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「天からの、贈りもの。」⑬手力男の、マークを。(画像:手力男)

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NPO法人「手力男(タヂカラオ)」の設立準備委員会を立ち上げてすぐ、マークを
思いついた。怪力の神様・天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)にちなんで、丸の
中に力こぶを3つ巴にして、手力男3文字を上から時計逆回りに入れることにした。

基本の形は決まって、大阪の知り合いのデザイナーにフィニッシュを頼んだのだが、
どうもしっくりこない。東京のHILLS(ヒルズ)というデザイン会社は、依岡昭三氏と
私が、1984年に設立したもので、私が辞めてからも、パナソニックといい仕事を
続けている。ズームなど松下系のプロダクションが消えたいまも、頑張っているのは
ほとんど奇跡に近い。カメラの森善之さんがヒルズを紹介してほしいというので、京都の
オフィスに一緒に行って、手力男とマークの話をする。社長の堤本勝久さんが、快く
引き受けてくれた。ギャラは、狭川のこの秋の新米30キロだから、出血大サービス
だが、都会人の彼らは大よろこび。ほどなく、どこに出しても胸を張れるマークが届いた。

担当の女性デザイナーが頑張ってくれたから、彼女にも別に新米5キロを送る約束を
した。力こぶ3つは、手力男と神社と自治会とかに決める必要はない。手力男とふじい
忠一さんと狭川とか、狭川と奈良市東部と奈良市全体とか、とにかく狭川を元気にする
ために、そのつど、目的に応じて力を合わせる、協力するというシンボルなのだから。

ご近所の歌丸さん。(篆刻:歌)

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広告プロダクショのAZ(エージー)で新入コピーライターの私に、大幹部だか大顧問
だかの黒須田伸次郎先生が、「おまえ、いいところに住んでるなァ!」とおっしゃった。
(先生の名作は「ゴホン!といえば龍角散」) 黒須田先生は横浜国大の先生だった
らしいから、私のその頃の住所、横浜市南区永楽町が昔の歓楽街、花街だったことも
よくご存じだったのだろう。11月の酉の市で賑わう大鷲(おおとり)神社の門前町なので、
関内駅や伊勢佐木町に向かう道には夕方から赤提灯が灯る小さな店が何軒もあった。

私の生まれは鶴見だが、住宅地で家具屋をしていたから、音の苦情もあって永楽町に
越した。すぐ隣りが真金(まがね)町で、2、3ブロック先には桂歌丸師匠の、元・妓楼
だった家がある。Wikiによれば、ご近所だった頃、歌丸師匠は真打に昇進しているが、
町内がお祝いムードになった記憶もない。『笑点』という番組も、たまには見てはいるが、
本当の大喜利ではなく、構成作家が何人もいて、本番前にそっくり同じリハーサルをする
と聞いてからは白けながら見ている程度。ご近所以外に歌丸師匠とは何のご縁もない。

昔、大阪のキャノン・ギャラリーのパーティーで、ヌードモデルが横浜・鶴見の出身という
から「私も鶴見だ」と言ったら、それがどうした?という顔をされた。この話も亡くなったと
聞いたので書いたけど、「それがどうした?」でしょうね、きっと。なにはともあれ、合掌。

古稀と「知好楽」。(篆刻:知好楽)

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古稀などまだ他人事と考えていたから意味も知らなかったが、自分事になったので
作品にすることにした。杜甫の詩「酒債尋常行処有(酒のツケは行く先々に有る)」に
続く「人生七十古来稀」で、その対比が面白い。対の作品は10月28~30日、奈良・
大乗院の三游会でのお楽しみに。70歳の実感などないけれど、周囲の変化はある。

運転免許の更新時に70歳になるので高齢者講習を受けろという。同年代よりやや
優れているようで、ひと安心。健康保険の負担が3割から2割になって、バス代も
ここから奈良まで700円だったのが100円で済む。高齢者として優遇していただき
ながら、小学校4年の盲腸以来病気らしい病気もない。広告の仕事は好きだったし
マクドナルド、P&G、ローソンなどのスタートを担えたのもラッキーだった。65歳の頃
篆刻に軸足を移してからも、ほぼ理想的なHPシステムのおかげもあって、間断なく
篆刻の注文をいただき、一人ひとりのご要望をどう形に出来るか楽しくてしかたない。

篆刻「知好楽」は、論語の「これを知る者は好む者にかなわず、好む者も楽しむ者に
かなわず」による。苦しいこともあったけれど好きだった広告は、不特定多数が相手。
いまはマンツーマンの篆刻で、出来上がりへの反応がダイレクトにいただける。だから
ますます頑張れる。知より好、好より楽が実感できる、きょう70歳の私は幸せ者だ。

山茶花は、サンサカだった。(銅印:茶)

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昔、女性下着のCMで「素肌にきいてみてほしい。」という訳の分からないナレー
ションを書いて、スーパーにも入れようとしたが、漢字は「聞いて」か「聴いて」かと
迷って、国立国語研究所に電話で問合わせた。「日本語は絶えず流動変化する
ものなので、お答えできない」と言われて、ならばと「聴」にしたような記憶がある。

我が百野草荘の山茶花は胴回り40センチほどの大木だが、満開も過ぎて根元は
散った花びらでピンク一色になっている。「山茶花」はサザンカなのだが、本来は
漢字の通りサンサカと呼んだと、毎日新聞の『余禄』にあった。サザンカの英語名も
言い間違いのまま「sasanqua」になっている。「舌つづみを打つ」が「舌づつみ」と
間違えたりする、音の入替りをメタセシスというらしい。「新し」は古くは「あらたし」
だったが、「あたらし」になって定着してしまった。正しさよりも言い易さの方が強くて
拡がりやすいのだ。(中国では山茶はツバキを指し、サザンカは茶梅というらしい)

隣りのOさんは「体」のことをいつも「カダラ」と言う。カラダと言いにくいそうで、笑い
ながら真似をすると「カダラ」は確かに言い易い。もう10年もしたら、この狭川地区で
体はカダラになり、50年もたてば日本中がカダラと言うようになるのが楽しみだが、
それまで生きていられない。カダラ、いや体も流動変化し、ついには消滅するから。

音楽企画センターで、コマソンを。(篆刻:音楽)

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日経新聞の11月28日の訃報欄に「越部信義氏(こしべ・のぶよし=作曲家)21日、
脳梗塞のため死去、81歳。童謡「おもちゃのチャチャチャ」やテレビアニメ「パーマン」
「マッハGoGoGo」の主題歌を作曲し、「サザエさん」の音楽なども手掛けた。」とある。

他の作品を検索してみると「紅三四郎」、「みなしごハッチ」は「音楽:越部信義・
音楽企画センター」になっている。この音楽企画センターで、私は大学1、2年の頃
アルバイトをした。地方ラジオ局が盛んにコマーシャルソング・コンテストをしていた
時代で、その作詞をした。デュボア・ヘアブラシなら♪デュ、デュ、デュボア~♪とか
書いて、入賞すれば3千円だかの小遣いが貰えた。越部さんが音楽企画センターに
欠かせない存在らしいことは知っていたが、バイトごときに接点などない。「マッハ
GoGoGo」を作詞した伊藤アキラさんは宇宙人のような顔で優しくしてくれたが、そこに
居続ければコマソン作家になりかねない。若くて広告界への夢があったから辞めた。

越部さんは三木鶏郎の冗談工房に所属したし、野坂昭如作詞の「おもちゃのチャチャ
チャ」は日本レコード大賞童謡賞を受賞した。いまにして思えば、人生にタラレバは
ないけれど、音楽企画センターで作詞家になっていたら、テレビアニメの主題歌ひとつ
くらいは書いただろうし・・・いや、私は広告から篆刻へ、この道に悔いはありません。

 

小塚さんのつくった、書体。(画像:小塚明朝)

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私が大卒でコピーライターになった時、広告原稿の文字は写真植字(写植)になった
直後だったようだ。写植は活字印刷に代わって、印画紙に文字を焼きつける画期的
な新技術だったが、新聞印刷の世界でも活字から写植に切り替わる転換期だった
らしい。1949年毎日新聞社に入り、55年から書体制作室のチーフデザイナーとして
約15万字を制作したのが小塚昌彦氏。毎日在籍中から写植機メーカーと新書体の
開発に貢献するが、定年後はモリサワで「新ゴ」を開発、IllustratorやPhotoshopの
アドビで日本語タイポグラフィディレクターとして「小塚明朝、小塚ゴシック」を制作した。

金属活字の母型鋳造からスタートして最先端のグラフィック・ソフトにいたる足跡を記録
した『ぼくのつくった書体の話』(グラフィック社)は、篆刻という文字を扱う私にとっても、
数々の示唆や教訓に富んでいるが、日本語書体の研究家・デザイナーの先駆者である
故・佐藤敬之輔氏の逸話がある。「ひらがなのフォルムで悩み、イギリスに渡り転機を
探った佐藤氏が、日本に帰り自宅そばのススキの鋭くしなやかな葉を見てやっと書体の
インスピレーションを得た」という話は、コミュニケーションの道具である文字の美しさと
その本質を言い当てている。余談だが、株式欄が多すぎる日経新聞から他に変える
なら毎日新聞かと考えている。内容はともかく書体制作者が尊敬できるからなのだが。

 

壽屋の、開高さん。(篆刻:壽)

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『壽屋コピーライター 開高健』(たる出版)という本。これは、読まずにはいられない。
開高健は小説家を熱望しつつ苦悶する最中、子どものミルク代のために宣伝文案を
書いて生涯初の原稿料1枚500円を手にする。それを渡したのは佐治敬三。それが
機で壽屋の社員だった妻・牧羊子と開高のトレードが成立する。それで開高は「広告人
即小説家」であることを運命づけられ、開高と佐治の稀有ともいえる交流も始まった。

著者の坪松博之氏はサントリーの広報部で編集の方だが、開高の広告と小説を
合わせ鏡のように時代を追いつつ解説し、随所で関わりの深かった人々の言葉を
交えながら、人間・開高健の深く厚い肖像を浮かび上がらせていく。多くの人々の
中でも、やはり佐治との「兄弟のようだが、兄弟でもこうはいかない」ほどの関係こそ、
開高を開高たらしめたことを強く印象づける構成は見事。キーワードは「水仙」だ。

開高はベトナムに疲れて訪れた越前で、地中海、シルクロードを経て越前岬にたどり
ついた水仙に自身を重ね合せたようだ。お別れの会には3千本の越前水仙が用意
され、納骨式法要にも球根の水仙が届けられた。佐治はその球根を持ち帰り、大阪の
自宅に植えた。「開高は佐治に沢山の言葉を届けていた。最後に開高からもたらされた
メッセージ、それは白い水仙の花であった。」「佐治は水仙に語りかけていたのである。」

マクドナルドの、マとハ。(写真:マクドナルド・看板)

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最近では見ることがなくなったマクドナルドのこの看板。いわゆる頭揃えにはなって
いない。20代後半、グレイ大広で棚ぼた式にマクドナルドのディレクターになったが、
ハンバーガーの無料券からCM、CIまでの何でも係。看板のデザインを統一すると
いう時、デザイナーのIさんが「マとハを揃えると読みにくいからズラしたい」と言う。
確かにそうだったから、藤田社長に説明して、この形に決定した。それから40年。

Iさんはデザイナーをやめ、奥さんの実家であるプロパン会社に転職した。専務から
相談役になったが、「社内のリフォーム事業部とは別に、新築もできる会社をつくる。
会社のロゴタイプは篆刻にしたいし、コンセプトなども手伝ってほしい」という依頼が
あった。社名は「古今」で、「古きモノ・コトを生かしながら、住まい手の想いを付加して
新しい今に変えていく会社」にしたい、という。そうであればコンセプトは「新しいのに、
懐かしい」。これは大丸神戸店で長く使ったストア・コンセプトだが、あえて提案した。
ロゴはCOCONがフランス語の繭(まゆ)で、住む人の想いを紡ぐ、やさしく包み込む
イメージだから漢字の古今を繭の形で囲んだ。4月半ばには法人登記も済んだ。

Iさんは70過ぎだから、この会社を経営者としての卒業制作だと考えているだろう。
私も広告から篆刻へと軸足を移しているがこんな形でお手伝いできたことがうれしい。

※つい先日、JR九州のななつ星のデザイン・コンセプトも「懐かしい。新しい。」だと
知りました。これは普遍のコンセプト、なのですね。

靴下の、上下。(篆刻:下)

下
朝晩はめっきり冷え込んできたので、夜はたまらず靴下をはく。で、靴下の話。

P&Gの日本初の商品「全温度チアー」のCMは、我がGD社が制作した。
フィリピン人のプロダクト・マネージャーMr.Dがフィリピンなまりの英語で、
矢のようにアイデアをぶつけて来る。我々はそれを必死で書きとめながら、
CMらしきものにするしか、なす術がなかった。それは、天の声だったから。

ふたつ目の商品は毛糸・おしゃれ着洗いの「モノゲン」で、CMはD社が担当した。
生活シーンを切りとったスライス・オブ・ライフで、病院かどこかの待合室が舞台。
ある男の靴下のゴムがゆるんで下がっている。それを見た他の男が、ズボンの裾を
上げて、ゴムのしっかり締まった靴下を見せながら、「ウチは家内がモノゲンで」と
言う。すかさず、ゆるゴムの男が「いい奥さんで!」と嫌味たっぷりに返すのだった。

きっとMr.Dが "Oh! Nice Wife!!" なんて、お決まりのセリフを言いだしたので、
それを合気道のように、コロッとひねって投げ返したのだろう。それを見て、
私は衆人の前で靴下が破れて、親指が飛び出したように恥ずかしかった。
篆刻は、漢字の大元・甲骨文の「下」で、ものが掌の下にある形。反対の上は
掌の上にものがある。Mr.Dを手玉に取ったD社が上、言うなりになった私は下。

お湯、ぬるま湯、水。(篆刻:水)

水(篆彩)
前回のP&Gの洗剤というのは、「全温度チアー」という妙な商品名だった。
もう30年以上前のことで、すでに市場から消えているから書かせてもらうが。
「オール・テンパラチャー」の直訳で、「お湯、ぬるま湯、水、どんな温度でも
きれいになります。全温度チアー」が、最後の決まり文句だった。15秒CMが
主流の時代なのに、これが時間をくうから、30秒にせざるを得なかった。

しかし、こんな昔誰が洗濯にお湯を使っているのか。我々代理店はもちろん
P&Gの日本人も不思議に思った。しかし、P&Gのマーケティングは、いまでも
世界最先端。その調査では、日本の主婦の多くがお湯を使っているというのだ。

ちょっと妙なスライス・オブ・ライフで注目を集めたから、花王やライオンの洗剤を
抜いて瞬間風速で1位になったりしたが。ある時、「お湯の不思議」が判明した。
お湯はお湯でも、日本の主婦が使っているお湯とは「お風呂の残り湯」だった。
残り湯も英語に直せば「湯」だが、冬の朝なら、残り湯は冷たい水になっている。
ただ、P&Gがすごいのは落語のような笑い話があっても、「お湯、ぬるま湯、水」の
決まり文句をやめなかったこと。失敗が明白になるまで、戦略を変えないのだ。

篆刻は、篆彩と名づけた「水」。生命の源だが、人間を困らせることも、また多い。

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