篆刻の不思議。(篆刻:榊浩行、HIRO)

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かれこれ40年以上も篆刻をやっていて、数えきれないほどの方々から篆刻のご注文をいただいてきたから、中には「数えきれないほどの篆刻作家の中から、なぜ私を選び、ご指名いただいたのか」、どう考えても奇妙で不思議なことがある。

◎視線で絵を描く榊浩行さんから、篆刻の依頼。
榊浩行さんの絵のプロデュースをされる方から、HPのご注文のメールがあったのは、2019年の4月だった。「彼は、ALS(筋委縮性側索硬化症)という難病の患者さんで、全身の筋肉機能は失われ、現在眼球のみ動く状態で入院をされています。この難病は、意識はしっかりとあるのですが、筋肉なども動きません。その彼が、動く視線のみを使って絵を描き、この度代官山の蔦屋さんにて展示がされるまでになりました。絵も販売されて、先日第1号が売れました。彼は、動くことができないため、直筆のサインをすることができません。そこで相談して、「彼の作品の証明できるもの」として、篆刻がよいと(いうことに)なりました。」 「漢字の榊浩行かアルファベットでHIROのどちらかで」というメールに添えて、何点かの作品が画像で送られてきた。

花や風景などすべての作品は小さな色の点で描かれていて、そのひとつひとつの色、大きさ、位置が視線だけで描かれたことに、ただただ驚き、感動して、すぐに「榊浩行とHOROの両方を彫り、心ばかりの応援として贈らせていただきたい」とお返事した。篆刻はどちらも長方形で、「榊浩行」は縦で、「HIRO」は横でOを無限大にした。袋部も張り切って韓国のパッチワーク“ポジャギ”の四方袋に二つをセットで入れるようにした。

篆刻が届くと早速病床で作品に落款印を押す「調印式」をしましたとメールがあり、榊さんの手をとって作品に押印する写真も送っていただいた。5月16日の榊さんのFacebookには同じ写真がアップされ、「おかげで、デジタルの絵が世界で一つだけのものになりました。」とコメントがある。何枚でも複製が可能なデジタル作品でも落款印を押すことで世界唯一の作品になると、落款印本来の役割を見事に示していただいた。

◎NPO法人の立上げとギャラリーのオープン。
と、まあ、ここまでは、篆刻注文にまつわる美しいストーリーなのだが。この榊さんの篆刻を彫る前後から、私はここ奈良市狭川地区でNPO法人を立上げるために多忙を極めていた。藤井忠一さんという奈良天理出身の現代美術作家の巨木アート7点を狭川活性化のために譲りうけ、旧農協狭川支店の土地建物を購入し、巨木アートを展示し、木のおもちゃの店も併設するというプロジェクト。2020年の1月にはNPO法人手力男(タヂカラオ)として認可され、3月15日には奈良市長や県会・市会議員も招いてオープニングができた。

NPOは非営利ではあるが、運営資金は自らの才覚で稼がなければならない。元農協の1階事務所はオープンオフィスとして、誰でもが気軽に立ち寄って交流できる場にしたが、2階の旧会議室が無粋な蛍光灯やサッシの窓のままで、ガランと空いている。そこで地元の建具屋にも協力してもらい、蛍光灯は和紙のシェードで覆い、窓も障子で隠して、直射光を間接光にした。天井埋め込みのエアコンを入れ、トイレも水洗に換えて、白を基調にしたかなり大きなスペースが出来上がった。ギャラリー“陀敏知(ダビンチ)”と名付けて、交通はやや不便だが、若手のアーチストをターゲットに格安の貸ギャラリーとすることにした。

◎私の住んでいた建物が、榊さんの絵の中に。
オープン予定はレオナルド・ダ・ビンチの誕生日の4月15日。まずはオープニング企画展をと、関西の知り合いのアーチストや篆刻でご縁が出来た作家さんにメールで出展を依頼した。まず30人ほどに依頼したら、その日のうちに20人ほどから快諾の返事をいただいた。その中のひとりが榊浩行さんで、展示のために改めて送っていただいた作品が『海を見に』だった。
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実は、この『海を見に』は、篆刻を依頼された時にも送っていただいていたのだが、展示のためにプリントアウトして額に入れながら、「あれ、この絵のセンターに描かれている建物は、私が昔住んだことのある逗子マリーナではないのか」と、初めて気がついた。早速メールで「『海を見に』の絵のほぼ中央に描かれているのは逗子マリーナでしょうか」と聞くと、「それは知りませんが、鎌倉の長谷寺からの風景です」との返事。それならば逗子マリーナに間違いないのだけれど、それ以上この奇遇を突き詰める余裕が私にはなかったのだ。

◎新型コロナの緊急事態、そして癌。
なぜなら、新型コロナの緊急事態宣言で、手力男も4月に入って間もなくで休業せざるを得なくなって、営業再開とギャラリーオープンが6月3日まで延期になった。展示用の作品はほとんど届いているので、急遽ホームページでネット・ギャラリーとして公開した。実際の展示は、時間的に相当ラクになったのだが、もうひとつ、私個人に厄介な問題が持ち上がった。

5月23日、口の中の荒れは口内炎だと思ったのに、細胞を検査した結果が「口腔底癌(扁平上皮細胞癌)」だったのだ。幸い近畿大学奈良病院の耳鼻咽喉科の教授が、私の篆刻をたびたびお祝いに使ってくれている方だったので、すぐに診察していただき、手術日も6月15日と早々に決め、それまでに転移がないかなどの検査をいくつも受けることになった。手術前の検査とギャラリーの準備がすっかり重なったのだが、ここでコロナに罹ると手術が大幅に延期になるから、私たち夫婦は外部との接触を禁止された。だからギャラリーの展示など準備は、誰にも会わないようにして、二人でやったのだが。
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その準備の真っただ中、オープン直前の5月28日、榊さんが亡くなってしまった。他の作品には名刺大のカードに「作品名、ジャンル、作者、県名」を書いて添えたが、榊さんの『海を見に』には、さらに病床の写真、他の作品、新聞記事に加えて、手書きで亡くなったことと哀悼の意を記した。私は6月15日入院、16日手術、25日退院だったから、6月29日の最終日まで、実際に会場には行けず、7月になってから片付け、作品に礼状を添えて発送などをした。なおかつ、そのまま手力男の理事を続けることは癌の再発につながりかねないので、7月初旬には手力男を退会させてもらった。

◎そして、もう2年。
そして、かれこれ2年が過ぎて、最近、なぜか榊さんの『海を見に』が気になって仕方がない。日記を見直したり、ネットで検索してみると、『海を見に』は2018年10月に榊さんの分身ともいえる意思伝達装置“オリヒメ”が長谷寺に連れて行ってもらい、病床の榊さんはオリヒメを通して、久しぶりに海を見て、観光客のざわめきまで聞いたそうです。絵は2か月かかって、12月に完成しています。そして、翌年4月、その絵とともに、私へ落款印の依頼が来ました。

ずい分話があちこちに飛びましたが、改めて本題に戻ります。やっと今になって判りました。榊さんは私に篆刻を依頼するとき、「あなたの住んでいた逗子マリーナを描きました。その絵に押す落款印をあなたに彫って欲しいのです」と言ってくれていたのです。それをシンクロニシティ(意味のある偶然の一致、共時性)と呼ぶかはともかく、こんな奇縁があったことは事実なのです。もう、半月ほどで榊さんの命日になります。改めて榊浩行さんのご冥福をお祈りします。合掌

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