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篆刻ブログ 篆からの、贈りもの。

余命、2~3年。(篆刻:メ)

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長く使っていたメガネがどうも見づらい。草刈りで傷もついたので、メガネのMで
検眼して新しいレンズに替えたのだが。夜、信号の緑が四方ににじんで花びらの
ように見えた。外の信号も見ながら再検眼してレンズを替えてもらったが、信号は
三角ににじむ。新聞の文字にも濃淡がある。Mはメガネだけの問題ではないので
眼科で検診をという。眼科は「白内障(水晶体が白濁)になっているから2、3年後
に手術が必要だが、メガネレンズ自体は問題ない。眼球とレンズのズレなどでは」
と差し戻しの判断だった。その足でMに行って結果を伝え、さらに検討してもらった。

対応してくれた店員も、夜の信号のにじみに苦しんでいて、あれこれ試行している
という。夜の信号だけにこだわって矯正すると日常に支障がでるというので、多少の
にじみは我慢することにした。もうひとつの新聞の文字は最適距離が35cmと近すぎ
ていたので40cmに変えたら濃淡も消えた。メガネはそれで一件落着せざるをえない。

篆刻では100分の何ミリかの違いでも印象が変わるから、近々両用のメガネに加えて
2.5倍のヘッドルーペを使う。しかも注文篆刻を年に150個、展示会の作品約30個も
あるから、加齢と酷使のダブルダメージ。篆刻は片仮名のメだが、あと2~3年でメの
短い線はどんどん伸びて、ついには×になる。余メー2~3年というお粗末な一席です。

私は、職人か。(篆刻:職)

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私の祖父は横浜・関内の洋家具職人。父は店舗のショーケースなどを作ったが
木工職人ではある。私は横浜生まれの三代目で浜っこだが、職人なのかどうか。

たまたま読み直した永六輔の『職人』(1996年、岩波新書)は、職人たちの名言、
迷言を紹介していて、どれもが言い得て妙だ。「職人気質(かたぎ)という言葉は
ありますが、芸術家気質というのはありません。あるとすれば、芸術家気取り
です」 「褒められたい、認められたい、そう思い始めたら、仕事がどこか嘘になり
ます」 「自分の評判なんて気にするんじゃない! 気にしたからって、何の得も
ない」 「嬉しそうにマスコミのインタビューを受けている職人は職人じゃありません。
職人は自分の仕事以外で気をつかわないものです」 「健康に気をつかってる
やつに、いい仕事はできません」 「プロとアマチュアの違いですか・・・アマチュアは
失敗をごまかせません」 「メシ喰う暇があったり、ウンコする暇があったら忙しい
なんて言うもんじゃねェ」 「職人で、自分で仕事の質を落とすってことは考えられ
ません。世間や客が質を落とせって言う場合が多いです」 面白いけど、笑えない。

さて、私は職人か。展覧会の作品は別だが、お名前などの注文篆刻では、希望を
充分に聞いて形で返したい。作風や流儀を押付ける作家ではなく、職人でありたい。

書が、判らない。(篆刻:書)

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先週の「情熱大陸」は女性書家の中塚翠涛。ルーブル美術館での展覧会に招待
されたのに驚いたが、それで二つの金賞をもらったというから、もっとビックリした。

こういう私の書道歴は小学校で教室に通い、県の教書大会に学校から選ばれて
行った程度だから、以下は素人のたわ言に過ぎないけれど。彼女の書の感想は、
「この程度の字を書く人は日本にどっさりいるだろうに」ということ。名のある書家の
篆刻も彫らせていただいているし、毎日新聞だから書の記事が多く、ほとんどに
目を通しても、私が双璧と思う良寛と会津八一をしのぐ書を見た覚えがない。まあ
ビートルズを超えるミュージシャンを知らないのと同じ話になってしまうのだけれど。

ただ面白いなあと思ったのは、彼女がルーブルのための作品を構想するにあたって
篆書体に大きく傾斜していたこと。書体に何の制限もないとき、また漢字を知らない
人々に漢字の面白さを伝えたい場合、誰もが整理されすぎた楷書ではなく、文字が
生まれたときの物語を色濃く残す篆書体の魅力にすがるのは、自然の流れなのか。

これを書く前にWikiで見たら、彼女は元モデル、現在もPR事務所所属で美人書家
が売り言葉だとか。女性書家は美人じゃないと有名になれないなんて風潮は勘弁して
欲しいけれど、金賞二つもくれたのはフランスだから美人に弱いのは仕方ないのか。

『倭人とはなにか』を読む。(印影:漢委奴国王)

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出野正・張莉ご夫妻から共著『倭人とはなにか―漢字から読み解く日本人の源流―』
(明石書店)を送っていただいたので、楽しい読書納めになった。「倭人」のルーツは
中国・長江の中下流の南側、滅亡した越の従順な民族で、ベトナムやタイ、さらに朝鮮、
または直接日本へ渡り、稲作や高床式建物を伝えたという説は、このブログの「張莉さん
の『「倭」「倭人」について』」「その2」「その3」
で紹介したので、お読みいただくとして。

第1章「(二人の)西双版納の旅」が発見と驚きにあふれて興味深い。西双版納(シー
サンパンナ)は中国の雲南省最南端の傣(タイ)族自治区で、一万二千の稲田の意味。
故鳥越憲三郎氏の日本と中国南部、朝鮮の古代文化の共通点研究を確かめる旅だ。
以下は二人が確認した日本との共通点。高床式建物と切妻造、入母屋造、校倉造、千木
(ちぎ)や堅魚木(かつおぎ)、棟持柱など。村の門の上にある鳥の彫刻は神社の鳥居の
原形。食べ物では、餅、赤飯、豆腐、こんにゃく、納豆、ちまき、馴れ鮓など数えきれない。

共通点は銅鑼、下駄、注連縄、鎮守の森、神籬(ひもろぎ)、貫頭衣、文身(入れ墨)、断髪
にも及ぶが、鵜飼も南中国と日本のみの文化だという。これほど共通点があれば、倭人が
南中国から日本へという説に反論はできないだろう。ひとつ、気になるのは中国や朝鮮を
経て薄まったり消えたりした文化がなぜ今も日本に根強く残っているのか。それが知りたい。

※出野正氏から早々にお返事をいただきましたので、以下に転記します。ありがとうございました。
①南中国文化と日本列島文化の接点として挙げられている事項の中で銅鑼は外した方がよいと思われます。銅鑼の紋様が楽器の南(銅鼓)に近いという話を本の中でしましたが、銅鼓そのものは日本には伝わっていません。一部鳥居龍蔵氏が銅鐸の元は銅鼓であるとの説を出されたが、形があまりにも違いすぎるため、いろんな説の中の一説として位置づけられています。
②「ひとつ、気になるのは中国や朝鮮を経て薄まったり消えたりした文化がなぜ今も日本に根強く残っているのか。それが知りたい。」
この件ですが、中国や朝鮮は「倭」文化以外の文化を持つ集団が中心的な勢力となり、「倭」文化が駆逐されたからだと思います。中国でも、東海岸あたりには「倭」文化の村落があったと思われますが、漢化されました。朝鮮では「倭」は562年に滅び、新羅→高麗の文化が中心となり「倭」文化は途絶えました。それに対して、日本列島は「倭」文化を持った「倭人」が中心勢力となったため、それが天皇一系や神社文化として残っているのです。その結果、「倭」文化が残っているのは日本列島と南中国やタイ・ラオス・ベトナムなどの現在まで存続してきた倭族の村落に日本の神社文化と根元が同じである共通文化が残ったと思われます。

 

店が、無い。(篆刻:店)

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約35年前、この狭川に越して来た時は肉と果物を売る店があった。村の宴会の
たびに、そこで肉を買い、野菜は持ち寄りでスキ焼きをした。肉など誰もありがた
がらなくなって仕出し弁当に替わった頃、その店は閉まり、店の家族は奈良市内に
出て行った。残った店はただ一軒で酒、タバコ、菓子などを扱う何でも屋だったが。

18歳になれば男女問わず免許を取る時代。車で量販店に行けば、ワンストップで
安いから敵うはずもない。宅急便、郵便、クリーニングと手を拡げてみても多寡が
知れている。夏の終わりに村の集会で「10月末で商品販売は終了」と伝えられたが
「地域でただひとつの店が無くなっては大変」、「出来るだけ買い物をしよう」などと
声を上げる者はなく、予告通り販売を終了した。タバコは在庫が無くなったが、酒は
棚に残ったままホコリをかぶっている。賞味期限が切れて、廃棄するしかないだろう。

かなり前に農協の支所は閉鎖され、ATMと精米機は残ったが、利用客が少ないので
撤去が決まっている。平成28年4月1日現在、狭川地区10町の世帯数は194で、
人口は444人。0~14歳は26人、15~64歳は215人、65歳以上が203人。人口は
10年で150人近く減っている。家族の平均は2.3人。田んぼだった土地に太陽光発電
のパネルが増えている。やっと3地区の真ん中に診療所が出来たのはニュースだが。

明るい篆刻。(篆刻:游心)

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遊が「親父の趣味は剣道も篆刻も屋根の下で暗い」と言ったことがあるが。その遊が
大きな空の下、広い鈴鹿サーキットで事故死したのだから、良かったのかどうなのか。
あの日から丸17年が、今日。晴れ男だった遊にふさわしく、今日も日差しが温かい。

剣道は教えていた小学生が3人しかいないのを機に10年ほど前にやめたけれど、
篆刻はもう40年近く続けていて、趣味から本業になった。確かにインドアの仕事では
あるけれど、それが暗いのか明るいのか。先日の三游会で、出野さんという本格的な
篆刻をされる方が、「あなたの篆刻には陽気がある」と言ってくださった。「ありがとう
ございます」と笑顔で答えたが、心の中では躍り上がった。私が目指している篆刻は
まさにそうなのだから。その漢字が生まれたときの物語をまず白川先生の『字統』で
読む。その物語をいま、この時に生かしてみたい。そう考えながら文字を見つめると、
伸びたがる線、曲がりたがる場所が見えてくる。素直にそうしてあげると、その漢字が
よろこんでいるように見える。そんな篆刻は見る人にも伝わるらしい。無理やり座棺に
押し込んだような篆刻には無い、明るさ、楽しさが生まれているはず、だと思うのだが。
「方寸(3センチ四方)の世界に(のびのび)遊ぶ」ことこそが篆刻の醍醐味なのだから。

遊もきっと上から見ながら、それを知っていると思う。「親父、楽しそうにやってるな」と。

腹筋で、背筋を。(篆刻:筋)

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正確には「腹筋運動で背筋を痛めた」だが。三游会のあと、額縁などを別の部屋に
移動した。階段の上に押し上げてから片付けたときに、夏の剪定で痛めた左上腕の
筋が伸びたらしい。それと前後して腹筋運動を始めた。三游会で会った友人たちが
「元気そうだね」と言ってくれるので、「ここが特に元気!」と出てきたお腹をなでた
けれど、笑っている場合ではない。やるのは朝がいいと聞いたので、朝のお経の後、
重いサイドボードの下に足先を入れて、上半身を挙げる運動をするのだが、最初は
背筋が痛くて、10回がやっと。最近は15回まで出来て、背筋も痛くないのだけれど。

寝ていても左上腕が痛くて目が覚めて、アイシングでやっと寝つけることもあるので
整骨院に行った。荷物を押し上げたことと腹筋運動を話すと腹筋の方法を聞かれた。
答えは「その方法では背筋を傷めます。壁に膝を曲げて足を押しつけながら上体を
起せば腹筋だけに負荷がかかる。」 やってみると確かにそうだ。「あと、座るときに
右足に重心をかけるように」という。三游会で後回しになっていた注文篆刻を急いで
彫っているのだが、なるほど主に右腕を使うと左下半身に重心がかかる。それも
体のゆがみの原因になり、左の背中や肩の筋に負担をかけていることになるのだ。

さァ、正しい腹筋運動が判った。お腹がへこんで腹筋が割れる日も遠くない、かな?

豊かな「三游会」。《篆刻:豊》

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春、翌年の秋、翌々年春と3年に2回続けてきた楽篆堂と花の会の共同展「三游会」。
16回目《豊》は10月28~30日、千人近く、おそらく最多の方々にご来場いただいた。

花の会は夏の気候で心配もあったが、自然の生命力に助けられ、改めて野山の恵みに
感謝を深くした。楽篆堂は今回初めて花が中心の1、2階に花にちなんだ篆刻を置いて、
遅ればせながら花と篆刻のコラボができた。中2階は篆刻メインで、「人生七十古来稀」
から始まり「生狐死独」などを経て「天高気清」までの構成を試みた。篆刻教室天の会の
皆さんの作品をパネルに、技能賞、敢闘賞の2人の作品は額に入れてご覧いただいた。

『こわくてゆかいな漢字』を出版し、大阪教育大学の先生をされている張莉さんが生徒たち
と来てくださり、その若者が「大変楽しい、可愛い、創作意欲を刺激された」と言ってくれた
のはとてもうれしかった。また、ある方は奥さまが三游会に毎回のようにお越しになって
いたが亡くなってしまった。案内ハガキが奥さまの名で届きうれしかったと芳名帳に連名を
書かれたが、翌日また遺影を胸にしながら、作品を見せてくださっていたのには心を揺さ
ぶられた。続けて良かったと思った。大阪、京都、兵庫、和歌山、三重、名古屋からも来て
いただきながら、ゆっくり話も出来なかった方々、お許しください。ありがとうございました。

次は平成30年の春。老骨に残りし花こそ誠の花・・・、どんな花を咲かせられるだろうか。

我が身を、灯明に。(篆刻:燈明)

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映画が終わって、ほとんどの人が熱く拍手をしたけれど。私は、勇気ある監督を
讃えたかったが、提示された事実が重すぎて拍手できなかった。題名は「ルンタ」。

チベット人の焼身抗議の実相に迫るドキュメンタリー映画で、監督は池谷薫。案内人・
中原一博は自ら建てたルンタハウスで、チベットで拷問を受けた後にインドに逃れた
元政治犯に学習・就労の支援をしている。2009年に焼身抗議が始まると、ブログの
チベットNOW@ルンタ」で焼身者の詳細なリポートを送り続けている。チベット人が
抗議するのは中国の圧政と弾圧で、奪い取られた伝統文化と信仰生活、言語教育
政策、遊牧民の定住化、資源採掘の環境汚染、住民の移動制限など数えきれない。

2016年3月、焼身抗議者は内地(チベット自治区)の144人、外地(インド・ネパール)
の6人で150人を超えた。僧侶、中学生、名前も判らぬ老女・・・ 中国政府は焼身
をテロと呼ぶが、他の誰も傷つけず自らに火を放つ行為はテロではない。しかも、
ほとんどの焼身者は詩のように透明な遺書でも、弾圧者を非難せず、自らを灯明と
することで世界の平和、ダライラマの長寿と帰還を願って死んでいく。この徹底的な
非暴力、圧倒的な不服従の意思を支えるのは、やはり信仰なのか。神の名を借りて
自爆テロを続ける集団の対極にチベット人がいる。「格子なき牢獄」の中になのだが。

※「ルンタ」とは、経文を印刷した魔除けと祈りの旗。中央には「風」「速さ」を象徴する
馬が描かれている。

真冬のダニ。(篆刻:大丈夫)

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まさか真冬にダニがいるとは思わなかったが。去年の12月、剪定したサザンカを
片付けて燃やした夜。風呂で体を洗ったとき、右のくるぶしの少し上で小指の爪の
半分ほどの肉がめくれていた。枝が当たった傷でも痛くないことはある。つまんだら
すぐ剥がれたが、それは血を吸って大きくなったダニだった。真冬の外の仕事だから
ズボン下をはいて、靴下も厚めだったが、どうしてもぐり込んだものか。ティッシュで
くるんで、翌日見れば、まだ生きているから、一応写真を撮ってから殺したのだが。

それから、もう8ヶ月以上。その部分がときどき痒くなる。患部をよけて、周囲を掻く
のだが、だんだん10円玉大になり、500円玉大へと大きくなった。最近は液が浸み
出してベタついたり、それが乾いてパリパリになったりする。9月に入ってもそんな
状態なので、いよいよ皮膚科に行った。先生は「そのダニが翌日も生きていたなら
口が体には残らなかったはず。無理に取ると口の一部が体内に残って、ダニも死ぬ。
患部を見るかぎりは単に湿疹が悪化しただけのようなので、塗り薬で治そう。皮膚が
正常になったら改めて検査する」という。処方されたステロイドは市販のものより少し
強いようで、塗って絆創膏を貼ったら、痒みもなく、皮膚も回復しつつある。大丈夫か
とも思うのだけれど、8ヶ月も痒みが続いたのは尋常ではない。やはりダニ恐るべし。

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