地域

「天からの、贈りもの。」 ⑨幼稚園を、借りたい。(篆刻:幼)

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旧幼稚園を記念館として借りるための、市への要望書。冒頭の「狭川地区の現状」。

①住民の減少と高齢化によるあきらめの蔓延
・狭川10町では、住民の減少と高齢化が進行し、外部からの流入はほとんどあり
ません。・「狭川の会」の農業実態調査でも、狭川の農業は10~15年で消滅する
のではないかと危惧される状況です。・秋の運動会では、転出した子ども、孫などが
驚くほど多く集まります。また、「狭川の会」が神社の秋祭りで行った「金魚すくい」は
2年目でかなりの転出した親子が来て、よろこんでくれました。・しかし、そんな彼らが
狭川に戻り、住んでくれる可能性はほとんどありません。何をしても無駄、狭川は静か
に滅んでいくだろう・・・皆がそう考え、あきらめているのが、ここ狭川の現状です。

②立地が不便、知名度がない、特産品もない
・狭川は市の北東部のドン詰まり、外から来るのはゴルフ客ばかり。・狭川といえば
「東大寺の狭川さん?」と答えるのは、ましな方。・柳生や月ケ瀬のような知名度も
特産品も無い。ほとんどが年金での農業で、田植えや稲刈も昔のような家族総出は
珍しく、ほとんどが一人での農機作業。先祖代々の土地だから辞められないのです。
それでも、他地区にある「共同で営農」という動きは、狭川ではみられません。

「天からの、贈りもの」⑧神社に、収蔵庫を。(篆刻:九頭神社)

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狭川・巨木ロードの中核は、天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)をお祭りする
九頭神社。そこに巨木アートのメイン作品を新築の収蔵庫とともに置くこと。以前、
東部山間の地域おこし協力隊に一級建築士がいて、古民家再生をしたくて赴任
したが、退任したOさんを思い出して、収蔵庫の設計を打診した。彼はよろこんで
愛知から駆けつけて、素晴らしい案を出してくれたが。コンクリートの打ちっ放し、
意外性で注目されるだろうが、膨大な費用がかかる。断念して、次善の策を練る。

以前から気になっていた「板倉工法」。柱に溝を切って、横板を差し込む。さらに、
縦板を密着させると、防火構造になる。普通の木造の3倍の材木が要るために、
長野や東北など材木が豊富で、なおかつ土壁にし辛い寒冷地での工法なのだが。

まずはネットで「板倉工法 奈良」で検索してみると、工務店や建築士など、3件に
出会った。何はともあれと、メールで簡単な事情を伝えて返事を待った。翌日、中村
茂史という一級建築士から返事があって、明日は奈良の西ノ京にいるので、会って
話を聞いてくれるという。奈良で会ったが、とにかく九頭神社を見てもらい、夕方まで
話し込んだ。彼の息子さんが一条高校に通っているが、名前が「遊」と聞いて驚いた。
私の亡くなった息子も遊だから。板倉工法での設計をお願いする。快諾してくれた。

「天からの、贈りもの。」 ⑦狭川に、巨木ロードを。(篆刻:道)

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さて、手力男は巨木アートを使って、狭川をどう活性化するのか。まず、主祭神が
天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)である九頭神社に収蔵庫を造って、巨木
アートを置く。九頭神社の御旅所である田部神社にも、置く。神社の向かいの丘の
上にある、空き家の旧幼稚園を市から借りて、残りの巨木を置いて「ふじい忠一
記念館」にしよう。出来ればここに忠一さんの道具やチェーンブロックなどを置いて
アトリエを再現しよう。しかし、これでは細長い狭川の真ん中に巨木アートが集中
するだけだ。奈良市内から来ても、笠置から来ても、真ん中だけを見てUターン
されたら、狭川全体の活性化にならない。そこで、奈良側の両町の県道添いの
桜の根元にも巨木を、笠置側の広岡町にも巨木を、それもベンガラを塗って雨や
日差しに耐えるようにして、モニュメント的に設置すれば、奈良から来た人は広岡
まで、笠置から来たら両町まで、巨木を見に足を延ばしてもらえるのではないか。

名付けて「狭川・巨木ロード」。これが狭川の太い背骨になれば、おいおい周辺に
点在する歴史スポットにもつなげていける。それで狭川全体の骨格が形づくれるの
ではないか。つまり、県道33号線(笠置街道)に拡がる狭川の両端を、ふじい
忠一の巨木アートでつなぐこと。手力男のやるべきことの基本は、これで定まった。

「天からの、贈りもの。」④氏子も、賛成する。(篆刻:氏子)

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狭川・九頭神社は宮司ひとりと、9町を3ブロックにした代表・氏子総代3人で支え
らえている。4人は、毎月1日、18日に月並祭を行い、運営について協議・決定し、
それを9町の信徒総代に伝えて、協力を依頼する。3月1日に宮司が巨木アートの
話を氏子総代にする。昼過ぎに宮司が来て、4人で現物を見たい、4日に行きたいと
言ってきたのだが。相手のあることとだし、自治会の都合もある。自治連合会長にも
来てもらって、2人の前で藤井雅子さんに電話をした。4日で構わないと言ってくれた
ので、神社、自治会、出張所の総勢9人で伺うことをお願いした。さて、3月4日に。

案の定、誰もが巨木のすごさに圧倒された。せっかく人数がいるからと、主な作品を
撮影し、寸法も測って、記録した。帰り道にやぶっちゃ温泉がある。食事をしながら
感想を聞くと、「神社と狭川の活性化のためにいただこう」と全員の意見が一致した。

帰って早速竹内さんに電話をすると、ちょうどいま、ふじい夫妻から郵便で確認書が
届いたといい、すぐにファックスをくれた。「巨木アート作品及び材木等を当方の要請
により無償にて譲り渡す」。忠一さんが震えながら、奥さんはしっかり捺印してくれて
いる。私がハシゴを外されることにならないようにと竹内さんが配慮してくださったこと。
奥さんにお礼の電話を入れると「忠一に会って欲しい、明日病院で」という急展開に。

「天からの、贈りもの。」③狭川に、やる気を。(篆刻:ヤル気)

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竹内夫妻が快諾してくださったので、お礼に美味しい蕎麦を食べていただくことに
した。というのも、一緒に巨木を見に行った守田蔵さんは、浄瑠璃寺門前で蕎麦屋を
していて、拾子さんも行きつけだったから。蔵さんと知り合ったのも拾子さんの紹介。

蕎麦をいただきながら、蔵さんに「狭川の町おこしに使わせてもらうことになった」と
話す。蔵さんは、かつて白洲正子に愛でられた陶芸家だし、現在は正倉院御物の
撥鏤(ばちる)の復元をしているアーチスト。付合いのある奈良工藝館にふじい忠一
さんが巨木を手放す話をしていたようで、そもそもアート作品をタダで貰うことには
反対のようだったが、そこまで話が決まっているのならと、なんとか賛同してくれた。
その後、車で15分足らずだからと、九頭神社を見ていただくことにした。3人は鳥居を
くぐって、階段を拝殿まで登り、参拝を済ませて「いい神社ですね」と言ってくださった。

ここまで決まったのだから、次のステップに進もうと、25日に宮司、自治連合会、狭川
の会、市・出張所の振興係、5人に集まってもらって、事の次第を説明した。ひとりは
半信半疑だったが、4人は賛成。「巨木アートで、狭川を活性化しよう」という方向は
定まった。誰も思いつかない巨木アートが狭川を刺激する。「やる気があれば、巨木も
曲がる」、「やる木、げん木」というキー・ワードも決まった。いよいよ、巨木が動き出した。

店が、無い。(篆刻:店)

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約35年前、この狭川に越して来た時は肉と果物を売る店があった。村の宴会の
たびに、そこで肉を買い、野菜は持ち寄りでスキ焼きをした。肉など誰もありがた
がらなくなって仕出し弁当に替わった頃、その店は閉まり、店の家族は奈良市内に
出て行った。残った店はただ一軒で酒、タバコ、菓子などを扱う何でも屋だったが。

18歳になれば男女問わず免許を取る時代。車で量販店に行けば、ワンストップで
安いから敵うはずもない。宅急便、郵便、クリーニングと手を拡げてみても多寡が
知れている。夏の終わりに村の集会で「10月末で商品販売は終了」と伝えられたが
「地域でただひとつの店が無くなっては大変」、「出来るだけ買い物をしよう」などと
声を上げる者はなく、予告通り販売を終了した。タバコは在庫が無くなったが、酒は
棚に残ったままホコリをかぶっている。賞味期限が切れて、廃棄するしかないだろう。

かなり前に農協の支所は閉鎖され、ATMと精米機は残ったが、利用客が少ないので
撤去が決まっている。平成28年4月1日現在、狭川地区10町の世帯数は194で、
人口は444人。0~14歳は26人、15~64歳は215人、65歳以上が203人。人口は
10年で150人近く減っている。家族の平均は2.3人。田んぼだった土地に太陽光発電
のパネルが増えている。やっと3地区の真ん中に診療所が出来たのはニュースだが。

アライグマ、闖入す。(写真:爪痕)

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写真はアライグマの爪痕。家の外壁には何か所かあるが、これは家の中のもの。
母屋と離れの間の土間には庭に出る引き戸があるのだが、猫が出入りする穴を
開けている。私が寝る前にフタを締めるのだが、その夜はそろそろ締めようかと
思った頃、そこでゴトゴトと音がした。いちばん大きい(猫の)カモが入ったかと
行ったが、カモはいないのでフタを閉めて、母屋に行きかかったら、猫穴のあたりで
ガリガリという音。さてはアライグマを閉めこんでしまったかと思った時、胴の長さ
50センチもの大きなアライグマが足もとをすり抜け、母屋の座敷を駆けずり廻った。

どこにも出口がないので、また猫穴に戻って、ガリガリやる。追い込んで反撃され
たり、引っ掻かれたりしたら大怪我をするから、裏の戸を開けて逃げ道をつくった。
外の空気が入ったのを察知して飛び出ていき、爪痕の置き土産で一件落着したが。

カミサンは以前、ガレージの前でファミリーを見かけている。隣の空き地の朽ちた
プレハブ小屋に住んでいるらしい。屋根裏に住みつかれて、フンをされたり、子を
産んだりした話も聞くが、我が家は何とか水際で撃退している。イノシシ、サルは
珍しくないし、狭川地区内ではシカの食害も出はじめた。若者は出て行き人間は
減る一方で、有害動物だけが増え続ける。自然は豊かだけど、悩みも多いです。

 

田んぼで、発電。(篆刻:田)

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ここ奈良市の下狭川には、かつて白砂川(水力)発電所があり、明治41年に明治
天皇が奈良に行幸されたとき県公会堂と周辺に送電した。初めて奈良市に電灯が
灯ったのがこの時だという。川添いの崖下には石垣が残り、その施設跡だと分かる。

そして、いま。狭川のあちらこちらで、また発電が始まっている。そう、太陽光発電
パネルが田んぼの中に散見されるのだ。それも狭川地区でいちばん広く、良い稲が
とれるという地域でのこと。おそらく休耕地、耕作放棄地を農地から別の地目に転用
して発電事業者に転売か貸借してのことだと思う。若く元気な子供がいても通勤や
学校のために奈良市内や隣の木津川市に出てしまうことが多い。車で30分ほど
だろうに年2回の田植・稲刈に手伝いに来るのはどれほどか。実家に戻って農業
を継ぐこともないだろう。機械化で高齢でも作業が出来るとはいえ、機械のローンや
肥料購入費用に比べて米の買取り価格は低迷したままだから、農業を続けることの
負担は大きくなるばかり。田んぼだけでなく、京都府との境の東向きの山では森林の
伐採、整地が進んで、大規模な発電施設の建設が始まっている。この西狭川町でも
県道沿いで100坪ほどの空地にもパネルが敷き詰められた。美しいものではない。

自然エネルギー促進の名のもとに、農地が歯抜けのように減り、景観は乱れていく。

里山の、死。(篆刻:枯)

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この奈良市東部山間でもナラ枯れが拡がっている。縁側から見える向かいの雑木林
でも、枯れ木が目立つ。植林したスギ、ヒノキの山は緑だから、その落差が痛々しい。

ナラ枯れはナラ、カシ、シイなどがカシノナガキクイムシ(カシナガ)の運ぶ病原菌により
次々に枯れること。このブログで「楢が枯れる。」と書いたのは2年前、春日原始林で
被害が確認されて県と市が対策に乗り出した頃なのだが。去年は生駒市でナラ枯れに
関連するとみられる危険なキノコ・カエンタケも発生し、いま京都の県境に近いここまで
北上、拡大した。対策は成功していないし、後手に回っているのは明らかなのだが。
対策といっても薬剤の注入・塗布、枯れ死木の伐採処理などで対症療法だし、肝心の
原因は分からない。里山林を薪炭にしなくなったのでカシナガの好む大径木が増えた
という説もあるし、カモシカしか行かない山地でもナラ枯れはあると論争が続いている。

この25軒ほどの町内で薪で風呂を焚く家は1軒だけ。それも里山林のナラ、クヌギなど
ではなくスギ、ヒノキの植林山の間伐材を使っている。植林山を間伐しているのはマシな
方で、放置した山がほとんどではないか。実に残念なことだが、里山などはとっくの昔に
死んでいる。向かいの山にナラ枯れがある、目の前の棚田の中にも耕作放棄した草むら
がある。それがあるがままの姿だと思わなければ仕方ない。すごく残念ではあるけれど。

 

タモリに、教わる。(篆刻:春日)

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奈良の東向商店街は近鉄奈良駅から南に下っているのだが、それがなぜ東向きと
いうのかをNHKの「ブラタモリ」で教えてもらった。通りの東側は昔の断層で生まれた
崖で、その上は興福寺。興福寺にお尻を向ける訳にはいかないから、店はみな東を
向いていたからだという。いまでは純和風の教会も有名な奈良漬けの店も揃って
お尻を向けているから、奈良の住民でもどれほどの人がいわれを知っているだろう。

この放送は見そこなったので、日曜日の午後1時からの再放送を見たのだが。その
内容を知らぬまま午前中は春日大社に出かけていた。60回目となる「式年造替」で、
御本殿「後殿(うしろどの)」と「磐座(いわくら)」、御仮殿(移殿)が拝観できたし禁足地
「御蓋山浮雲峰遥拝所(みかさやまうきぐものみねようはいじょ)」も特別に参拝できた。
帰ってきて昼食を食べながら見た再放送で、タモリたちも我々がさっき行った同じ
場所にいるのが不思議な感覚だったが、4つ並んだ本殿が地形をそのままに保つ
ため階段状になっているという。行列について移動していたし、見上げたら雨樋が
大木をくり抜いた丸木舟のようで驚き、足元のそれにはまったく気がつかなかった。

奈良にいたら、いつでも行けるし見られると思って、結局は何にも知らない。奈良の
地名は段差を「ならす」からという説も教えられた。奈良に無知なことを反省してます。

 

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