2009年2月

在るが、まま。(篆刻:在)

在
1月半ばから屋根、トイレの水洗、犬走りのモルタルと、工事が月末まで続いた。
家が小ぎれいになったら、いままで気にもしなかったあれこれが気になって、
センサーライトだ、庭の井戸用の蛇口増設だと、ちょこちょこ手を取られてしまった。

あと1ヵ月ほど、3月27日から三游会だというのに、作品がほとんど出来ていない。
お尻に火がついて、土日に急に作品を増産しかけたら、右腕が痛んで、無茶するな
と苦情を言いはじめた。腕はすこし休めて、指を使って、久しぶりのブログです。

三游会は、篆刻は楽篆堂・田中快旺ひとりだが、「花の会」の皆さんはグループ。
その「花の会」が、今回はかなり自立的に企画構成をするという。ただ、花は、
やはり野にあるようにだし。いままで以上に、ひとり一人の個性が、あるがままに
形に表れるだろうと、テーマは「在るがまま」にした。篆刻は、その「在」。

在は、神聖を示す木の標識「才」と王などの身分を表す聖器である鉞(まさかり)の
「士」で、神聖の地、神の在る所を示す、結構な文字なのだが。私の場合は、
ちょっと屋根の工事があったりで、あんまり作品が出来ませんでした。これも、
私の在るがままでして・・・という言い訳、居直りの言葉になりそうで、恐いけど。
さぁ、この1週間で、どんな「在るがまま」が生まれるのか。自分でも、楽しみ。

木が生きる、道。(篆刻:樹樹)

樹樹
「一年の計は穀を樹(う)えるに如くはなし、十年の計は木を樹えるに如くはなし、
終身の計は人を樹えるに如くはなし」は、中国の古典・管子の一節だが。

日本では、農業も林業も教育もボロボロになってしまって、百年の計もご破算で
出直し必至の今日この頃。日本は戦後国策として杉や檜の植林を奨励したが、
安価な外国材に押されて人工林のほとんど放置されたまま。ここ奈良市東部も
例外ではない。そんな時に、森林再生に命を賭けるふたりの男が、NHKで
続けざまに登場した。ひとりは、京都・丹南市日吉町森林組合の湯浅勲さん。
もうひとりは、大阪・千早赤阪村の大橋慶三郎さんで、この方はもう80歳。

歳はちがうが、ふたりは「山の声を聞きながら、道を造れ」と全国を奔走する。
「山は人間の親。山に頼んで道を造らせてもらうのだから、親を泣かせるな」
というのは大橋さん。「山に教わり道を造るにしても、組合事務所が給料制で、
現場が日当では一体感が生まれるはずが無い」という湯浅さん。山の道は、
人の道なのだ。その道の先にこそ、豊かな森林樹木が再び生まれるのだろう。

篆刻は「樹樹(じゅじゅ)」で、奈良もちいどのの「心と体にやさしい創作料理」の
ダイニングバーの注文印。木を生かした内装で、美人ママは目にもやさしい。

お尻に、春が。(篆刻:春)

春
きのう節分、きょうは立春。篆刻は、「春」。仲畑さんのTOTOウオッシュレットの
広告コピー「お尻だって、洗ってほしい」が真実ならば、私のお尻にも春が来た。

屋根の波板トタンがきれいになると、家の周りの犬走りが気になりはじめた。
樋の真下の縁石の内側が地面のままで、年季の入ったタンポポや宿根朝顔が
我が物顔。雨がかかるとぬかるむ。モノはついでと、犬走りのモルタル工事と
トイレの水洗工事を引き続き頼んだ。仮設トイレの水道が凍って、バケツの水で
自分の○○○を流す貴重な経験もあったが、ついに我がトイレは水洗となった。
何でも自動の最新型はボケの原因と、故障のない定番のウオッシュレットにした。

アイデアに詰まると、私はトイレにしゃがむ。馬の鞍、枕、厠の上とはよく言った
もので、案が浮かぶこともある。そんな時は、神経が過敏で、軽い便意もある。

温水シャワーを当てるのだが、便意に実態のないことが分かれば、すぐ止める。
温水で洗いすぎると肛門の粘膜が痛むと聞いたからだし、シャワーを当てないと
排泄できない癖がついても困る。その後も何となくしゃがみ続けるが、特に進展も
ないから、立ち上がり、パンツをはく。あっと思って、パンツを下ろして、お尻を拭く。

はき替えるほどではないが、我がパンツは、春雨の後のごとく濡れてしまうのだ。

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