言葉

植物名には、漢字併記を。(篆刻:漢)

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このHPの花のブログ「百野草荘・花姿風伝」をご覧の方は、花や木の名前が漢字に
なっているのをご存知と思うが。一般のカタカナ表記では、名前が持つ意味や由来が
伝わらないからで、中国にも、このブログで日本の花の名を覚えている方がおいでで
少しはお役にたっているのかもしれない。新聞広告で「植物名には漢字併記を!」と
いう雑誌を見て早速読んでみた。『望星』 2018年6月号で、発行は東海教育研究所。

「動植物名の表記はカタカナを使う」とされたのは昭和23年の「公用文の手引き」に
よるから、戦後間もなく。昭和56年には当用漢字の廃止と常用漢字の制定があって
そこにある「桜」や「梅」は漢字を使えるが、「椿」はないので「ツバキ」と書くことになる。

だから、街路樹や公園ではカタカナ表記だけが圧倒的に多いのだが。タツナミソウは
立浪草と名付けた人に敬意を払いたくなるほど絶妙なネーミングだし。ユキモチソウは
行き持ち草と勘違いすれば江戸の飛脚に関係がと邪推したくなるが、雪餅草と書けば
何やら想像もつくし、実際に見た時の感動は倍加する。漢字は中国から来たし、中国
渡来の植物もあり、かなりの当て字も多いから、それなりの難解さや混乱もあるけれど、
漢字表記でしか伝わらない具体性やイメージの方が圧倒的に多いのだから、私の花の
ブログでは、タイトルは漢字で、本文はカタカナでという併記を、今後も続けていきます。

『阿久悠日記を読む』を読む。(篆刻:悠)

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『阿久悠日記を読む』は副題で、書名は『不機嫌な作詞家』(三田完著、文芸春秋刊)で、
明治大学の阿久悠記念館保管の26年7ヵ月分の日記から、阿久悠の真実に迫る試みだ。

淡路島の巡査の次男として生まれ、8歳で兄が戦死、14歳で結核のため自宅療養などが
『時代おくれ』の歌詞の下地と知ったのは収穫だった。ヒットを出し、賞を立て続けに獲った
頃、父がポツリと一言「お前の歌は品がいいね」。それを勲章に彼は詞を書き続けたという。
この話は泣ける。小林旭の『熱き心に』は好きな歌だが、元はAGFのCMソング。私も何回か
お世話になった大森昭男さんプロデュースと知って驚いた。歌は『北帰行』の小林旭でスタート。
大森さんは大瀧詠一以外ならやらないと決めた。大瀧は曲が出来上がった夜中、妻を叩き
起こして「聴け!」と言った。そして彼はその曲の詞をまだ面識のなかった阿久悠に託した。
この話にも泣けた。宣弘社時代の後輩が昭和の絵師・上村一夫なのだが、上村から贈られた
イラストを阿久悠は自室の押し入れの中の正面に飾ったという。その篤い思いにも泣けた。

後半は壮絶な闘病の記録だが、腎臓癌の手術の直前にNHKの「課外授業」で母校の
小学生にスーツ姿で「ことばは道具ではなく心と知性そのものですから」と、伝えている。
最後の一行を読み終えて、自分の嗚咽に狼狽した。そんな本は滅多にあるものではない。

私が読んだのは2016年7月30日発行の第一刷。2007年のきょう8月1日、70歳で死去。

山茶花は、サンサカだった。(銅印:茶)

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昔、女性下着のCMで「素肌にきいてみてほしい。」という訳の分からないナレー
ションを書いて、スーパーにも入れようとしたが、漢字は「聞いて」か「聴いて」かと
迷って、国立国語研究所に電話で問合わせた。「日本語は絶えず流動変化する
ものなので、お答えできない」と言われて、ならばと「聴」にしたような記憶がある。

我が百野草荘の山茶花は胴回り40センチほどの大木だが、満開も過ぎて根元は
散った花びらでピンク一色になっている。「山茶花」はサザンカなのだが、本来は
漢字の通りサンサカと呼んだと、毎日新聞の『余禄』にあった。サザンカの英語名も
言い間違いのまま「sasanqua」になっている。「舌つづみを打つ」が「舌づつみ」と
間違えたりする、音の入替りをメタセシスというらしい。「新し」は古くは「あらたし」
だったが、「あたらし」になって定着してしまった。正しさよりも言い易さの方が強くて
拡がりやすいのだ。(中国では山茶はツバキを指し、サザンカは茶梅というらしい)

隣りのOさんは「体」のことをいつも「カダラ」と言う。カラダと言いにくいそうで、笑い
ながら真似をすると「カダラ」は確かに言い易い。もう10年もしたら、この狭川地区で
体はカダラになり、50年もたてば日本中がカダラと言うようになるのが楽しみだが、
それまで生きていられない。カダラ、いや体も流動変化し、ついには消滅するから。

形容詞にも、ご用心。(篆刻:形)

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6月5日の毎日新聞に「形容詞にご用心」というコラムがあった。池澤夏樹さんが
20年以上前に原発を見学した時、広報部の文章に「固い」「丈夫な」「がんじょうな」
「厚い」という言葉が並んでいたという。そんな言葉で原発の安全神話が作られた
のだし、安保保障関連法案にも具体性のない形容詞が羅列されていて、また安保
神話を作りたいのではという話で、同感だが。「具体性のない言葉の羅列は読み手
の心理をある方向にもっていこうとする広告のコピーのようなもの。」の一節がある。

私が初めて松下電器の新聞広告のコピーを書いた時、それは事実上の実地試験
だった。「形容詞がまったく無い」ということで合格になり、その後もコピーを書くこと
になった。だから「広告のコピー」の前に「下手な」という形容詞を加えるべきだし、
そもそも広告で形容詞を並べて読者をある方向にもっていくなど、出来る訳がない。

安保法制の話に戻れば、憲法学者3人が口をそろえて憲法違反と断罪したのは
痛快だった。そのなかの一人が「政府は後方支援というが、戦争に後ろも前もない。
そういう言葉遊びは止めていただきたい」と言ったのを聞いて、溜飲が下がった。
かつて「美しい日本」がコンセプトみたいなことを言った総理だから形容詞は当然の
こと、副詞、助詞、名詞だって疑ってかからないと、日本は大変なことになるだろう。

不常識『篆刻講座』 4:四角四面を、跳び出して。

2014820114413.gif「クウ、ネル、アソブ(45×45、15×15ミリ)」
篆刻では「方寸の世界に遊ぶ」という言葉があります。実際に彫るのは一寸(約3センチ)四方の小さな石だとしても、そこを自分の世界、いやおのれの宇宙と見立てて大いに遊ぶべし、ということ。要するに小さく固まらず、縦横無尽、天衣無縫にやろうじゃないか、ですね。

以前の三游会で、若い女性から「好きな言葉は、食う・寝る・遊ぶなんですけど、篆刻にしてくれませんか」というお話があった。面白いですね、やってみましょう、とお受けして、さ~てと考えた。漢字の「食・寝・遊」も無いことはないが、娯楽系サークルのモットーみたい。ならばカタカナで、となるのだが、そこから先の工夫が欲しい。

いま思えば、遊ぶ→ゲーム→ジグソーパズルと連想したんでしょうね。右からクウ、ネル、アソブを並べて、それが読める範囲の場所に、ジグソーのピースふたつがはまるようにした。ふたつのピースは別の石で彫ったから、押すときに離したり近づけたりできる。カタカナの太さに強弱をつけたのは、同じ太さにすると線が単純化されて読みにくいから。

わざわざ読みにくくしておきながら、それでも読みやすさに配慮するのだから、ややこしいけれど。これぞ、遊びの楽しさです。私は篆刻で言葉を彫って暮らしを彩るアートにしたいけれど、アートこそココロとアタマの遊びです。今日、私は70ちょっと手前の誕生日ですが、ホントに人生は「クウ・ネル・アソブ」がよろしいようで。

 

様って、何様?(篆刻:樣)

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今朝、新聞を読みながらテレビをちらちら見ていたら、「様」という漢字は相手によって
使い分けなければいけないという話で、目を皿にした。右の羊の下が水は目下に使い、
目上には永であり、同格には次なのだという。「こういうことはどんどん啓蒙しなければ」
というコメントまで加えられた。無学の篆刻作家で勉強嫌いの広告文案家ではあるが、
そんなことは初耳だ。早速、白川静先生に聞いてみなくちゃ、と『字統』を調べたら・・・

「様」の旧字が「樣」で、篆書体も「樣」になっている。国語では敬称の「さま」、ともある。
もちろん『字通』も同じ。『大漢語林』(大修館書店刊)でも、ほぼ同様。だが「次」の字は
どれにもない。そこで学生用の『漢和辞典』(旺文社刊)を見たら、やっとここに「次」が
異体俗字として載っていた。はてさて、こんな使い分けはマナー教室か習字の先生が
言っているのだろうが。篆刻教室の原稿づくりで墨と朱墨を使わせる、物事をわざと
ややこしくして教えることと同類ではないか。今朝の日経には宝島社の「大人のペン
習字帳」や呉竹の「水で何度も書ける文字練習セット」が売れている記事があった。
文字を書く機会が減って、上手に文字が書けない悩みを持つ人が増えたかららしい。

日本の国語政策には多くの誤りがあるし、常用漢字に問題も多いのだが、旧字俗字
まで引っぱり出して訳知り顔で人に誤ったことを教える、そういうあなたは何様ですか? 

三蔵法師の、声。(写真:薬師寺・花展ポスター)

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カミサンが主宰する「野の花と遊ぶ 花の会」が、薬師寺玄奘三蔵院で花展を
させていただいた。4月6日から13日まで、雨あり風ありの長丁場だったが、
無事に終わることができたのは三蔵法師さまが守ってくださったからだと思う。

無事ではあったが、2日目に椿事が出来した。朝一番で行ってくれた当番さんの
電話で。「昨日、お客さまから看板の展の字が違う。薬師寺ともあろうところで、
間違った字を掲示するとは何たることか」と注意されたというのだ。書いたのは
私。篆刻の個展前のあわただしい時に書いたのだが、ぶっつけ本番で、2枚を
実に気持ちよく書けた。「花展」と書いた時は、少し字がうまくなったようにも感じた。

さて、書き直すかどうか。結局は7日間そのままにしておいた。それを指摘
する方も、その後はいなかった。まじまじと看板を見つめる方に、字の間違いが
ありますがお分かりになりますか、と聞いたけれど分からなかったのだし。

「字なんてそんなものです。一点、一画をおろそかにせず書くなんて、小学生の
テストだけです。文字ばかりでなく、言葉だってそんなものです。文字も言葉も、
都合がいいから使っているだけで、それ自体は真実でも本質でもないのです。」 
1347巻ものお経を漢字に翻訳した三蔵法師さまの、そんな声が聞こえた。

百人の、心。(書:花押)

花押
「太陽がいっぱい」でアランドロンが他人のサインを壁に投射して練習する
場面を覚えている方は多いだろう。契約などに実印が必要な日本では、
サインするのはカードを使うときぐらいだが。閣議文書の大臣の署名には
花押(かおう)というサインの一種がいまだに慣行として残っているらしい。

先日、その花押をつくって欲しいという依頼が東京から来た。ネット上でも
「花押つくります」というのがずい分あるというので見れば、○○流花押などと
称して、かなりの料金で驚いた。私も、花押は篆刻・印章の親類だから興味が
あったし、専門の本も手元にあったから、新しいテーマとお引き受けした。

実は花押のつくり方に決まりがある訳ではなく、漢字の草書体を基本として
独自の構成に工夫を凝らしたもので、時代によって流行があるに過ぎない。
ある大臣のそれはアルファベットにピリオドまでをつけ、筆で縦書きしている。

出来上がった花押は実印に準ずるものだからお見せできないから、ここでは
B案をご覧いただくが、名前の漢字の中から「百(たくさん)」「人」「心」を抽出、
構成した。会社のトップにある方だからだが、では多くの人の心をどうするか。
それはその方が考えるべきこと。形は決めたが、中味はその方がつくるのだ。

日本の、言葉。(篆刻:言)

言
眠いのを我慢してオバマ大統領の就任演説を聞いた。同時通訳が女性で
聞きにくかったが、最後まで聞いてから寝た。朝青龍は早朝まで見ていたそうで、
屋根工事の社長もパレードまで見たらしい。全文をネットと新聞で読んだ。
27歳のスピーチライターが書いたようだが、もう"CHANGE"や"CAN"に頼らず、
未来に向かって、いま何をすべきかを語った。その言葉は、生きていた。

一方、日本では。「未曾有」の読み違いなどはご愛嬌の枕。国の根幹に関わる
消費税増税が2011年の「実施」か、「準備」かと、言葉をこねくり回したあげく、
結局どうにでも解釈できる玉虫色の言葉に落ち着いた。給付金にしても、
「言葉がぶれる」との批判が気になって、自縄自縛、引っ込みがつかない。
近頃では、「私は、最初からそう言っている」が決まり文句になってしまった。

コピーライターの大先輩・黒須田伸次郎先生から「言葉が実態を牽引する」と
お聞きしたが。いまの日本には、未来の日本はおろか、今日明日の日本を
正すべき言葉すらない。これほど言葉が空疎になった時代は無いのではないか。

篆刻は、「言」。神への誓いの言葉を入れた器「さい」と、入墨の刑に使う針「辛」。
言葉は違約したら罰を受ける覚悟において発する、神聖なものであったのだが。

文字の、災い。(篆刻:文)

文
たとえば「化」という漢字を見詰めているうちに、それがバラバラに分解して、
ただの線になる。「ああ、化という文字だった」と思い直すまでに時間が
かかった経験はないですか。ゲシュタルト(総体)崩壊という心理的な現象。
中島敦の小説『文字禍』で、古代アッシリアの老博士は、これが文字の霊の
存在の証しとした。この報告に文化人の王は、怒って博士を謹慎させる。

大地震の時、自宅の書庫にいた博士は、文字たちの呪いの声とともに、
無数の粘土板の書物で圧死する。中島敦が「文」という漢字の意味を知って
いたかは不明だが、「文」は呪いと無関係ではない。篆刻の「文」は、人の
胸の部分に心や×のある象形で、朱の入墨で聖化して悪霊から守るまじない。
いまでもお宮参りの子どもの額に赤い×を描くことは、この名残りだという。

「文字の無かった昔、・・・歓びも智慧もみんな直接に人間の中に入って
来た。・・・近頃人々は物憶えが悪くなった。・・・人々は、最早、書きとめて
置かなければ、何一つ憶えることが出来ない。・・・文字が普及して、
人々の頭は、最早、働かなくなったのである。」 そうだ、私の物覚えが悪く
なったのは、齢のせいでも、ボケでもない。「之も文字の精の悪戯である。」

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