宗教

我が身を、灯明に。(篆刻:燈明)

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映画が終わって、ほとんどの人が熱く拍手をしたけれど。私は、勇気ある監督を
讃えたかったが、提示された事実が重すぎて拍手できなかった。題名は「ルンタ」。

チベット人の焼身抗議の実相に迫るドキュメンタリー映画で、監督は池谷薫。案内人・
中原一博は自ら建てたルンタハウスで、チベットで拷問を受けた後にインドに逃れた
元政治犯に学習・就労の支援をしている。2009年に焼身抗議が始まると、ブログの
チベットNOW@ルンタ」で焼身者の詳細なリポートを送り続けている。チベット人が
抗議するのは中国の圧政と弾圧で、奪い取られた伝統文化と信仰生活、言語教育
政策、遊牧民の定住化、資源採掘の環境汚染、住民の移動制限など数えきれない。

2016年3月、焼身抗議者は内地(チベット自治区)の144人、外地(インド・ネパール)
の6人で150人を超えた。僧侶、中学生、名前も判らぬ老女・・・ 中国政府は焼身
をテロと呼ぶが、他の誰も傷つけず自らに火を放つ行為はテロではない。しかも、
ほとんどの焼身者は詩のように透明な遺書でも、弾圧者を非難せず、自らを灯明と
することで世界の平和、ダライラマの長寿と帰還を願って死んでいく。この徹底的な
非暴力、圧倒的な不服従の意思を支えるのは、やはり信仰なのか。神の名を借りて
自爆テロを続ける集団の対極にチベット人がいる。「格子なき牢獄」の中になのだが。

※「ルンタ」とは、経文を印刷した魔除けと祈りの旗。中央には「風」「速さ」を象徴する
馬が描かれている。

タモリに、教わる。(篆刻:春日)

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奈良の東向商店街は近鉄奈良駅から南に下っているのだが、それがなぜ東向きと
いうのかをNHKの「ブラタモリ」で教えてもらった。通りの東側は昔の断層で生まれた
崖で、その上は興福寺。興福寺にお尻を向ける訳にはいかないから、店はみな東を
向いていたからだという。いまでは純和風の教会も有名な奈良漬けの店も揃って
お尻を向けているから、奈良の住民でもどれほどの人がいわれを知っているだろう。

この放送は見そこなったので、日曜日の午後1時からの再放送を見たのだが。その
内容を知らぬまま午前中は春日大社に出かけていた。60回目となる「式年造替」で、
御本殿「後殿(うしろどの)」と「磐座(いわくら)」、御仮殿(移殿)が拝観できたし禁足地
「御蓋山浮雲峰遥拝所(みかさやまうきぐものみねようはいじょ)」も特別に参拝できた。
帰ってきて昼食を食べながら見た再放送で、タモリたちも我々がさっき行った同じ
場所にいるのが不思議な感覚だったが、4つ並んだ本殿が地形をそのままに保つ
ため階段状になっているという。行列について移動していたし、見上げたら雨樋が
大木をくり抜いた丸木舟のようで驚き、足元のそれにはまったく気がつかなかった。

奈良にいたら、いつでも行けるし見られると思って、結局は何にも知らない。奈良の
地名は段差を「ならす」からという説も教えられた。奈良に無知なことを反省してます。

 

お地蔵さんを下ろす。(篆刻:地蔵)

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我が西狭川町の北西の山の中に薬師堂という祠(ほこら)があり、ジョーセン地蔵が
祀られている。この地域の新西国三十三所のひとつで、ジョーセンとはお菓子の飴。
子どもの吹き出ものには「ありがたや薬師堂地蔵菩薩救いの誓いあらたなり」と祈り、
治れば飴を手に「お礼参りのうれしさに聞こし召されよ南無地蔵さん」と唱えたという。

この祠の瓦が落ちて建て直しが必要だが、高齢化で山道はつらい、登り口の畑を
借りて移転することになった。長老を祭主に地鎮祭をして、石垣、ブロックで整地し、
祠の土台が出来た。1.5メートル、1トンほどもある地蔵さんを下ろす大仕事になる。
僧侶が性根を抜いたから、ただの石だが粗末には扱えない。考えた末の方法は、
割った竹を番線で巻いて、ロープで細い山道を滑らせることにしたが、予想以上に
上手くいった。大小30の石仏は一輪車で。8人で午前中にはすべてを下ろし終え、
午後はすえ付け。ミニユンボの威力も借りて、地蔵を立て、石仏も整然と並べた。

つぎは大工の仕事で、11月1日には性根入れ。これで地蔵移転、薬師堂再建が
完成する。宗教施設だが町の文化遺産でもあるので自治会の事業とした。今回は
下ろす仕事だったけれど、あの大きく重い地蔵をあの高さまで運び上げた昔の人は
本当に凄いなァ。宗教心と、知恵と和の力だろうと、痛む足腰をさすりながら思う。

 

写経は信仰、ではない。(篆刻:抜苦与楽)

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奈良・薬師寺の入口には「与楽門」と石に刻まれている。1939年から30年間ここの
住職・法相宗管長を務めた高田凝胤(ぎょういん)師の話(※)を読んで、びっくりした。

師は平安から明治以降の近代仏教までをニセモノとして、日本仏教1200年の歴史を
拒絶する。「煩悩即菩提、生死即涅槃、即身成仏など人間をバカにした話だ。人間は
アホだから生まれながら自由、平等といえばよろこぶ。しかし事実は違っている。仏は
その違いが真理だという。真理だから貧乏人がつまらんやつとはいえん。それをミソも
クソも一つの考え方をしたのが弘法大師。天才だ、仏教を独創的に転換したとほめるが、
仏教を日本人にあうようにしても、それが人間全体にあうのか。」 さらに「親鸞の仏教は
弱い人間のための教えで人間を軽く見ている。人間の本当の良さを開発しないで、ただ
そのままでよいというのは人間をバカにしている」と手厳しい。では薬師寺金堂建立の
ため写経運動をして浄財を集め、テレビで人生教訓を述べ、仏教書を書く師のお弟子
(高田好胤)はとの問いに「写経運動は信仰ではなく、単なる民衆運動。僧侶は口(ぐ)法
より戒律が大切。その自覚のない坊主がしゃべり、書く。これは堕落です」と断罪する。

カミサンと二人で写経108巻を収め、安田管長から輪袈裟をいただき記念写真まで
撮った私たちではあるけれど・・・薬師寺だけに良薬は口に苦く、耳に痛いものです。

※『仏音 最後の名僧10人が語る「生きる喜び」』 高瀬広居著 朝日新聞社刊

 

不常識『篆刻講座』 3:お行儀ばかりが、良くっても。

2014731182110.jpg 「拈華微笑(50×50ミリ)」

お盆には少し早いけれど、篆刻は「拈華微笑(ねんげみしょう)」。釈迦が霊鷲山(りょうじゅせん)で説法した時、蓮の花を聴衆に拈(つま)んで示したら摩訶迦葉(まかかしょう)だけがその意を悟って微笑したので、正しい法は迦葉に伝えられたという故事、いわゆる以心伝心です。

さて、これを四角い石に彫る場合、普通は右に縦で拈華、左に微笑を置いて田の字にする。または「幸都萬具」のように、右から左に縦長に四文字を並べる。どちらも文字は同じ大きさになる。お行儀はいいけれど、面白くはない。なぜなら、あえてこの四文字を選んで彫った、その人の解釈が見えないから。

楽篆堂は、考えた。拈もうが捩(ね)じろうが、とにかく釈迦は蓮を差し出した。迦葉は静かに笑ったが、悟った瞬間だから「あぁ」くらいは言ったかもしれない。要は釈迦の「花」と迦葉の「笑」であって、他は形容、説明にすぎない。そこで「華」と「笑」をほぼ対等に大きく扱う。それでも「拈華微笑」と読んでほしいから、右からの順は崩さず、拈と微はすき間に溶け込ませたのだが、いかがだろう。

「いわゆる篆刻」は雅味を尊ぶから、だいたいお行儀がいい。でも、篆刻は表現であり、コミュニケーションなのだから、漫然とした表現ではなくて、まず作者の自己表現でありたい。自己表現ならお行儀などと言ってる場合ではない、と思うのだが。いや、その時迦葉がゲラゲラ笑ったら釈迦は不愉快だっただろう、やはり「微」が肝心、という穏健な解釈だって有りうる。そんな微を強調した「拈華微笑」も見てみたい・・・怖いもの見たさだけど。

 

祈る、暦。(篆刻:祈)

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瀬戸内寂聴さんの日めくり暦が終わった。あの高い声は苦手なのだが、遊が
亡くなった後はカミサンが説教CDで慰められたり勇気づけられたりした。その
日めくり暦が届いて、毎日説教くさいのは嫌だと思ったが、日々読み慣れてきて、
中から篆刻にしたい言葉をいろいろいただいた。例えば弘法大師空海の「心が
暗ければ悉(ことごと)く禍(わざわい)となり、眼(まなこ)が明るければ皆宝と
なる」や「円転(まるく回ること。転がること。とどこおったり、ぎくしゃくしないで、
滑らかに動くこと。」など心の在り方を学ぶことができた。ありがとうございました。

さて今年の日めくり暦は奈良・薬師寺の大谷鉄奘師のもの。お風呂でも読める
防水紙製だが、定位置のトイレに掛けた。元日は「一歩、一歩」、2日は「心の
姿勢が、あなたの姿勢」と、優しい言葉が毎日続く。その筆文字は高田好胤師
ゆずりの朴訥なものなのだが、年ごとに上手になってしまうのは、いささか残念。

はてさて、こんな日めくり暦を「楽篆堂の篆刻・ベスト31」を厳選してつくりたい
誘惑にかられている。どの篆刻にしようか。篆刻の説明は筆ペン文字か、PCの
明朝体か。印刷するなら何部にしようかなどなど秋ごろまで考えながら楽しもう。
注文篆刻のお礼に添えたり出来たら、もっと楽しいだろうな。ああ愉しみ楽しみ!

三蔵法師の、声。(写真:薬師寺・花展ポスター)

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カミサンが主宰する「野の花と遊ぶ 花の会」が、薬師寺玄奘三蔵院で花展を
させていただいた。4月6日から13日まで、雨あり風ありの長丁場だったが、
無事に終わることができたのは三蔵法師さまが守ってくださったからだと思う。

無事ではあったが、2日目に椿事が出来した。朝一番で行ってくれた当番さんの
電話で。「昨日、お客さまから看板の展の字が違う。薬師寺ともあろうところで、
間違った字を掲示するとは何たることか」と注意されたというのだ。書いたのは
私。篆刻の個展前のあわただしい時に書いたのだが、ぶっつけ本番で、2枚を
実に気持ちよく書けた。「花展」と書いた時は、少し字がうまくなったようにも感じた。

さて、書き直すかどうか。結局は7日間そのままにしておいた。それを指摘
する方も、その後はいなかった。まじまじと看板を見つめる方に、字の間違いが
ありますがお分かりになりますか、と聞いたけれど分からなかったのだし。

「字なんてそんなものです。一点、一画をおろそかにせず書くなんて、小学生の
テストだけです。文字ばかりでなく、言葉だってそんなものです。文字も言葉も、
都合がいいから使っているだけで、それ自体は真実でも本質でもないのです。」 
1347巻ものお経を漢字に翻訳した三蔵法師さまの、そんな声が聞こえた。

東へ、帰らず。(篆刻:不東)

不東(新)

久しぶりに薬師寺で般若心経の写経をした。この8月15日の終戦記念日に、
家で写経した1巻をまず納めて。それから、お写経道場でカミサンと孫も一緒に
2巻、これでちょうど100巻目。「薬師寺伽藍復興 写経勧進納経集印帳」は
金色の9冊目。あと8巻でひと区切りになる。そのほとんどは、カミサンが
折りにふれてお写経をしたものだが、貧者の一灯として、と書きかけて。

いやいや、貧者の一灯とは尊大な、と思い直す。「貧者(貧女とも)の一灯」とは、
貧しい者の真心のこもった寄進は、たとえわずかでも富める者の万灯より尊く、
功徳があるという話。誰が誰に向かって言う言葉なのか、戸惑ってしまう。
お寺さんのホームページの中には、貧者の一灯の由来を解説しながら、
お金持ちのご寄進だって尊いし功徳がある、とフォローを忘れないものもある。

篆刻は、「不東」。玄奘三蔵法師が仏典を求めて唐から西の天竺を目指す旅で、
目的を達するまで東に帰らないとの、決意の言葉。薬師寺の伽藍復興を
発願した故高田好胤さんが、ご自分の決意と重ねあわせて書かれた文字を
竣工直後の玄奘三蔵院で拝見した。太い朴訥とした筆の跡に触発されて、
帰宅してすぐ彫ったものがあるが、これでも新作。決意がないから、進歩もないが。

足るを、知る。(篆刻:知足)

知足

以前、新聞で読んだときは、あまりの貧しさからの苦しまぎれかなと思ったが、
どうもそんな次元のことではないらしい。ブータンという国のGNPならぬGNHは、
グロス・ナショナル・ハピネス。国力を国民の幸福の総量で表す、という考え方だ。
NHKがお盆に合わせて5夜連続で再放送の「五木寛之21世紀・仏教の旅」。
さすがに全編を見るのは無理だったが、ブータンの人々の笑顔は本物だった。

国民の多くが、毎朝早くお寺に参って、マニ車を回し、仏に祈る。その理由は、
すべての衆生が生前の業因で生死を繰り返す6つの迷いの世界、地獄・餓鬼・
畜生・阿修羅・人間・天上の六道で、再び人間に生まれたいという切なる願い。
打算的とも思えるけれど、なぜまた人間かの訳が、「いま、幸せだから」であれば、
さらに、なぜ幸せと思うかを聞きたい。答えは「満ち足りている」からなのだ。

もっと何かが欲しいと思わないか、との問いにも「欲望にはキリがないから、
そんなことは考えない」と笑って言うのが、すごい。篆刻は「知足」、足るを知る。
外連(けれん)味を避けて、ただ素直に彫ってみたが。きょう、61歳になった私。
人と競ってまで何かを手に入れようとは思わなくなった昨今。これが知足なのか、
単なる生命力の減衰なのか。知足のとっかかりにいると、思いたいが。

陽炎と、送り火。(篆刻:遊糸)

遊糸

あまりの暑さに、そうそう「遊糸(ゆうし)」の篆刻があったと、取り出したのだけれど。
遊糸は陽炎(かげろう)のことで、糸遊(いとゆう)ともいうが、季語としては春。
なるほど、春の急に強くなった陽射しに暖冷の空気の流れから起こるので、
こんなに暑い日が続けば、冷気などは冷蔵庫の中にしかない。三つ目のハスの
花も、お盆に間に合わせて咲く大役を果たして、ぐったりと散りかけている。

さて、お盆とは。お釈迦さまの高弟・目連尊者の母親が、愛情は使えば減るものだ
と思って我が子だけを可愛がったので、物惜しみをした罪で餓鬼道へ堕ちた。
地獄で苦しむ母の姿を透視した目連が何とか母を救おうと供養をしたのが
盂蘭盆会、お盆の始まり、というのだが。これは、恩や孝を重んじる中国で生まれた
偽教だとか。たとえ由来が偽であっても、霊の供養は、かけがえのない行為。

我が家は法華宗で、お盆は12~14日なのだが。きのう16日は、京都下鴨の
友人のマンション屋上から五山の送り火を拝ませてもらった。右に大文字、
正面に妙と法、左に船形、はるか遠くの左大文字までが見える絶好の位置だ。
デジカメの夜景モードで目いっぱいのズームで撮ったが、ほとんどは
手ブレで赤い炎が筋になって写った。それは、夏の夜の遊糸のようでもあった。

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