武道

明るい篆刻。(篆刻:游心)

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遊が「親父の趣味は剣道も篆刻も屋根の下で暗い」と言ったことがあるが。その遊が
大きな空の下、広い鈴鹿サーキットで事故死したのだから、良かったのかどうなのか。
あの日から丸17年が、今日。晴れ男だった遊にふさわしく、今日も日差しが温かい。

剣道は教えていた小学生が3人しかいないのを機に10年ほど前にやめたけれど、
篆刻はもう40年近く続けていて、趣味から本業になった。確かにインドアの仕事では
あるけれど、それが暗いのか明るいのか。先日の三游会で、出野さんという本格的な
篆刻をされる方が、「あなたの篆刻には陽気がある」と言ってくださった。「ありがとう
ございます」と笑顔で答えたが、心の中では躍り上がった。私が目指している篆刻は
まさにそうなのだから。その漢字が生まれたときの物語をまず白川先生の『字統』で
読む。その物語をいま、この時に生かしてみたい。そう考えながら文字を見つめると、
伸びたがる線、曲がりたがる場所が見えてくる。素直にそうしてあげると、その漢字が
よろこんでいるように見える。そんな篆刻は見る人にも伝わるらしい。無理やり座棺に
押し込んだような篆刻には無い、明るさ、楽しさが生まれているはず、だと思うのだが。
「方寸(3センチ四方)の世界に(のびのび)遊ぶ」ことこそが篆刻の醍醐味なのだから。

遊もきっと上から見ながら、それを知っていると思う。「親父、楽しそうにやってるな」と。

懸かりながら、待つ。(篆刻:懸待)

懸待

今朝の日経を、1面からよく読んだ。参院選後、このブログでも、この総理の
言葉は信じられないと書いたが、辞任表明の言葉も意味も、軽く、空疎。しかも、
あと1週間後には新総理が決まるというのに、日本中で誰も予測できない、という
おかしさ。そんな場合、副大統領がその日のうちに代わるというアメリカの制度は、
危機管理という意味では理にかなっている。などと、思いつつ日経の最終面へ。

なんと、文化欄に柳生流の袋撓(しない)を山梨に住むロシア人が製作している、
という話。先日の柳生・正木坂道場でも、お借りした撓が二蓋笠会の方の
お手製と聞いて、「これなら自分にも造れるかも」と、ふと思ったのだったが。
国内外約300人の転会(まろばしかい)の会員の撓を一手に引き受けている、
とのことで、不愉快な気分は一転。爽やかな風にふかれた心地になった。

篆刻は、「懸待(けんたい)」で、以前の「表裏」との対の昔の習作。何かで読んで、
新陰流の言葉だけを寸借したが。受ける太刀がそのまま攻める太刀。懸かると待つ、
攻めると防ぐが表裏一体なことは、いかに鈍い私でも演武を見て分かった。
中学で武道をまた必修にする話もあるが、その前に政治家の必修にすべきでは、
と思う。まあ、H元総理の剣道は、ぜんぜん役には立たなかったけれど。

先より、後。(篆刻:後能応先)

後能応先

先週の土曜日、久しぶりに柳生の正木坂道場に行った。市民だよりで、
柳生公民館の催し「柳生を学ぶ~柳生新陰流とは」を知った。その袋竹刀を、
お世話になった武道具店・柳生堂のおじいさんがご苦労の末に復活した話は
聞いていたし、興味はあったけれど、実際に演武を見る機会がなかった。
早速、応募。講師は、柳生新陰流二蓋笠会(江戸柳生)の方々だった。

かつて剣道の道場で何度かお会いした畑峯博先生は、師範代として最後の
模範演武。時代小説作家で、自ら小転(こまろばし)中伝の多田容子氏の
分かりやすい解説には大いに助けられた。剣道形が覚えられずに苦労した
私は、数々の形の速さに目を見張るだけだったが。その形のほとんどが、
相手を斬り殺さず、理合で動きを止め、制して勝つのには、感動すら覚えた。

篆刻は、「後、よく先に応ず」。ずいぶん昔、剣道の本で見つけて彫ったが、
いまだに剣道の「後の先」や「先の先」が分かってはいない。柳生流には
大いに興味がわいた。練習させていただこうかなあ、とも思いかけるが。
いやいや、一時の興味だけで先走ってはいけない。じっくりと考えて、
その後に決めても遅くはない、と思い直す。それが、いまの私の「後能応先」。

要するに、腰。(篆刻:要領)

要領

晴れて剣道部員となってから、すぐに夏休み。四国の高知に家族旅行した。
桂浜で竹刀を振りたかった。いや、正確には竹刀を振っている写真を撮りたかった。
駐車場で道着になって、坂本龍馬の銅像の前から、桂浜に下り立つ。
裸足で、ぞんぶんに竹刀を振る。もちろん、その勇姿をカメラにおさめる。
車に戻って着替えたら、さあ、高知名物の「アイスクリン」を食べなくちゃ。

ふたたび銅像の前、アイスクリン売りのお爺さんのところへ。と、お爺さんが言う。
「あんたは、龍馬にゆかりの人か?」。きょとんとする私に続ける。
「と思ったのだが、花も手向けんし。この銅像は、高知の青年が募金で建てたが、
わしら金の無い者は勤労奉仕をした。彫刻家の本山白雲先生がおいでのたびに、
龍馬の話はよく聞いた。・・・で、そう思ったんだが」

以来、私はますます龍馬のファンとなり、高知県人を尊敬するようにもなったが。
龍馬と見まがう男の桂浜での写真は、言うまでもない。言ってもひと言、ヘッピリ腰。
篆刻は、「要領」。要は女性の腰骨、領は首のこと。ともに人体の最も重要な
部分だから要領という。そして二十有余年、私の剣の道は、その道の何たるか、
いっこうに要領を得ないままに終わった。要するに、腰らしいのだが・・・

いきなり、形から。(篆刻:形)

形

Dという広告代理店にいた頃、剣道部の練習場は5階の会議室(!?)だった。
剣道部のF君が、練習前、リノリウム(!?)の床を掃除していたので聞いてみた。
「あの映写室(!?)に吊ってある道着、着てみていい?」。臭かったけれど、
結婚式以来の袴姿をよろこんでいたら、剣道部の主将が入ってきて、言った。
「お、似合うじゃないですか。剣道始めたら?」。 

兄は柔道をやっていた。姉も陸上部だった。私といえば、33歳のその時まで、
運動なんぞしたことがない。だが袴の様式美というものが、運動嫌いを駆逐した。
その翌日には、会社から遠くない武道具屋で道着と竹刀を買っていた。
ふつう新入部員はジャージ姿で素振りだけを3ヵ月はするというのに。
袴は敵の目から足さばきを隠すもの。袴で素振りの練習など、していないに等しい。

いつかのテレビで「これからは心の時代」という意見に、「いや、形の時代です。
心は揺れ動く。形を心の器として、先にきちんと決めなければ」という話を聞いた。
かの孟子さんも「形は修養によってはじめて完成する」とおっしゃったらしい。
では、修養のない形は、どうなるか。篆刻は、「形」。左側が実で、右側が虚という
構成なのだけれど。またまた形ばっかり・・・、という声が聞こえる。

下半身に、難あり。(篆刻:上虚下実)

上虚下実

さて、剣道のなくなった土曜日にしたのは、畑づくりであった。この時期になると、
野菜の苗をいろいろいただくから、否が応でも畑らしきものを用意せざるをえない。
3月の初め、ミニ耕運機で土を起こして、石灰を撒いたまま放っておいた。
堆肥をばら撒いて、もう1回耕運機で掘り返し、かき回し、それから鍬で畝を立てる。
昼に缶ビール1本飲んで昼寝するから、10坪あるかないかの畑で1日仕事になる。

続く日曜日は、何年も植木鉢に植え放しだった大王松、壇香梅、大手毬、
衝動買いしたままだった姫シャラ、鉄線などなどを、やっとのことで地植えした。
普段は、パソコンの前か篆刻用の机で座ったまんま。腕だけしか動かさない身体で、
土日に急に働くことになった筋肉。夕方に一段落してケジメのビールを飲めば、
それまで嫌々付き合っていた筋肉がいっきに不平を言い始めて、収拾がつかない。

つねづね庭から向かいの畑で鍬を振るお婆さんの仕事ぶりを見て感心するのは、
無駄な力を使っていないことなのだが。鍬でも竹刀でも、無駄な力を抜くには、
それこそ百錬しながら、痛い辛い苦しい思いの中から自得するしかない。
篆刻は、「上虚下実」。下がしっかりしなければ、上はしなやかになれない、という
すべてに通じる真理だが。私の虚ろな足腰では、とうに日暮れて道見えず。

百錬すれば、自得するけど。(篆刻:百錬自得)

百錬自得

おとといの土曜の午前は、のんびりカミサンと園芸品店に堆肥の買出しに行った。
本来ならば少年剣道の春休み明けの練習で、小学校の体育館にいるはずだったが。
「狭川少年剣道クラブ」は、17年度の10人をピークに、卒業生が抜けるまま
18年度は8人になり、今年度は3人しか残らない。新入生が増える見込みもない。
父兄と相談して、残念ながらクラブの長い歴史を閉じることにした。

この狭川は津本陽の『柳生兵庫助』にも出てくる狭川新三郎の在所。
兵庫助が刀傷を癒すために狭川の別荘に逗留し、鯉を素手で獲る話などもあった。
新三郎は柳門四傑のひとりで、狭川派新陰流は仙台藩の御家流となる。
昔から剣道が盛んで、古老からは、県の南北大会で優勝した自慢も聞いた。
私の息子たちも、このクラブで習ったので、未熟ながら指導をお引受けしたのだが。

週に1回子供に剣道を教えることで、かすかに続いていた私の剣道も、
ついに終わってしまった。原因は加齢だという、ごく軽い頚椎のヘルニアを口実に、
少し値の張った防具もインテリアになった。行き止まりの3段の免許状も、
額に入れて飾ることにしようか。篆刻は、むきになって3段を目指していた頃の
旧作「百錬自得」だが、私の場合は「百錬せず、ゆえに自得せず」と読む。

気力の、出どころ。(篆刻:気力)

気力

戸川幸夫の『高安犬物語』から、もうひとつ『土佐犬物語』という話。
土佐犬は、闘争精神の旺盛な土佐在来の日本犬に、セントバーナードなど
体力と忍耐力のある洋犬を交配したものという。剣道の道場主に育てられたキチは、
父母が横綱で申し分ない血統なのに、体が小さくて、気後れして唸るという
致命的な欠陥があった。道場主は、稽古着に着替え、日本刀を持って庭に下りる。

「キチ、俺の気合を受け取れ、分からなければ・・・・・・斬るぞ」
それを境に闘犬となったキチは、横綱になり死ぬまで闘った。盲目になっても。
・・・という話から、いきなり私の剣道の話。30を過ぎて剣道を始めたくせに、
基本の素振りさえちゃんとやらなかったから、初段の試験でつまずいた。
2回落ちて、やっと一念発起。禁煙し、ランニングをし、試験場にも早く着いた。

道着に着替えて、会場におりると、窓から陽が差し込んで美しかった。
実技の相手に竹刀を構える。相手の面の中で、目がつり上っているのが見えた。
すっと間合いを詰めて、竹刀を振り下ろしたら、「ポーン」と面が決まった。
以来、私は、気力は自信から生まれると知ったのだが。篆刻は「気力」。
このふたつの話、落差があまりに大きすぎて、話をまとめる自信も気力もない。

両方、忘れよう。(篆刻:両忘)

両忘

仲畑さんの有名なコピーに「好きだから、あげる。」というのがありましたね。
この「両忘(りょうぼう)」、篆刻として別に取り得もないけど、「好きだから、載せる」
上は密、下が疎、という構成の定石。字体だって、普通。
自分では、このあたりから楽篆堂流の兆しを感じるが、他人様には分からない。
好きなのは、その意味。でも、両方って、何の両方なんだ。

両方は、こっちとあっちなら、何でもいい。いわゆる反対語です。
貧と富。美と醜。苦と楽。上手と下手。寒と暖、高と低でもいいですよ。
ここにあるのは、世にいうところの価値。ふたつの価値から、差や違いが生じる。
この価値は、どれも相対的なものだということ。絶対的なものではない。
いくらクレオパトラの鼻が高いといっても、天狗にはかなわない。

目盛りの付け方で、どうにでも変わる、そんな相対的な価値や状態に
一喜一憂するのはやめようよ、やめちゃうと楽だよ、ということ。
禅の言葉だと思うけれど、日常でも、長い人生でも、これは言葉の常備薬。
そうだ、剣道の勝った負けたも「両忘」でいこうと、袴に刺繍までしましたが、
刺繍したからって身につく訳でないことは、万年三段が証明しております。

守り、破り、離れる。(篆刻:守破離)

守破離

「守破離」は、しゅはりとも、しゅばりとも。武道で言われることが多いのだが、
お花でも、俳句でも、フラダンスでも、習い事は「守破離」だそうな。
まず先生の教えをただひたすらに守る。私の場合は、徐三庚先生の教えと
おぼしきものをひたすらに真似たということ。それを続けるうちに、先生の教えが
窮屈になってくる。どうしても教えからはみ出る思念が、ふつふつと湧いてくる。

ある日思い切って、先生の教えを破る。いや破らざるをえない日がくる。
破ったのはいいけれど、それはただの破れかぶれ、かもしれない、とも思う。
それから、あぁ先生の言うとおりやってりゃ楽だったのに、
なんて言いながら、とぼとぼ歩いている。と、突然、ぱっと目の前が開ける。
それが、「離」ということ、らしい。これでめでたく、自分流の開眼(かな?)。

何を隠そう、私は剣道をやっていた。四段の試験を10回近く受けた。
昇段をあきらめて、考えた。そうだ、何人かの先生の教えを守ろうとして、
ただ混乱して、迷うばかりで、「守」すらできなかったんだ、と気がついた。
「えっ、篆刻の話ほっぽり出して、いきなり剣道の言い訳か」
左様。これを白状しておかないと、篆刻の話も腰がすわらない、のでござる。

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