椿の、フォトブック。(篆刻:椿)

20191211798.jpg

我が百野草(ものぐさ)荘には、椿が130本ほど植えてある。最初の30本は、亡く
なった息子の慰霊のため。後の100本は空き家に置き去りにされた鉢を引き取って
地植えしたもの。半分は名前が判らないが、残りは名のある椿で、それぞれが姿と
色で楽しませてくれる。しかし、それが同時には咲かないのが、残念と言えば残念。

年末にカミサンの友人から手編みのベストを2着もいただいた。お礼は要らないとの
ことだが、強いて言えば椿の写真を何枚かとのこと。ただ写真をプリントするというのも
味気ないから、これを機に椿のフォトブックを作ることにした。ネットでみると、いろいろ
あるのだが、ビスタプリントが良さそうで、試しに編集してみた。あらかじめ名前が判る
60点を選んで24ページに挿入する。写真のそばに名前を入れるのに細かな調節が
出来ないのが難だったが、プロのデザイナーじゃないんだからと居直ればいいので。
表紙、裏表紙、背表紙を決めて、プレビューすれば、我ながら惚れぼれする椿図鑑が
出来上がった。そのまま入稿して、1週間で届いた。厚いハードカバーで紙もしっかり、
60の椿が一堂に競い咲く。ベストをくれたHさん、空き家から椿の300鉢を運んで
くれたKさんに、それぞれ1冊を差し上げる。花のブログ、フェイスブックで紹介したら、
数人から欲しいという反響もあった。次は「草」と「木」で、百野草荘の3部作にしたい。

※フォトブックの写真は、こちらで。

私は、職人か。(篆刻:職)

201728144445.jpg
私の祖父は横浜・関内の洋家具職人。父は店舗のショーケースなどを作ったが
木工職人ではある。私は横浜生まれの三代目で浜っこだが、職人なのかどうか。

たまたま読み直した永六輔の『職人』(1996年、岩波新書)は、職人たちの名言、
迷言を紹介していて、どれもが言い得て妙だ。「職人気質(かたぎ)という言葉は
ありますが、芸術家気質というのはありません。あるとすれば、芸術家気取り
です」 「褒められたい、認められたい、そう思い始めたら、仕事がどこか嘘になり
ます」 「自分の評判なんて気にするんじゃない! 気にしたからって、何の得も
ない」 「嬉しそうにマスコミのインタビューを受けている職人は職人じゃありません。
職人は自分の仕事以外で気をつかわないものです」 「健康に気をつかってる
やつに、いい仕事はできません」 「プロとアマチュアの違いですか・・・アマチュアは
失敗をごまかせません」 「メシ喰う暇があったり、ウンコする暇があったら忙しい
なんて言うもんじゃねェ」 「職人で、自分で仕事の質を落とすってことは考えられ
ません。世間や客が質を落とせって言う場合が多いです」 面白いけど、笑えない。

さて、私は職人か。展覧会の作品は別だが、お名前などの注文篆刻では、希望を
充分に聞いて形で返したい。作風や流儀を押付ける作家ではなく、職人でありたい。

『倭人とはなにか』を読む。(印影:漢委奴国王)

201714105316.jpg
出野正・張莉ご夫妻から共著『倭人とはなにか―漢字から読み解く日本人の源流―』
(明石書店)を送っていただいたので、楽しい読書納めになった。「倭人」のルーツは
中国・長江の中下流の南側、滅亡した越の従順な民族で、ベトナムやタイ、さらに朝鮮、
または直接日本へ渡り、稲作や高床式建物を伝えたという説は、このブログの「張莉さん
の『「倭」「倭人」について』」「その2」「その3」
で紹介したので、お読みいただくとして。

第1章「(二人の)西双版納の旅」が発見と驚きにあふれて興味深い。西双版納(シー
サンパンナ)は中国の雲南省最南端の傣(タイ)族自治区で、一万二千の稲田の意味。
故鳥越憲三郎氏の日本と中国南部、朝鮮の古代文化の共通点研究を確かめる旅だ。
以下は二人が確認した日本との共通点。高床式建物と切妻造、入母屋造、校倉造、千木
(ちぎ)や堅魚木(かつおぎ)、棟持柱など。村の門の上にある鳥の彫刻は神社の鳥居の
原形。食べ物では、餅、赤飯、豆腐、こんにゃく、納豆、ちまき、馴れ鮓など数えきれない。

共通点は銅鑼、下駄、注連縄、鎮守の森、神籬(ひもろぎ)、貫頭衣、文身(入れ墨)、断髪
にも及ぶが、鵜飼も南中国と日本のみの文化だという。これほど共通点があれば、倭人が
南中国から日本へという説に反論はできないだろう。ひとつ、気になるのは中国や朝鮮を
経て薄まったり消えたりした文化がなぜ今も日本に根強く残っているのか。それが知りたい。

※出野正氏から早々にお返事をいただきましたので、以下に転記します。ありがとうございました。
①南中国文化と日本列島文化の接点として挙げられている事項の中で銅鑼は外した方がよいと思われます。銅鑼の紋様が楽器の南(銅鼓)に近いという話を本の中でしましたが、銅鼓そのものは日本には伝わっていません。一部鳥居龍蔵氏が銅鐸の元は銅鼓であるとの説を出されたが、形があまりにも違いすぎるため、いろんな説の中の一説として位置づけられています。
②「ひとつ、気になるのは中国や朝鮮を経て薄まったり消えたりした文化がなぜ今も日本に根強く残っているのか。それが知りたい。」
この件ですが、中国や朝鮮は「倭」文化以外の文化を持つ集団が中心的な勢力となり、「倭」文化が駆逐されたからだと思います。中国でも、東海岸あたりには「倭」文化の村落があったと思われますが、漢化されました。朝鮮では「倭」は562年に滅び、新羅→高麗の文化が中心となり「倭」文化は途絶えました。それに対して、日本列島は「倭」文化を持った「倭人」が中心勢力となったため、それが天皇一系や神社文化として残っているのです。その結果、「倭」文化が残っているのは日本列島と南中国やタイ・ラオス・ベトナムなどの現在まで存続してきた倭族の村落に日本の神社文化と根元が同じである共通文化が残ったと思われます。

 

『阿久悠日記を読む』を読む。(篆刻:悠)

20168117724.jpg
『阿久悠日記を読む』は副題で、書名は『不機嫌な作詞家』(三田完著、文芸春秋刊)で、
明治大学の阿久悠記念館保管の26年7ヵ月分の日記から、阿久悠の真実に迫る試みだ。

淡路島の巡査の次男として生まれ、8歳で兄が戦死、14歳で結核のため自宅療養などが
『時代おくれ』の歌詞の下地と知ったのは収穫だった。ヒットを出し、賞を立て続けに獲った
頃、父がポツリと一言「お前の歌は品がいいね」。それを勲章に彼は詞を書き続けたという。
この話は泣ける。小林旭の『熱き心に』は好きな歌だが、元はAGFのCMソング。私も何回か
お世話になった大森昭男さんプロデュースと知って驚いた。歌は『北帰行』の小林旭でスタート。
大森さんは大瀧詠一以外ならやらないと決めた。大瀧は曲が出来上がった夜中、妻を叩き
起こして「聴け!」と言った。そして彼はその曲の詞をまだ面識のなかった阿久悠に託した。
この話にも泣けた。宣弘社時代の後輩が昭和の絵師・上村一夫なのだが、上村から贈られた
イラストを阿久悠は自室の押し入れの中の正面に飾ったという。その篤い思いにも泣けた。

後半は壮絶な闘病の記録だが、腎臓癌の手術の直前にNHKの「課外授業」で母校の
小学生にスーツ姿で「ことばは道具ではなく心と知性そのものですから」と、伝えている。
最後の一行を読み終えて、自分の嗚咽に狼狽した。そんな本は滅多にあるものではない。

私が読んだのは2016年7月30日発行の第一刷。2007年のきょう8月1日、70歳で死去。

『梅ケ谷ゴミ屋敷の憂欝』は、面白かった。(篆刻:憂)

201635183749.jpg
『梅ケ谷ゴミ屋敷の憂鬱』はホラーサスペンス大賞特別賞を受賞したミステリー
作家・牧村泉の4冊目の本だが、帯には蛍光ピンクで「愉快爽快エンタメ!」と
ある。主人公・珠希は東京から大阪の夫の実家に同居することになったのだが、
その鉄筋2階建ての大きな家は粗大ゴミ置き場のよう。ゴミの種類はご想像に
任せるが、無数のゴミに負けじとガラクタのような人間が次々に湧いて出てくる。

その人間関係のもつれの主な原因は珠希が不倫によって離婚させた夫と元妻、
その娘。筆の向くまま登場させたような、とっ散らかった人間たちが後半になって
もつれた糸をほどき、切れた糸を結ぶように整然とつながりだす。読みはじめは
ミステリーよりこのジャンルの方がいいかもと気楽だったが、中盤は人間関係の
複雑さにうんざり気味に、後半で「愉快爽快エンタメ!」をひっくり返されて、これは
ミステリーではないかと舌を巻いた。おまけに東京から来た珠希の母が姑と会って
すぐ血走った目で逃げ帰った理由は、謎のままで残してあるという周到さなのだ。

先の芥川賞『異種婚姻譚』も夫婦の葛藤を描いたもので、夫婦はだんだん似て
くるというよくある話をもったいぶって書き連ね、最後は夫が山芍薬になってしまう。
「譚」に名を借りた安直さでも芥川賞だという、それの方がよほど憂欝ではないか。

※篆刻「憂」は、頭に喪章の麻ひもを巻いて愁える人の形。

気功を習うべきか。(篆刻:気)

201591152547.jpg
新聞広告で『気功治療』(日本AST協会)が目にとまった。気功など忘れていたが、
アマゾンで取寄せてみた。手当という言葉があるから、人は誰でも手などから気を
出せるのだが、私は普通の人より少し強く出せるらしい。体調や気力によって波が
あるが、霊能者という人と手を合わせて「あなたの方が強い」と言われたこともある。

表紙には「手から出る気が血液と骨と細胞を生かす」、「難病をも直すAST気功医術」
とある。現代医学と気功を併せた治療法なので、服薬などの医療と並行することでき、
ガンや狭心症にも効いて、黄色ブドウ球菌さえ消滅させるという。2003年には文科省
から研究費がおり、文科省認定の学会で多くの大学から成果が報告されているという。

誰でも病人の患部に長く手を置けば必ず多少は病気が治るけれど、病人のマイナス
の気が移動するから自己流で真似してはいけない。伝授によって修得すべきだという。
「年齢・性別・経験・知識をいっさい問わず誰にでもできる。最短2年でクリニック開業
レベルを修得できます。研修はわずかに月1回ずつ、今すぐ始められる気功」とある
のだが。この歳になって人の病気の治療など幸不幸に深く関わるなんて荷が重すぎる。

ちなみに「気」の旧字「氣」は食ヘンと氣で米や粟などを贈ること。篆刻を彫る手から石に
気を送りつつ、それを持つ人に幸多かれと願う。それで充分ではないか、と思うのだ。

 

『あまから手帖』と宮脇綾子さん。(篆刻:あ)

2015528181953.jpg
『あまから手帖』は関西ではよく知られた食の雑誌だと思う。創刊は1984年だから
雑誌としては老舗になる。京阪神エルマガジン社の発行で、初代編集長は重森守
さん。この編集レイアウトは私のいた会社がやり、巻頭の料理写真に添えた文章は
食などにまったく興味のない私が知った振りをして書いた。コピーライターは、そんな
ことを平気でする。それはさて置き、表紙を飾ったのは宮脇綾子さんのアプリケだ。

京都の伊勢丹で生誕110年の展覧会があったので、懐かしさで見に行ったのだが。
カミサンから「宮脇さんの作品を表紙に使ったのは、布好きのカミサンが読んでいた
家庭画報を私が見て、起用を提案した」と聞かされた。そんな経過は忘れていたが
お役に立てたのはうれしいこと。創刊号は「干しえび」だが、思ったより大作の実物を
拝見できた。どの作品も布への愛着とその布や柄を何とか生かしてあげられないかと
いう機知と工夫に富んでいて、とても素晴らしかった。「でも手仕事の部分はかなり
荒っぽいな」とつぶやいたら、カミサンは「次々にアイデアが出るから、細かい部分に
こだわっていられない」という。カミサンも布の細工をするから、なるほどなァと納得。

さて、重森さんも亡くなったあまから手帖の現在は、大人の愉しい食マガジンとして
クリエテ関西という会社の発行。私、食に関心はないけれど、頑張ってほしいです。

「仕事。」と幼児性。(篆刻:幼)

201516113714.jpg
仕事ではなく『仕事。』。川村元気という『電車男』を映画化したプロデューサーの
対談集(集英社)のタイトルで、人生を楽しくするために働くことを「仕事。」と呼ぶ。
まだ30代半ばの彼が、世界を面白くしてきた巨匠12人に聞く。自分と同じ歳の頃、
何を想い考え、どう働いたか。何に苦しみ、何を楽しんでここまでやってきたのか。

山田洋次は「批判する頭のよさより惚れ込む感性」、沢木耕太郎は「素人であり続け
ソロで生きられる力を」、杉本博司は「やるべきことは自分の原体験の中にあるから
自分に飽きないこと」、倉本聰は「世間から抜きん出るにはどこかで無理をしないと
いけない」、秋元康は「人間は間違うものだから、戻る力を磨く」、宮崎駿は「何でも
自分の肉眼で見る」、糸井重里は「仕事は人間の一部分だから、どう生きるかを
面白く」、篠山紀信は「世間をどうにかしようなんて、おこがましい。受容の精神が
大事」、谷川俊太郎は「人類全体の無意識にアクセスできる仕事がいい」、鈴木敏夫
は「当事者でありながら最高の野次馬に身を置く」、横尾忠則は「自分が見えている
道なんて不確かなもの。崩壊の先に新しい道を見つけることが多い」、坂本龍一は
「勉強は過去の真似をしないためにやる」と各人各様のしたたかさを披露している。

この12人に共通する何かがあるのに言葉に出来なかったが、昨夜のNHKの「プロ
フェッショナル」でエボラウィルス研究者の高田礼人を見て「幼児性」だと分かった。
人がいい意味での子どもっぽさを失うと、「仕事。」はただの仕事になってしまうのだ。

 

富士山の合力、近藤さん。(篆刻:富士山と合力)

2014119122514.jpg
待ちかねた『ぼくの仕事場は富士山です。』(近藤光一著、講談社)が届いたので、
早速読みはじめたが、ちょっとコワゴワでもあった。というのは、その近藤さんから
「富士山登山ガイドをしている、社名の合力(ごうりき)と富士山の篆刻が欲しい」との
問合せがあった。合力のHPを見るうちに、富士山と合力という文字が融合した
デザインが出来たのでメールして、ぜひ彫らせてくださいとお願いした。近藤さんは
「彫ってください。本を送りましょうか」と言われたが、篆刻が届いたらサインに押して
送ってくださいとお答えした。本を読めば違うイメージに変わるかもしれないのに。

合力は最後の強力と呼ばれた小俣彦太郎氏の言葉「自分を鍛えようと登る人に《力を
添え合わせ》目的を果たさせる男たち」にちなんだという。人と人、人と自然、訪問者と
地域の関係が力を貸して助け合い生まれる新しい社会を築きたい、という近藤さんの
願いが込められている。少人数、しかも通年のガイドという、エコツーリズムのまったく
新しい扉を開いた近藤さんの熱い想いと、紀元前から現代まで続く信仰の歴史や近藤
さんの一人ひとりに寄り添うガイドで富士山に登る人たちの数々のドラマを読むうちに、
この篆刻のデザインには富士山に手を合わせる、祈りのカタチがあることに気づいた。

近藤さん、先走ってデザインしましたが本の読後も篆刻は変わりません。正解でした。

 

写経は信仰、ではない。(篆刻:抜苦与楽)

2014101173514.jpg
奈良・薬師寺の入口には「与楽門」と石に刻まれている。1939年から30年間ここの
住職・法相宗管長を務めた高田凝胤(ぎょういん)師の話(※)を読んで、びっくりした。

師は平安から明治以降の近代仏教までをニセモノとして、日本仏教1200年の歴史を
拒絶する。「煩悩即菩提、生死即涅槃、即身成仏など人間をバカにした話だ。人間は
アホだから生まれながら自由、平等といえばよろこぶ。しかし事実は違っている。仏は
その違いが真理だという。真理だから貧乏人がつまらんやつとはいえん。それをミソも
クソも一つの考え方をしたのが弘法大師。天才だ、仏教を独創的に転換したとほめるが、
仏教を日本人にあうようにしても、それが人間全体にあうのか。」 さらに「親鸞の仏教は
弱い人間のための教えで人間を軽く見ている。人間の本当の良さを開発しないで、ただ
そのままでよいというのは人間をバカにしている」と手厳しい。では薬師寺金堂建立の
ため写経運動をして浄財を集め、テレビで人生教訓を述べ、仏教書を書く師のお弟子
(高田好胤)はとの問いに「写経運動は信仰ではなく、単なる民衆運動。僧侶は口(ぐ)法
より戒律が大切。その自覚のない坊主がしゃべり、書く。これは堕落です」と断罪する。

カミサンと二人で写経108巻を収め、安田管長から輪袈裟をいただき記念写真まで
撮った私たちではあるけれど・・・薬師寺だけに良薬は口に苦く、耳に痛いものです。

※『仏音 最後の名僧10人が語る「生きる喜び」』 高瀬広居著 朝日新聞社刊

 

ページ上部へ