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《篆刻とは》...楽篆堂の場合。

「篆刻とはなにか」
以下は、奈良シニア大学・橿原校での講演(2018年)内容を再録しています。
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はじめまして、篆刻作家:楽篆堂の田中快旺です。
奈良には名のある篆刻家が多くおいでなので、私でいいのかと戸惑いながらもお引受けしました。「古代文字と篆刻」というテーマで、眠くならないよう目で見る素材を沢山用意しましたので、しばらくお付き合いをお願いします。

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まず、「篆刻」という言葉をご存知の方はどれくらいでしょうか。
「てんこく」と読めない方の方が多いと思いますが。日本はハンコの国なので、実印、銀行印、認め印など「印章(印)」と呼ぶものが社会的に必要ですが、「篆刻」は雅印、遊印などと呼ばれて、生活に無くてはならないものではありません。

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ただ、書道や日本画をされる方には、篆刻は作品の完成として署名し押印する落款のために欠かせないもので、そのご依頼も多いのですが、私は篆刻がそれ以上の魅力、可能性を持つと考えて作品づくりをしています。

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例えばこれは「秋の七草」を漢字の要素を崩さずに、その姿になぞらえて彫ったものです。
額に入れてマンションの白い壁にインテリアとして飾れるように、また軸装して床の間だけでなく洋風の壁にも飾っていただけるようにしています。そんな私の篆刻制作の背景や、篆刻の経歴を少しお話させてください。

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私の仕事場は奈良市の北東部、広く言えば柳生地区ですが、狭川というところで、東大寺別当になられた狭川普文さんの出身地です。
35年ほど前にこの古民家と出会って、ここから大阪に通い、趣味で篆刻をしていました。還暦を過ぎましたので、約5年前からここで篆刻専業となり、平日は主にネットでいただく注文の篆刻を彫っていますが、土日は桜が12本、椿が130本、紫陽花が100本もあるので、春から夏は草刈り、冬は剪定に汗を流しています。

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引っ越した時はまだ田舎暮らしが流行る前で、村の人は「町に住みづらい事情があったのか」」と噂していたようですが、農業や野菜づくりが好きなのではなく、コンクリートの中に住めなかっただけです。
日本のレタリング(文字デザイン)の先駆者である佐藤敬之輔という人が行き詰ってヨーロッパに行ったけれど得ることのないまま帰国した。ところがススキを見た途端デザインがひらめいたという話があります。右は「花」という作品で、額装したものもありますが、「百野草荘」と名付けた雑草ばかりの環境で、私が自然から大切な何かを頂いていることは確かです。

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奈良に来てから、会社は大阪でしたがテレビCMを東京で制作していたので、篆刻は新幹線の中で暇つぶしにデザインし、休みの日に彫る、まったくの趣味だったのですが。1990年、松下電器の広告で榊莫山先生にお会いして見ていただいたのがこの篆刻で、コシノヒロコさんのバー「サイドバンク」をもじり「幸せの都によろず具わる」と洒落たものです。
なぜか莫山先生は「おもろいなあ」とえらく誉めてくださった。それもそのはず、かなりの額の謝礼をお渡ししましたので、上機嫌だったのでしょう。しかし、この時「篆刻の定石やな。上が密、下が疎」と冷たく言われていたら、私はいままで篆刻を続けていなかったでしょう。

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それから本気で篆刻に取り組んだのですが、篆刻の手引き書など大阪の紀伊国屋にも一冊しかない時代です。その本で独学しました。以来篆刻の先生にはつかず独学を通しています。
最初は本当に情けないようなものを彫っていましたが、中国・清の時代の徐三庚という人の作風(上)を美しいと思い、文字別の作品集まで作り、その書体を真似て「篆刻・般若心経」を分節ごとに56点彫りました。額装して薬師寺の高田好胤さんに献納もしました。好胤さんは「石も・・・」とおっしゃいましたが、石は私が大事に持っています。

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この般若心経を彫り上げると、すっかり徐三庚への興味が無くなって、自分なりの篆刻を模索し始めます。いわゆる「守破離」の守を終えたということでしょうか。
ただし、いまの私が破れかぶれの「破」のままか、「離」の境地に到達したのかは、自分では判りません。

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自分なりの篆刻を模索している時に出会ったのが、白川静先生の『字統』という本です。こんな怖い顔ですので学園紛争の時でも、先生だけには学生が道を開けたそうで、その字源研究は文化大革命で混乱した中国を追い抜いてしまう成果を上げたのです。

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その白川先生の最大の功績は「サイ」の発見です。漢字には「口」が多いのですが、そのほとんどが顔にある口ではなく、神への祝祷(のりと)を入れる器であり、それで多くの文字の意味が解明できるという説は革命的なものでした。実際に「サイ」という名の文字も器も判らないのですが、「載」という漢字が近いようです。

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ここから「古代文字」の起源と変化の話ですが、インターネットでも検索できますから手短にします。
漢字の起源は「中国・黄帝(紀元前2500年頃 )の代に倉頡(そうけつ)が砂浜で鳥の足跡を参考に作った(楔形の文字)」という神話がありますが、紀元前1800~1100年頃、四千年近い昔、殷の時代の亀の甲羅や牛の肩甲骨に刻まれた「甲骨文字」が最古の文字とされています。釘や針のようなもので引っ掻いたようで、「水」には6つの点があります。これは王が占いを通じて、戦や雨乞いの時期などを神と交信した記録です。占いといっても、王の思い通りの結果がでるまで何回もやったようですが。

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それとほぼ同じ時期に王侯・貴族によって鼎や水盤などの青銅器が造られ、そこにそれを造った経緯などを鋳込んだ文字があります。「金文」と呼ばれますが、鋳物なので引っ掻くだけの甲骨文より字体は整理され、「水」の点が4つになっています。

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紀元前221年、秦の始皇帝が中国を統一して、度量衡と共に文字も統一しました。これが「篆書体(小篆」)といわれるものですが、まだ文字は庶民には無縁だったでしょう。文字を書くのは役人の仕事で、その作業負担を軽減するため、また筆、墨、紙の進化もあって、より書きやすい「隷書」が生まれ、さらに「楷書」へと進化しました。
※広い意味では「篆書体」には甲骨文、金文も含まれます。

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ここで「印章」の起源にも簡単に触れます。これは世界四大文明のひとつメソポタミアの円筒状の印章で、紙がないので粘土などに転がし情報を伝えたものです。生産、流通の発展とともに記録や契約の証しとしての印章が生まれたようです。

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エジプト、インダス文明でも同様に印章が生まれましたが、中国では荷物の紐に泥を固めて印を押す「封泥」が実用的な印の起源と考えられます。いま続いている奈良・桜井の纏向遺跡の発掘調査でも、卑弥呼が魏から授かったという金印「親魏倭王」そのものよりも、ゴミ捨て場でこの封泥を探しているようです。金印は移動するけれど、封泥はそれを荷ほどきした場所の証拠になるからです。

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その後、中国の印は官印として、王から将軍、属国などに授けた身分証明という性格を持ちます。金属の印のつまみ部分の「鈕(ちゅう)」の穴に紐を通して、首からぶら下げるものだったようです。
これは国宝になっている金印「漢の委の奴の国王」ですが、江戸時代に福岡県の博多湾に浮かぶ志賀島(しかのしま)の田んぼで発見されたといいます。

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この為政者が身分を証明する「官印」が、一般人である趣味人=文人たちの印になったのはずっと下って唐のさらに後、宋の時代です。その後の明の時代に彫りやすい石(印材)が知られて、いっきに篆刻が広まり、優れた篆刻作家が多数生まれます。

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ところが、ここにひとつ問題があります。
篆刻家として今でも尊敬される多くの作家たちは、最古の漢字「甲骨文」の存在を、全く知らなかったのです。それまで龍の骨などと漢方薬として売られていたものに文字があると発見されたのが1899年、科学的に発掘されたのが1928年からですから、いまから百年と少し前のことなのです。

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青銅器の金文は腐食しても読めるので最古の文字として篆刻にも使われたけれど、その原型である甲骨文は存在すら知らなかった・・・ということはその文字が生まれた本来の意味を知らず、すでにある篆書体(含む金文)の形だけをアレンジした、ということになります。私が般若心経で真似た徐三庚もそうでしたし、私が敬愛する黄士陵(黄牧父、牧甫とも)も発見のニュースの後、数年で死んでいます。

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多くの篆刻をされる方にとっては、呉譲之や呉昌碩は神のような存在のようです。しかし、私は甲骨文を知らなかった篆刻家の作品を手放しで受け入れることはできません。甲骨文こそ、文字が生まれた時の活き活きした物語を伝えるものです。私が目指すのは四千年前に生まれた文字とそれに込められた人間の物語を、この現代に活かすことです。いわば「新しいけど、懐かしい」篆刻なのです。

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左は日展の篆刻部門の入選作品です。右は中国の古い腐食した金属の印です。これを見るかぎり、この篆刻作家さんの目線は過去、後ろを向いています。大昔の錆びた金属の印の風情を、この21世紀に石で再現しようと苦心されています。それはそれで素晴らしいことだと思うのですが・・・

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ところが本来、篆刻がつくられた時は、国家や王の権威にもかかわることなので、この天皇御璽や金印のように、端正で品格あるものなのです。莫山先生も篆刻を意図的に汚すことは好まれなかったようです。私も同じ意見です。

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国民が多すぎて、漢字を簡易体にせざるを得なかった本家中国に比べて、日本の文字は楷書、行書、草書、そしてカタカナ、平仮名を生み出し、現代ではアルファベットさえも日常的です。こんな豊かな文字に恵まれているのは日本だけです。
だからこそ、そのすべての文字財産を自由に大らかに駆使して、安易に懐古に流れることなく、現代の、これからの篆刻を目指すべきだと私は考えています。

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この「修行」は難解な篆書体ではなく、誰でも読める常用漢字で、直線だけで構成しました。軸装を京都の伝統表具の若々しい感覚を持つ方にお願いしたら、「冒険させてください」と言われ、お任せしました。届いたのは真っ黒だったので驚きましたが、展示会ではとても好評でした。写真は、奈良・大乗院の床の間なので和風に見えますが、マンションに掛けても違和感はないはずです。私の試みをしっかり受け止め、私の想像を超える素晴らしい形で返してくれたのです。

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これは東大寺門前・夢風ひろばのための篆刻「夢と風」で、夢は夢占いの巫女が寝る形、風は鳳凰が飛ぶ姿です。依頼された時は「読みやすい文字があるので、そばにちょっと赤いアクセントが欲しい」ということだったので、勝手に夢風の逆で、風夢にしました。それがポスターに、看板に、のれんに、いまでは建物の高いところにまで掲げられて、私の篆刻の出世頭になりました。

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古代文字である篆書体とそれを使った篆刻の話、そろそろマトメです。
私はホームページで「彫って楽しい、見ておもしろい、押してうれしい篆刻」を、と書いています。まず、篆刻を持って、使う楽しさです。メールやLINEの時代だから、手書きのお便りが見直されています。短い文章でも、そこにお名前の篆刻が押されていると、赤い色もあって温かいものが伝わります。画像にすれば、メールに挿入することもできます。

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次は作る、彫る楽しさです。
篆刻は石を彫る「印刀」と数百円の石(印材)さえあれば、新聞紙半分の場所で楽しめます。朱肉は篆刻用の印泥でなくても、普通の印肉、スタンプ台で構いません。篆刻は、ほんとうにお金がかからない、場所もとらない、楽しい趣味なのです。

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そんな篆刻を彫る楽しみを知っていただくために、お二人以上なら、ご希望の日に3、4時間でお名前一文字が彫れる「篆刻教室」を百野草荘で行っています。

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3つ目は見る、見ていただく楽しさです。
奈良では、野の花と遊ぶ花の会との共同展「三游会」を3年に2回、20年ほど続けました。個展は、去年の10月は、奈良・水門町の五風舎で、今年は8月に枚方T-SITEで、10月には京都・岡崎のアートギャラリー博宝堂でと、個展が続いたので、少し休んで充電しなければと思っています。

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このように篆刻には使う、作る、見る楽しさがあるのですが、実はこの私が一番楽しい思いをさせていただいています。
この篆刻は「愛」です。結婚を機に篆書体の実印を依頼され、続いて常用漢字で普段使いの遊印を注文されたのですが、出身が信州なので、その雰囲気が何か欲しいというご希望でした。そこで、「愛」の一画目を山の稜線にして、自然石全体をハートの形にしました。大変よろこんでいただいたのですが、これがお祝いにプレゼントする篆刻になると、依頼した贈り主、贈られた方と、よろこびが倍、倍に増幅します。小さな石に彫った文字が、人の心を動かすのです。それは広告制作では決して味わえない充実感、手応えです。篆刻を続けてきて良かったと、心から思います。

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漢字の楽篆堂を洒落て英文は「LUCK-TEN-DO」にしていますが、おかげさまで篆刻を彫るたびに「ラッキー」が生まれる毎日を過ごさせていただいています。ありがたいことです。
・・・もう、とっくにお見通しのように私は学究的でも論理的でもない、ただ直観と成り行きで生きてきた私ですので、「古代文字と篆刻」について、どれだけお役に立ったか分かりませんが、これでお話を終わります。
篆刻について、私でわかることであればご質問にもお答えしますので、お気軽にメールしてください。長時間、ありがとうございました。

『篆刻とは。』...大阪教育大学講義録。

「楽篆堂の篆刻とは。」
以下は2018年、大阪教育大学で書道科の生徒さんのための講義を再録したものです。
奈良シニア大学の講義内容とかなりダブっていますので、
パワーポイントの画面だけをご覧いただきます。
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ここまでが、午前の講義。
以下は、午後の、午前とは別の生徒さんへの講義です。

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