篆刻

「天からの、贈りもの。」⑫幼稚園を、断念。(篆刻:断)

2019831172828.jpg
出張所を通じて奈良市長宛てに旧幼稚園を貸してほしいという要望書を出したのは
4月の16日だったが。市の教育委員会から1回説明を受けたままで、日が過ぎて
いった。返事が来たのは、約2ヵ月後の6月14日。出張所長の話は、こうだった。

狭川の幼稚園は大柳生に統合されてからも、地主に地代を払っている。もし、市が
手力男に幼稚園を貸す、または無償譲渡の契約を結べば、同時に市は地主に土地を
現状復帰して返却し、手力男と地主の再契約になる。その場合は、入り組んだ数人の
地主によって測量が必要で、負担は地主になる。市も、幼稚園のプールや進入路の
フェンスを撤去しなければならない。要するに、手力男のために市や地主は新たな
出費を迫られることになる。はっきりと言わないまでも、幼稚園を使ってもらうと、
困ったことになる、ということだ。そんな話で2ヵ月待たされるなんて、と思ったが。

旧農協の倉庫に巨木アートを仮置きして以来、坂の上の幼稚園より県道沿いのここの
方がいい、という声は日に日に多くなっている。幼稚園の要望を取り下げることにする。
旧農協の広い倉庫を「ふじい忠一記念館」にする、と決める。農協は、土地建物は貸さ
ない、売却すると一貫している。手力男が購入するとしたら価格はいくらかと交渉を
始める。すると農協も手力男以外の希望者を募りはじめた。他に欲しい人はいるのか。

「天からの、贈りもの。」⑨幼稚園を、借りたい。(篆刻:幼)

201984174944.jpg
旧幼稚園を記念館として借りるための、市への要望書。冒頭の「狭川地区の現状」。

①住民の減少と高齢化によるあきらめの蔓延
・狭川10町では、住民の減少と高齢化が進行し、外部からの流入はほとんどあり
ません。・「狭川の会」の農業実態調査でも、狭川の農業は10~15年で消滅する
のではないかと危惧される状況です。・秋の運動会では、転出した子ども、孫などが
驚くほど多く集まります。また、「狭川の会」が神社の秋祭りで行った「金魚すくい」は
2年目でかなりの転出した親子が来て、よろこんでくれました。・しかし、そんな彼らが
狭川に戻り、住んでくれる可能性はほとんどありません。何をしても無駄、狭川は静か
に滅んでいくだろう・・・皆がそう考え、あきらめているのが、ここ狭川の現状です。

②立地が不便、知名度がない、特産品もない
・狭川は市の北東部のドン詰まり、外から来るのはゴルフ客ばかり。・狭川といえば
「東大寺の狭川さん?」と答えるのは、ましな方。・柳生や月ケ瀬のような知名度も
特産品も無い。ほとんどが年金での農業で、田植えや稲刈も昔のような家族総出は
珍しく、ほとんどが一人での農機作業。先祖代々の土地だから辞められないのです。
それでも、他地区にある「共同で営農」という動きは、狭川ではみられません。

「天からの、贈りもの。」⑧神社に、収蔵庫を。(篆刻:九頭神社)

20197191856.jpg
狭川・巨木ロードの中核は、天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)をお祭りする
九頭神社。そこに巨木アートのメイン作品を新築の収蔵庫とともに置くこと。以前、
東部山間の地域おこし協力隊に一級建築士がいて、古民家再生をしたくて赴任
したが、退任したOさんを思い出して、収蔵庫の設計を打診した。彼はよろこんで
愛知から駆けつけて、素晴らしい案を出してくれたが。コンクリートの打ちっ放し、
意外性で注目されるだろうが、膨大な費用がかかる。断念して、次善の策を練る。

以前から気になっていた「板倉工法」。柱に溝を切って、横板を差し込む。さらに、
縦板を密着させると、防火構造になる。普通の木造の3倍の材木が要るために、
長野や東北など材木が豊富で、なおかつ土壁にし辛い寒冷地での工法なのだが。

まずはネットで「板倉工法 奈良」で検索してみると、工務店や建築士など、3件に
出会った。何はともあれと、メールで簡単な事情を伝えて返事を待った。翌日、中村
茂史という一級建築士から返事があって、明日は奈良の西ノ京にいるので、会って
話を聞いてくれるという。奈良で会ったが、とにかく九頭神社を見てもらい、夕方まで
話し込んだ。彼の息子さんが一条高校に通っているが、名前が「遊」と聞いて驚いた。
私の亡くなった息子も遊だから。板倉工法での設計をお願いする。快諾してくれた。

桃栗三年、柿三十五年。(篆刻:柿)

20189201761.jpg
庭で花や実を見つけて、「あ、こんなところに。写真を撮らなきゃ!」と思うのだが、
撮り忘れるだけでなく、それが何だったかが思いだせない。昨日も、そんなことが
あって、さっき篆刻を彫りながら、ふと思い出したのは、庭の「柿の実」なのだった。

柿がなって何が珍しいか。その柿の木は、ここに越してきてすぐ、子どもが小学校
高学年、柿を食べて種を飛ばして遊んだ、その種が育ったものなのだ。庭の右寄り
に生えたし単調さを破るアクセントだから、適度な高さで剪定し続けて、35年。花は
咲くけど実はならないと、あきらめていたのに、柿色の実があったのだから驚いた。
桃栗三年、柿三十五年! また忘れてはと、雨の中、傘をさして撮った。暗い写真を
パソコンで明るくして見たら、もう熟して割れも入っている。亡くなった遊の飛ばした
種か、弟の種かは判らないが、熟れて落ちるのも忍びないから摘んで仏壇に供えた。

今日は、亡くなった息子さんの名前を彫った篆刻を発送した。先日、納骨が済んで、
この28日の一周忌に仏壇に供えるという。名前を口にするだけで涙が出ると言い
ながら頼まれた篆刻だから、名前に込められたご両親の想いを私なりに形にしたの
だが、デザインをしながら何度か胸にこみ上げるものがあった。まだ1年に満たない
なら無理もないけど。日にちという薬もある。思いがけない実がなるかもしれません。

蔦屋(ツタヤ)へ、綱渡り。(篆刻:蔦)

2018811102357.jpg
ありがたいご縁があって、枚方(ひらかた)T-SITEで、8月20日~26日まで、篆刻展
「言葉を、花に。」をさせていただくことになった。枚方はCCC創業の地で、蔦屋書店を
核に、床面積は代官山、湘南を抜いて最大。その4階イベントスペースをお借りする。

篆刻の額装、軸装、そして石そのものも販売するので、品番とバーコードが用意されて、
いつもとずいぶん勝手が違うけれど、9日に最終打ち合わせを終えて、いよいよ準備は
詰めに入る。篆刻を和紙に押した時期が猛暑で、印泥(肉)がべたついて手間取ったが、
なんとか裏打ちも出来上がって、それを額に収めるのだが。ここで思わぬ大問題が発生。

額縁は日本の業者がタイの工場で作っている。予定では楽々間に合うはずだったのだが、
コンテナを積んだ船が台風13号で港に接岸できない、台風が通りすぎると盆休みになり、
画材店に届くのが搬入前日の18日だという。裏打ちした印影は渡してあるし、窓を開ける
マット紙も決めてあるので、出来ることは全部済ませて、額が届いたら、即それを入れる。
夜中でもやります、と言ってくれている。搬入の19日に受け取って、その足でT-SITEに
向かうことになりそう。ただ、展示の準備は夜8時の閉店から、というのが、唯一の救い。
無事、20日の10時に開始できるか、綱渡り。蔦(つたかずら)が木にからまるのは吉祥と
されるらしいけれど、偶然8月20日は私の72歳の誕生日。ただただ吉祥を願うばかり。

アリには、驚いた。(篆刻:蟻)

20186518410.jpg
宮本武蔵は仇討に行く娘に、「その場にアリがいたら勝てる」と言ったそうだ。アリは
どこにでもいるが、冷静沈着でなければ小さなアリの存在も動きも見えないからだ。

先日、裏の坂に卯の花が散っていたのだが、そこから2メートルも上に、その花びらが
かたまって山のようになっている。そのそばにはアリの巣穴がある。目を凝らすと、アリが
花びらをそこに運んでいるのだが、山まで運ぶアリと山から穴に運ぶアリが別のようで、
中継基地をはさんで分業しているらしい。その後、雨が降って、花びらの山も腐ったように
なったが、雨上がりには花びらでなく棒状の花芯を、中継せずダイレクトに巣穴に運び
はじめた。そして今朝は、枯れた花びらを運んでいて、花芯のついた花びらも運ばれて
いた。アリが花びらや花芯を餌として貯蔵するのは、それほど不思議とも思わないけれど、
中継基地を作り、そこをはさんで2つのグループが分業している、その知恵には驚いた。

折しも熊谷守一の映画「モリのいる場所」が公開されている。熊谷は庭でアリを飽きずに
観察して、どの足からか歩き出すかを知っていたという。アリが中継基地を作ることだって
知っていただろうか。東京・板橋の熊谷守一美術館「ギャラリー榧」で個展をしてから、もう
8年がたった。熊谷の眼は慈愛にあふれているが山崎努は鋭すぎるし、樹木希林も鼻に
つくから映画は観ずに、アリの方は見続けようと思う。そうそう、熊谷は篆刻も自作した。

「無心」に咲いた。(篆刻:無心)

20184914355.jpg
平成6年から、春、翌年の秋、翌々年の春と3年に2回続けた「三游会」が昨日、
第17回で終了した。野の花と遊ぶ「花の会」、陶芸の尾崎円哉さんと楽篆堂の「三」
だったが尾崎さんが事情で途中から抜けて、実質的には「二游会」になったけれど。
最終回は「無心」。大額の篆刻「工夫は平生にあり、席に臨んでは無分別」さながら
花の会の皆さんは開花の不順にも動じず、百野草荘の桜や椿に助けられ、尾崎さん
の花器に見事に活け切った。篆刻は新作、旧作を含めて約25点を「無」で統一した。

案内はがきに“最後の”三游会と書いて、皆さん驚かれたようだが、受付でお渡しした
お礼の言葉のとおり、大規模な野の花の発表はほとんどの花を野山から活けるだけ
いただくため、メンバーの高齢化、野山の環境の変化で、これ以上は難しいという判断
をした次第。25年近く、本当にたくさんの方々にご覧いただき、また事故もなくやって
来られたことを感謝しつつ、共同展としての三游会は幕を下ろしました。本当に有難く、
改めてお礼申し上げます。ただ、篆刻の楽篆堂は、花のような生ものではなく、石が
相手の仕事だから、まだ頭と手が元気なうちは、あと何回かは発表をするつもりです。

この3日間、これまでの1.5倍の方々とお会いしたけれど、不思議と疲れていない。
額装の篆刻のように「桜、必死に咲けば、散って悔い無し」。本当に有難うございました。

若者たちに、「篆刻」を。(篆刻:冓)

201826112738.jpg
大学は教育学部だったがコピーライターになるためだから、社会科学科を選び、教職
課程もとっていない。それが教育大学で3時間も話をすることになるとは夢にも思わ
なかった。呼んでくださったのは出野文莉(張莉)先生で、ご主人の正さんとともに私の
篆刻に理解を示してくださっている。書道の先生を目指す若者たちが、真面目に美しく
書くことに専念しているので、私の不常識な篆刻で刺激を与えたい、ということらしい。

私の篆刻の話をすればよいということだが、さて「楽篆堂・田中快旺の篆刻」とは何か。
ここまで独学、直感でやってきたが、改めて見直すことになって、とても有り難かった。
HPのイントロでも「彫って楽しい、見ておもしろい、押してうれしい」、「新しくて懐かしい
篆刻を」と書いているが、それを具体的に示さざるを得ない。近々「不常識篆刻講座」
でも説明するが、文字が生まれた時の物語を現代に生かすには、中国の清の時代の
書と篆刻の融合、いわば「運筆的篆刻」を脱却すべきと再認識したのは大きな成果。

若者たちは張莉先生も驚くほど熱心に聞いてくれて、びっしりと書かれた感想文でも
苦手だった篆刻が楽しく身近になったという声が多かった。講の「冓」は白川先生の
『字統』によれば、上下の組み紐をつないだ形だという。講義などとはおこがましいが、
50歳も年の違う若者たちと、篆刻で「知好楽」から「遊」へと共鳴できたのはうれしい。

創造は、思いつき。(篆刻:壮馬&ピアノ)

201712192836.jpg
五風舎の個展では「素晴らしいですね」と言ってくださる方もいて、そんな時は「いえ、
思いつきばかりで」とお答えしたのだけれど。大映京都撮影所の名録音技師だった
故・大谷巌さんが「芸術っていうのは、その場その場の思いつきだ」と言っていたと
毎日新聞で読んで、やっぱり!と膝を叩いた。私の篆刻が芸術とは言わないけれど。

篆刻は、ピアノの演奏・教育をされる方からの「ピアノと姓名を」とのご希望だったが、
名前だけの方がすっきりするのではと名字は入れないことにした。ところが、実際に
デザインしてみるとピアノのへこみが気になるし、もったいない。漢字では重いし邪魔
だけれど、カタカナなら入りそうと思いついた。書いてみたら縦の線が音符になりそう
だと、また思いついた。その思いつきをラフにして見ていただくと、「発想豊かなデザ
インですね!個性的で、遊び心があります!この案で進めてください。」とお許しが出た
ので、精度を上げてフィニッシュにかかった次第。思いつきで、こんな篆刻になりました。

思いつきといえばその場しのぎに聞こえるけれど、経験を重ねるうちに増えるアイデア
の抽斗(ひきだし)ではないか。莫山先生から聞いた「中国の篆刻家が弟子入りを頼ん
だら、師はただ空箱を突き出した。これに彫った石屑が溜まったら、またおいで。」という
話を思い出した。四の五の言わず、ただ彫る。その経験から思いつきは生まれる、はず。

「運命」というブランド。(篆刻:NUSARI)

20171124131611.jpg
市英久くんは遊のバイク仲間だったが、鈴鹿でバイクのマフラーを製作して
いる。以前、ブランド・ロゴ“areman(アーマン)”のデザインを依頼された。
出身の与論島でヤドカリのこと、工場を借りているからだと聞いて、笑った。
バイクではなくホンダ・ビートという古いスポーツカーのマフラーを頼まれた
のだが、その出来栄えに満足されて販売権をもらえたので、新しいブランドを
立ち上げるという。ブランド名“NUSARI”は与論の言葉で「運命」。話を聞いて
すぐにSを斜めにするイメージが沸き、篆刻はそのイメージで出来上がった。

ただ、ステッカーやパッケージには全体を太くして、文字の先端はシャープに
したいというので、篆刻をベースにイラストレーターで作画して、画像で納品
した。画像はすぐメールで送れるが、篆刻は郵送になる。郵便局では鈴鹿なら
翌日着と聞いたが土日をはさんで3日もかかった。遅れを詫びたら「与論島は
朝刊の配達は夕方、週刊誌は1週間遅れで、まったく気になりません」という。

亡くなった遊の友だちが、自分の好きなことを仕事にして頑張っているのは
何よりうれしい。しかも、時代に流されず、生まれ育った郷土の良き価値観を
失わないのも、素晴らしい。新ブランド“NUSARI”に、良き運命よ、来たれ!

ページ上部へ