるK氏が、
時々覗いてくれているようだから、無分別の続きを。篆刻の「工夫有平生」は、
これまた非力で情けない大昔の作ですが、工夫は普段、日常に行うべし、という
俳聖松尾芭蕉のありがたいお言葉。それに続く言葉が「臨席無分別」で、
席に臨んでは無分別であれ。席とは、句会とか、そんな場所なのでしょうか。

私は、句会らしきものは1回しか経験がないけれど。広告界で、我々制作者が
クライアントに企画を提案するプレゼンテーションも、その席と言えるのでは。
一時はプレテと言われたりしたが、最近はプレゼンという一般用語としても
定着したようだ。プレゼンといえば、創業期の日本マクドナルドの藤田田さんに
数年間、毎週水曜日の午前中、すべての制作物を私ひとりでプレゼンした。

相手は怪物、こちらは27、8の若造。何をどう突っ込まれるか、予想もつかない。
対策は、普段からマクドナルドのことを自分がどれだけ考えたか、しかない。
そして、田さんの前では無分別。何を聞かれても、間髪をいれず答えるだけ。
それで田さんは安心する。私の自信にもなった。それ以来、私はプレゼンで
あがったことがないが。「臨席無分別」の篆刻は、工夫が足りず、お見せできない。

ツバメ、来る。(篆刻:黄燕)

黄燕

ハコベ、ナズナ、イヌノフグリ、タンポポ、ツクシ、セリ、フキ、キランソウ、
ムラサキケマン、スズメノカタビラ、ヒメオドリコソウ、ホトケノザ、
ヤマネコノメソウ、クサノオウ、キンポウゲ、レンゲソウ、ハナニラ、シバザクラ、
スミレ、パンジー、オキザリス、セイヨウサクラソウ、スイセン、クロッカス、
ムスカリ、クリスマスローズ、ハナダイコン、ショウジョウバカマ、カタクリ。

イカリソウ、バイモ、カンアオイ、ワサビ、アシビ、レンギョウ、ジンチョウゲ、
ユキヤナギ、ヤナギ、ボケ、ミモザアカシア、ウメ、カワヅザクラ、ケイオウザクラ、
シデコブシ、トサミズキ、アオキ、シタクサ、ビワ、ウグイスカグラ、ブルーベリー、
ニワトコ・・・こんなところが、いまの我が家の庭に咲いている草や木の花たち。
昨日の日曜、自治会長の引継も終わって、さあ、今日から我が春だという朝。

何とツバメのご来訪。縁側の軒下をのぞき、玄関のひさしをうかがっていった。
いくらなんでも、ちょっと早過ぎでしょ。篆刻は、俳人中井「黄燕」先生の印を
お借りした。くちばしが黄色いから、とご謙遜の俳号だが、70歳を過ぎても
乗馬が趣味のお医者さん。黄燕先生、「燕来る」は晩春の季語でしたよね。
  来ることの嬉しき燕きたりけり 石田郷子

虹は、五色か、七色か。(篆刻:虹)

虹

北海道のMさんのブログで、山本 涼さんという方の句集『虹の紅』を知った。
  まず影の歩み入りける月の庭
という句に惹かれた。日経新聞で坪内捻典さんが、「俳句は大衆の文学といわれるが、
実際は結社的隠語の世界」と書いていたのに大きくうなずいたところだったので、
即座にアマゾンで注文した。俳句詠みにしか分からない「隠語」は、少なかった。

山本さんは、長谷川総子さんというコピーライターの大先達だった。きっと才気あふれる
名コピーを書かれただろうと思わせる句が多い。いいな、好きだな、分かるなと感じる
句を書き出したら、35点になった。さて私がいちばん好きな句は、と読み返して、困った。
迷ったあげく、俳句の門外漢、単なる不特定多数の私が本当に好きだと言える俳句は、
私が好きなキャッチフレーズのタイプと同じだ、ということに気づかされた。

  乳母車夏野率ゐてをりにけり
という、アサヒカメラの月例特選のような句はすごいと思うけれど、私のいちばんは、
  半分は空気でありぬ春キャベツ
篆刻は「虹」で、「工」は左右に反りのあるもの。オランダでは虹は五色らしいけれども、
虹は七色、俳句もある、そんな日本に生まれてよかった、と心から思ったのでした。

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