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篆刻(篆とは)

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これまで「篆刻とは」、「篆刻(印と印章について)」と2回に分けて、篆刻とはなにかを分かりやすくまとめてみたのですが、今回はもっとも基本的な、楽篆堂の号にもある「篆とは」の解説をしてみます。

まず、一般的な解釈として『漢和辞典』旺文社を見てみます。
〇書体の名。周の太史籀(チュウ)の作った大篆と、秦の李斯(リシ)の作った小篆とがある。「篆文」〇印章。(篆体の文字が多く使われる)〇銘文。金石にきざんだ文。(銘文には篆書を多く用いる)
残念ながら、これでは「篆」という特別な文字の意味がまったく見えてきません。他の資料を探ることにします。

①【篆】とは…白川静『字統』から
【篆】テン=書体の名として「声符は彖(たん)。彖にまるいものの意がある。〔説文〕にある「引書なり」とは、筆を引いて同じ太さで書く書法のことで、いわゆる篆文であろう。
甲骨文は契刻してしるすもので、その刻画は尖鋭なものであるが、金文の字には肥瘠破磔があって、筆意がよく示される。しかし後期の金文に至っては肥瘠を加えず、かつ結体も均斉なものとなる。この後期金文や〔石鼓文〕の書体が大篆といわれるものであり、それを整理して標準化したものが、小篆であると考えてよい。
印刻の字には多くその体を用いるので篆刻といい、また碑文などの題額にもその体を用いて篆額という。小篆の字形の直線化したものが隷、あわせて篆隷という。楷以前の字体である。
篆は筆を離さず屈曲纏繞(てんじょう)するものであるから、装飾的な字様となることがあり、呉越の地では春秋末ごろ特に鳥篆が行われた。満城漢墓の鳥篆文銅壺はその風を模したものであるが、殆ど文字としての機能を失っている。香煙のゆるく舞いのぼるさまを、篆煙という。」としています。

②【篆】とは…水野恵『印章篆刻のしおり』から
「印材に印文や枠等を彫りつける事を「篆刻」と言います。」としたうえで、「「篆」の字源的な意味は現在明らかではありませんが、「縁」や「椽(テン、たるき)」といった同類の言葉を集めて、それらの最大公約数的なものによる類推は可能です。そうして「彖」の仲間を集めてみると「細長い物をずっと先の方へ辿って行く」という最大公約数が見つかります。
糸を辿り(縁)、木を辿り(椽)、手を辿り(掾、エン、ふち・へり)、ということになると、竹を辿るのが「篆」のようです。ところが「縁」は糸そのものではなく布か衣服のへりを表し、「椽」は樹木でなく棰(たるき)を表し、「掾」は手そのものでなく袖口を表しますので、「篆」も生えている竹や竿ではなく、細長くて、先へ辿って行くべき竹の加工品であると考えるか、そういう加工品を先の方へ辿って行く事、と考えるのが妥当でしょう。
そこで古い竹の加工品で細長い物を思うと、竹簡が浮かびます。竹簡とは、紙が発明されるまで、今の料紙と同じ用途の具として文字を書き記すために、竹の薄板を細長く加工した物です。けれども竹簡は簡であって「篆」と言われた例は発見されていないようです。すると「篆」とは、竹簡を先の方に辿って行く事だと考えてよさそうです。竹簡を辿ると言えば、これはもう竹簡に字を書く→字を書く、以外の事ではありえません。
この解釈は一つの類推ですが、篆書という語の誕生もこの類推からなら説明がつきますし、たまたまこの仮定は最古の漢字字典である説文解字の解釈と一致します。説文解字には「篆とは印書なり」という意味の説明があります。「篆」が「文章を書く」ならば「篆刻」は「文章を書いて彫る」意となります。そして印章の場合の「引書」は印文ですから、篆刻の定義は前述のとおりとなります。」としています。

白川、水野両氏の説を総合すると「篆とは、まだ紙のない時代、竹簡に「引書」という書法で筆を引きながら同じ太さで文字(篆文)を書くこと」になります。

③【篆】とは…『大漢語林』から
また、『大漢語林』では、「【篆】①漢字の書体の名。周の宣王の太史の籀(チュウ)の作といわれる大篆(籀文チュウブンともいう)と、秦の李斯リシの作いわれる小篆とがある。多く印章に用いられる。⇒篆書。「篆書」、「篆文」②はんこ。印章。篆書を用いることが多いのでいう。」とし、その解字には「竹+彖。音符の彖(テン)は、轉に通じ、めぐらすの意味。筆を回転させるようにして書く書体の意味を表す。」とあります。

白川、水野両氏の説にこれを加味すると「篆とは、まだ紙の無い時代に、竹簡に筆を引いたり回転させたりしながらも、同じ太さで文字(篆文)を書くこと」となり、書の方法としての「篆」のイメージがより具体的になります。

④【篆】と筆の関係
では、書の方法としての「篆」を可能にした筆とは、どんなものだったのでしょうか。
曽紹杰(けつ)の『書道技法講座<篆書> 泰山・瑯邪台刻石』には、「古代の篆書というのも古人の日常の字であり、時代が移るとともに変わって違ってきたにすぎない。昔の最初の筆は竹に毛を束ねただけのもので、これで線を引いたから、篆書はどこも太さが均一で、転折のところも角ばっていないのである。後世の人の楷行草は太いところと細いところがあるので美しく見えるが、もし筆に芯がなければ様にならないであろう。今の人がこの芯のある筆を使って篆書を書こうとすれば、困難は古人よりはるかに多い。」とし、さらに「(篆書の)初学の者でうまく筆を使えない場合は、灯火で穂先を少し焼くと書きやすくなる」というアドバイスまでしています。
また「後世の毛筆は次第に精巧に作られるようになって、(中略)この種の先が尖った筆は楷行草を書くのには大変便利だが、篆書を書くにはむしろ不都合になる。」「秦篆のような穂先の出ない起筆を書くには逆入平出という蔵鋒による方法を用いなければならない。」と《蔵鋒法》を解説し、また「古い筆を溜めておいて、穂先の尖っていない筆に育てる」《旧筆平起法》を併記しています。

古代の篆書は、筆がまだ未発達で粗末な作りだったがために生まれた文字の形、文字のスタイルであったと言ってよいでしょう。

参考資料:
(1) 白川静『字統』平凡社、1994年
(2) 水野恵『印章篆刻のしおり』芸艸堂、1994年
(3) 鎌田正・米山寅太郎『大漢語林』大修館書店、1992年
(4) 曽紹杰(けつ)『書道技法講座<篆書> 泰山・瑯邪台刻石』二玄社、1987年

篆刻(印と印章について)

前回の「篆刻とは」の整理で、一般的には【篆刻】はほぼ【印、印章】とされていることが判りましたが、篆刻によって生まれる印には、使用される目的があって、それによって印の呼び方が変わってきます。
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画像は、阿部玲雅さんという書道をされる方のために楽篆堂が彫らせていただいたものですが、それぞれに使用目的と名前があります。その呼び方はあくまでも便宜的なものですが、篆刻、印の種類、カテゴリーとして成立しているものがいくつかありますので、それを整理しておきましょう。

《篆刻(印、印章)の使用目的と種類》…目次
①【落款(らっかん)】
②【落款印】
③【姓名印】
④【雅号(別号)印】
⑤【雅号】
⑥【別号】
⑦【別号印】
⑧【引首印】
⑨【関防】
⑩【遊印】
⑪【恒操印】
⑫【公印】
⑬【私印】
⑭【官印】
⑮【雅印】

①【落款(らっかん)】とは「(落成の款識(かんし)の意)書画に筆者が自筆で署名し、または印をおすこと。また、その署名や印(注:この場合は印影を指すと考えられる)。」と広辞苑(第七版)にあります。

水野恵氏によれば、『「落款」とは「落成の款識」という意味で、「落成」とは工事の出来上がり。この工事とは土木建築に限らず、技術が未発達な時代の金属器を作ることも工事であって、小さな器を作り上げた時も「落成」と言ってよい。また「款識」とは金属器に彫りつける文字のことで、文字を凹に彫った陰文を「款」と呼び、文字を凸状にした陽文を「識」と言う。そこで「落成の款識」というのは「物が出来上がったときに記された文字」になり、さらに「物を仕上げた時に作者を示す証しとして記したもの」になり、そのような習慣が書画に多いことから、書画の作者の署名、または捺印、または署名捺印の専門語のようになった。しかし、陶磁器や彫刻、漆器、染色などに作者の名を記しても「落款」でよく、「作者が自らの責任の所在を明らかにするため作品に明記するもの」を落款としてよい。それはハンコでなければならない訳でもない。』(3)とあります。

つまり「落款」とは作品の作者が責任の所在を明らかにするための署名や捺印のことで、篆刻された印(印顆)それ自体を落款と呼ぶ人がいますが、これはまったくの誤りです。

②【落款印】
広辞苑には「落款印」という言葉はないのですが、書画などの作品の作者としての落款という行為の為に使用することが明らかな印は、楽篆堂は便宜上「落款のための印」=「落款印」と呼んでいます。

「落款として押す印(落款印)」については、作者の責任を明らかにするために押すので、最低でも「姓名印」や「雅号(別号)印」のどちらか、より丁寧にするなら「姓名印」と「別号印」を上下セットで押します。

③【姓名印】印に彫る文字は「姓名」「姓のみ」「名のみ」などがあり、好みで決めることができます。その字数によって「印」「之印」などを加えてバランスをとることもあります。朱白については、対で押される「雅号(別号)印」は朱文が基本なので、「姓名印」は白文が一般的です。

もちろん、姓名印が単独で押される場合は朱文もあり得ます。
※画像の真ん中の「阿部」が、姓の2文字を彫った「姓名印」です。

④【雅号(別号)印】
「雅号印」「別号印」ともに広辞苑にはないけれども、水野恵氏は印文に雅号を刻すものは「雅号印」としています。楽篆堂も「雅号印」というカテゴリーを設けています。「別号印」も同じです。

⑤【雅号】
広辞苑では「文人・学者・画家などが、本名以外につける風雅な別名。号。」とあります。観峰流という書道の「観峰文化センター」によれば、「雅号とは、書画に用いる雅趣に富んだ名前で、本名より作品に調和して品位を高めるとともに、作者の精進努力の気運をわきたたせる」としています。

⑥【別号】とは。
広辞苑では「別につけた名号。ほかの呼び名。」

⑦【別号印】は広辞苑にありませんが、ほとんどの篆刻関連書にあります。一般的には「雅号印」が多く使われ、専門書では「別号印」がより多く使われているようです。
「別号」のあとに・山人 ・閑人 ・散人 ・道人 ・学人 ・居士 ・雅人 ・外史 ・老人 ・翁 ・女史などの別号に関係ある文字をつけることがありますが、最近ではとても少ない例と言っていいでしょう。
※画像の右の「玲雅」が、阿部さんの雅号なので「雅号印(別号印)」です。

落款に使われる印は署名の近くに押す「姓名印」「雅号(別号)印」が基本ですが、もうひとつ「関防(引首)印」を加えることがあり、さらに右下、左下に「押脚印」まで加えることもあります。「関防(引首)印」を広辞苑で調べてみましょう。

⑧【引首印】書画幅の右肩に押す印で、多くは長方形のもの。関防。
⑨【関防】①中国で関所のこと。②書画の右肩に押す印。関防印。
水野恵氏によれば、『「関防」は本来割印のことで、文章に印章をまるまる捺すよりも、元帳にかけて割印にした方が照合が容易なので生まれたが、やがて割印でなくても「関防」というようになった。関防を「冠帽」と誤ったうえに、印をつけて「冠帽印」ということがある。四角い印章を割印にすると長方形になる。日本では書画の右肩に長方形のハンコを捺す事が流行ったので、割印形ということで「関防」と気取って言ううちに、上の方に捺すから「カンボウ=冠帽」だろうと誤ったと思う。』と記しています。

引首印(関防印)の形は長方形が一般的ですが、楕円もあり、円形、瓢箪型などもあり、朱文も白文もあります。では、そこに何を彫るのでしょうか。
榊莫山氏は『ここから美の世界がはじまるという合図のようなものだから、詩や句の一節とか感懐的な言葉を彫るのが普通である。』としています。
※画像の左が「芽生」で、阿部さんのお好きな言葉を彫った「関防(引首)印」で、高さ20ミリの落款印3顆セットになります。

この「引首印(関防印)」は自分の名や号ではなく、愛好する詩句・成語などを彫った印なので、「遊印」ということもできます。広辞苑で調べてみましょう。

⑩【遊印】(遊戯の印の意)自分の名や号ではなく、愛好する詩句・成語などを彫った印。文人の落款などに用いる。
水野恵氏は、『「遊印」とは。「誰かの名前や肩書に関係のない印文の印章」で、この場合の名前は個人に限るわけではなく、法人名も含まれ、要するに「譲渡によって元の人以外の不特定の誰かの印章となりうる」印文の印章を「遊印」という。』と規定しています。

⑪【恒操印】遊印に対して特定の人(法人でも)の印章としかなりえないものについては、水野恵氏は『恒操印」という言葉を提案しています。例えば「〇〇国王之印」は誰か唯一人の国王の印ではなく、国王が交代しても新たな国王の印となり、また譲渡によって国王以外の人の印章になることもないので「恒操印」と呼ぶ。印文が姓名であれば、みな「恒操印」である。』としています。

続けて水野氏は『「恒操印」のなかで「〇〇国王之印」とか「□□課長」のように、印文が公人資格を示すものは「公印」といい、それ以外を「私印」という。』と分類しています。

念のため、広辞苑で確認してみましょう。
⑫【公印】おおやけの印。官庁公署の印。
⑬【私印】各個人または家の印章。←→官印・公印。
⑭【官印】①官庁または官吏が職務上に使用する印。公印。←→私印。

以上、【篆刻】はほぼ【印、印章】としたうえで、印の主な種類を整理しましたが、篆刻、印に関する書物やネットの記事のなかに【雅印】という言葉がかなりの数、見受けられますので、ここで検討しておきます。

⑮【雅印】は広辞苑にはありません。
榊莫山氏はこの雅印について『世に「雅印」と称する言葉が使われているが、風雅な印とか風流な人の印といった漠然とした意味で使われることが多い。字典にもあまり出てこない言葉だが、よく使われる。』(1991年)と記していますが、現在はどうも「篆刻」イコール「雅印」と呼ばれることが多いのではないかと観察されます。

書や絵に作者として押す大げさな落款印ではないけれど、手紙やハガキ、一筆箋などに、例えば名字や名前のひと文字でも印にして押す場合に、その印を何と呼んだら良いのか。誰しもが考えることでしょうし、いつしかそれが「雅印」と呼ばれるようになったことは、ごく自然なことだと思います。
かえって「雅印」という呼び方には、篆刻や印に対する愛情のようなものさえ感じます。

そこで、楽篆堂は「篆刻」イコール「雅印」とする実勢に合わせて、篆刻のカテゴリーにあえて「雅印」を加えています。

◎講演の記録「篆刻とは…楽篆堂の場合」も合わせてご覧ください。

参考資料:
(1) 榊莫山『印章教室』創元社、1991年、ISBN 4-422-73007-X
(2) 榊莫山『書の講座⑥文字を彫る』角川書店、1983年、0371-650606-946(0)
(3) 水野恵『印章篆刻のしおり』芸艸堂、1994年、ISBN 4-7538-0161-6
(4) 水野恵『日本篆刻物語・はんこの文化史』芸艸堂、2002年、ISBN 4-7538-0192-6
(5) 梅舒適・監修、金田石城・編著『篆刻のすすめ』日貿出版社、1979年 第4刷
(6) 梅舒適ほか 『篆刻百科』芸術新聞社、1994年、T1005466102601
(7) 中村淳・監修『篆刻入門』日本習字普及協会、1976年

篆刻とは

この楽篆堂のホームページは「注文篆刻の通信販売」というサイト名ですが、
さて、この「篆刻」とは何でしょうか。まず、これは何の写真だと思いますか。
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「形はちがうけれど、どれも石のようだ」「文字、アルファベットや模様が彫ってある」「赤い印肉のようなものついている」という観察の結果、一番多い答えは、きっと「石のハンコ」でしょう。
わざわざこのホームページを何らかの目的をもってご覧いただいた方なら、「4つの篆刻」と答える方が多いでしょう。「ハンコ」も「篆刻」も、どちらも間違ってはいません。
でも、世の中には「篆刻」という言葉を聞いたことがない人の方が多いのではないでしょうか。
篆刻をまったく知らない人にあえて説明するなら、「書や絵におしてある赤いもの」といえば、少しは通じるかもしれません。しかし「篆刻」と言う言葉を聞いたことがある方でも「篆」という字はなかなか書けません。それくらい「篆刻」というのは分かりにくい言葉ですし、正しい意味を理解している方はむしろ少ないかもしれません。
(写真:楽篆堂の自用印4顆で、左から「快」、「LuckTenDo」、「三つ巴」、「無為天成」)

しかし、このホームページは「篆刻」専門サイトですから、篆刻に関わる膨大なコンテンツで構成されています。このサイト内では「篆刻とは何か」を曖昧なままにして良い訳がありません。そこで、ここでは「篆刻とは何か」を分かりやすく説明して、それに付随する言葉や意味までも解説することで、共通の理解を深め、「彫って、おして、見て、うれしい、楽しい」、「新しくて、懐かしい篆刻」の創造に貢献できればと考えています。

「篆刻」とその周辺の言葉の一般的な理解のために、以下、広辞苑(第七版)を中心に調べていきます。

《篆刻と、その関連の言葉と意味について》…目次
①【篆刻(てんこく)】
②【印】
③【判】
④【判子(はんこ)】
⑤【印章】
⑥【印鑑】
⑦【印顆(いんか)】
⑧【顆】
⑨【印影】
⑩【印材】
⑪【篆刻とは】(まとめ)

①【篆刻(てんこく)】
まず「篆刻」とは、「木・石・金などに印をほること。その文字に多く篆書を用いるからいう。」とあり、印にする素材に篆書体の文字などを彫る「行為そのもの」とされています。
ですから、ここでは一応、本来的には文字が彫られた「印そのものを篆刻と呼ぶのは正しくない」としておきましょう。

②【印】 ①しるしとするもの。特に木・牙・角・水晶・石・金などに文字などを彫刻し、文書・書画に押して証明とするもの。判(はん)。「―を押す」「―鑑」・・・ここでは「印」は「判」と同じで、「文字などが彫刻された物」とされています。また、文書に押す印と書画に押す印が同列、同等になっています。
②として「昔、中国で官職のしるしとして佩用した金石製の印章。「―綬」」の記述もありますが、印の歴史的なことなので、ここでは脇に置きます。

③【判】しるし。わりふ。花押。印鑑。「―を押す」・・・「花押」とは印を手書きに適するように工夫したもの。「印鑑」がここにあることについては、【印鑑】のところで説明します。

④【判子(はんこ)】(「はんこう(版行)」の転)印形(いんぎょう)。印判。判。認め印。「―を押す」・・・ここに「認め印」があるのは、「はんこ」が日常的な言葉であることの影響かもしれません。

⑤【印章】印。判。はんこ。

ここまで広辞苑で「印」、「判」、「判子」、「印章」を見たのですが、大まかに言えば、どれも同じ意味で「文字などが彫刻された物」として使われている言葉と言えそうです。

京都の篆刻家・水野恵氏は、「ハンコ」と同意で復捺性(何度も同じものが捺せる性質)」を持ったものを指す語は「ハンコ、はん、おしで、しるし、印、印判、印形、印章、璽(鉨)、印璽、章、記、印記、印信、朱記、条記、図記、図書、図章、関防、押、合同、宝」の23語があるとしています。

また水野氏は、「当人が、限定された記載事項を、証拠を残して証明する」行為を「示信行為」と言い、その証明を「示信」と言う。その方法であるハンコ、サイン、その他をすべて「示信の具」と言う。示信の具としてハンコを指す語が多くて煩わしいので、「印章」を特に示信の具であるものを指す言葉の代表として用いることを提案しています。(3)

ここまで、「印」に関わる「判」、「判子」、「印章」という言葉をみてきましたが、【判】のなかに「印鑑」という言葉がありました。では、印鑑は広辞苑ではどうでしょう。

⑥【印鑑】
「①関門・城門などを通過する時に提示した捺印(なついん)手形。
②あらかじめ市町村長や銀行その他取引先などに提出しておく特定の印影。印の真偽鑑定に用いる。」です。

水野氏によれば「世間ではハンコとか印章のことを「インカン」と呼ぶ人が多くいて、ハンコの専門家であるハンコ屋さんまでが印章と言わずインカンと言うことがあるけれど、これは誤りで、「印鑑」の「鑑」は見分けるしるしの意ですから、「印鑑」は「印の鑑」、「ハンコを照合するための見本となるもの」であり、具体的には「印章を登録しておく台帳」のことです。」と記しています。

このように、「印鑑」という語にはハンコとか印章というモノの意味はなかったのですが、広辞苑の最新の第七版では、「③印。印章。判。」と、モノとしての意味が加筆されています。時代の流れに中で、間違った意味がとうとう認知されてしまったのです。

ところで、「印」、「判」、「判子」、「印章」という「文字などが彫刻された物」を指すのに適当な言葉はないのでしょうか。一般的には聞きなれない言葉ですが、「印顆」という、印そのものを示す熟語が広辞苑にもあるのです。

⑦【印顆(いんか)】「印。印章。印判。判。」
⑧【顆】「丸いもの、つぶ。玉石、果実などの個数を数えるのに用いる語。」としており、篆刻も「一顆」「二顆」と数えます。落款印の白文、朱文の組合わせは「二顆組」とか、関防(引首)印が加われば「三顆セット」とかになります。

ちなみに⑨【印影】は「紙などに捺された印のあと」です。
また、木・牙・角・水晶・石・金などで、まだ文字などを彫刻される前のものは、⑩【印材】と呼ばれます。

これをまとめると、以下のようになります。
木・牙・角・水晶・石・金などの【印材】を用いて、篆書などの文字を彫ることを【篆刻】といい、出来上がったものは【印、印章、印判、判】、また最近は【印鑑】とも呼ばれるが、それらのモノを称して【印顆】という。印を数えるときは一印、二印ではなく、一顆、二顆と言う。

以上で「篆刻」とその周辺の言葉を整理しましたが、もう一度、始めの「本来的には文字が彫られた印そのものを篆刻と呼ぶのは正しくない」としたことに戻ります。

篆刻によって出来上がった「印」が押されるものに「書」や「絵」がありますが、「書」も「絵」もそれを生み出す行為を言うと同時に生み出された結果の物を指すこともあります。私たちの言葉は、往々にして「行為イコール結果」とすることの方が多いし、それに抵抗を感じる、違和感を持つことは少ないのではないでしょうか。

⑪【篆刻とは】
つまり、世間の一般的な理解では、いくら広辞苑に記されていないと言っても、【篆刻】とは印材に篆書などを彫ることであると同時に、印となった制作物、または作品それ自体を【篆刻】と呼ぶことが多いのです。もっと言えば、「紙などに捺された印のあと」イコール【印影】さえも「篆刻」とか、「篆刻作品」と呼ぶことが多いのです。

この楽篆堂のホームページでは、「篆刻」と言う言葉を、上のアンダーラインのようにあえて広義にとらえていることをお断りしておきます。

◎講演の記録「篆刻とは。…楽篆堂の場合」も合わせてご覧ください。

参考資料:
(1) 榊莫山『印章教室』創元社、1991年、ISBN 4-422-73007-X
(2) 榊莫山『書の講座⑥文字を彫る』角川書店、1983年、0371-650606-946(0)
(3) 水野恵『印章篆刻のしおり』芸艸堂、1994年、ISBN 4-7538-0161-6
(4) 水野恵『日本篆刻物語・はんこの文化史』芸艸堂、2002年、ISBN 4-7538-0192-6
(5) 梅舒適・監修、金田石城・編著『篆刻のすすめ』日貿出版社、1979年 第4刷
(6) 梅舒適ほか 『篆刻百科』芸術新聞社、1994年、T1005466102601
(7) 中村淳・監修『篆刻入門』日本習字普及協会、1976年

印を、鋳る。(鋳造印:楽)

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京都の泉屋博古館で「鋳物体験 ―古印をつくろう―」というワークショップがあった
ので、迷わず参加した。私が作る篆刻(印)は、蝋石に近い柔らかい石を印刀という
刃物で、直接彫るのだが、日本の古印といわれるものは、奈良~平安時代に青銅で
鋳造された印章をいう。これを低い融点の錫(すず)でつくるという、1時間半の体験。

印面の鋳型は、細かな粒子の粘土を焼いた素焼きで約25ミリ角の陶板。もうひとつの
持ち手の鋳型が当たる四角い部分の内側に、枠や文字を下書きしてから、鉄筆のような
もので丁寧に削る。彫った溝が印面の文字だから、逆文字にはしない。溝は谷型だから、
凸になったときに文字がしっかり現れるためには、かなりの深さを彫らないといけない。

出来上がった陶板の鋳型の上に、持ち手の長い鋳型(耐熱シリコン)を乗せて、ネジで
締めて密着させる。融けた錫をお玉ですくって、鋳型の上の穴から一気に注ぎ、あふれる
直前で止める。ネジを外すと陶板はすぐ離れるが、錫はシリコンの穴から押し出して、
水に入れて冷ます。印面の文字は凹凸がバラバラなので、高さが揃うまでサンドペーパー
(180番)で削る。上の印影が出来上がり。石の篆刻の文字の太さは、意識的に操作できる
が、鋳造印では成り行き任せ。鋳型の溝次第で太くなったり、細くなったり。線のエッジが
柔らかくて、温かい。来年もまた参加したい。それまでに古印らしい原稿を用意しておこう。

※「鋳造印のつくり方(写真と説明)」は、こちらをご覧ください。

篆刻に、救われる。(篆刻:陽子)

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「近大奈良病院の耳鼻咽喉科の教授と、篆刻を通じて長いお付き合いだった」のは
Y先生のこと。雑誌の『奈良人(naranto)』、2014年秋冬号で楽篆堂の記事を読んで
お知り合いのお医者さんの昇進や栄転のお祝いとして、篆刻を依頼していただいた
からなのだ。篆刻はお祝いラッピングにして、こちらから発送するので、毎回手書きの
添え状を書かれる。郵送してくだされば済むのに、お忙しいなか生駒の病院から、ここ
まで持ってきてくださることが多い。ご出身は吉野なので、懐かしさもあってだろうか。

Y先生に主治医として助けていただいた、そのきっかけが『奈良人』。編集長は林忠厚
さんで、彼が東大寺門前「夢風ひろば」の支配人だった時には、事実上のロゴになった
「夢風」を彫らせてもらっている。命を救ってもらったきっかけの林さんにお礼を言いた
かったけれど、すでに亡くなっていて、『奈良人』も廃刊になっている。さあ、どうしよう。

林さんには陽子さんというパートナーがいて、彼女が年賀状に、以前の「忠厚&陽子」
セット印が18ミリだったので、それより小さなものが欲しいと書いてあったのを思い出
した。前回の雰囲気は残しながら、15ミリ角で彫り直して、お贈りした。篆刻がご縁で
助けられた、そのお礼を篆刻で出来たので、話の筋が通ってスッキリした。手力男を
引退したけれど、それを見ていたかのように篆刻の注文が入ってくる。篆刻大明神!

癌に、なりました。(篆刻:癌)

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このブログ、臨時シリーズ「天からの、贈りもの。」としてNPO法人手力男の設立準備
委員会の話を2019年5月から9月まで13回続けたけれど、超多忙で、とてもブログ
どころでは無く、ずいぶん長い間休ませていただきました。その間、今年の1月20日
にはNPOとして認証され、3月15日には巨木アートの「ふじい忠一記念館」を中心に、
「木のおもちゃMOKMOC」、「オープンオフィス」の3施設をオープン。新型コロナでの
休業をはさんで、6月3日には「ギャラリー陀敏知(ダビンチ)」もオープンしたのですが、
それに先立つ5月23日に、私は扁平上皮細胞癌(口腔底癌)のと宣告を受けました。

行きつけの歯医者さんには、舌の下の荒れはタバコの吸い過ぎと言い張ったのですが、
細胞検査の結果は、癌。幸い近大奈良病院の耳鼻咽喉科の教授とは篆刻を通じて長い
お付き合いだったので、すぐに診断、検査、入院、6月16日に手術という素早い対応を
していただき、6月25日には退院しました。抗がん剤や放射線は使わず、薄い癌細胞を
削り取るという外科的手術だったので、癌としてはいちばん単純で軽微といえるようです。

もちろん禁煙して、缶ビール1日1本にしても、長年の飲酒・喫煙で細胞は正常では
なく、癌はいつ再発してもおかしくない。当然、過労・ストレスは厳禁なので、7月4日、
NPO法人手力男の理事を辞任させてもらいました。篆刻家の日々が、戻ってきました。

「天からの、贈りもの。」⑬手力男の、マークを。(画像:手力男)

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NPO法人「手力男(タヂカラオ)」の設立準備委員会を立ち上げてすぐ、マークを
思いついた。怪力の神様・天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)にちなんで、丸の
中に力こぶを3つ巴にして、手力男3文字を上から時計逆回りに入れることにした。

基本の形は決まって、大阪の知り合いのデザイナーにフィニッシュを頼んだのだが、
どうもしっくりこない。東京のHILLS(ヒルズ)というデザイン会社は、Y.S氏と
私が、1984年に設立したもので、私が辞めてからも、パナソニックといい仕事を
続けている。ズームなど松下系のプロダクションが消えたいまも、頑張っているのは
ほとんど奇跡に近い。カメラのM.Yさんがヒルズを紹介してほしいというので、京都の
オフィスに一緒に行って、手力男とマークの話をする。社長のT.Kさんが、快く
引き受けてくれた。ギャラは、狭川のこの秋の新米30キロだから、出血大サービス
だが、都会人の彼らは大よろこび。ほどなく、どこに出しても胸を張れるマークが届いた。

担当の女性デザイナーが頑張ってくれたから、彼女にも別に新米5キロを送る約束を
した。力こぶ3つは、手力男と神社と自治会とかに決める必要はない。手力男とふじい
忠一さんと狭川とか、狭川と奈良市東部と奈良市全体とか、とにかく狭川を元気にする
ために、そのつど、目的に応じて力を合わせる、協力するというシンボルなのだから。

「天からの、贈りもの。」⑫幼稚園を、断念。(篆刻:断)

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出張所を通じて奈良市長宛てに旧幼稚園を貸してほしいという要望書を出したのは
4月の16日だったが。市の教育委員会から1回説明を受けたままで、日が過ぎて
いった。返事が来たのは、約2ヵ月後の6月14日。出張所長の話は、こうだった。

狭川の幼稚園は大柳生に統合されてからも、地主に地代を払っている。もし、市が
手力男に幼稚園を貸す、または無償譲渡の契約を結べば、同時に市は地主に土地を
現状復帰して返却し、手力男と地主の再契約になる。その場合は、入り組んだ数人の
地主によって測量が必要で、負担は地主になる。市も、幼稚園のプールや進入路の
フェンスを撤去しなければならない。要するに、手力男のために市や地主は新たな
出費を迫られることになる。はっきりと言わないまでも、幼稚園を使ってもらうと、
困ったことになる、ということだ。そんな話で2ヵ月待たされるなんて、と思ったが。

旧農協の倉庫に巨木アートを仮置きして以来、坂の上の幼稚園より県道沿いのここの
方がいい、という声は日に日に多くなっている。幼稚園の要望を取り下げることにする。
旧農協の広い倉庫を「ふじい忠一記念館」にする、と決める。農協は、土地建物は貸さ
ない、売却すると一貫している。手力男が購入するとしたら価格はいくらかと交渉を
始める。すると農協も手力男以外の希望者を募りはじめた。他に欲しい人はいるのか。

「天からの、贈りもの。」⑪自治会に、融資を依頼。(篆刻:資)

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旧農協の倉庫に巨木アートを運びこんだのは、4月29日だが。それに先立つ20日、
手力男は狭川の自治連合会に500万円の融資を依頼している。かなりの額の特別
会計が定期預金で眠っているので、狭川の活性化に使わせてもらいたい、もちろん
定期以上の金利で返済する条件での依頼なのだが。4月の10町の自治会長会議では
一部に抵抗があり、各町に持ち帰って意見を聞き、それを集約することになった。

5月の連休5、6日に、倉庫の巨木アートを実際に見てもらい、融資の賛否の材料に
してもらおうとした。自治連合会から各町の自治会長に公開を伝えてもらったのだが、
各町の自治会長の受け取り方や理解にばらつきがあって、公開が全住民には伝わら
なかった。それでも、2日間で約80人が見に来てくれて、驚いたり、写真をとったりした
のは、大成功と言える。しかし、融資の依頼が、各町、各人に混乱を与えたことは事実。

いくつかの町では、ほとんど全員一致で、融資も賛成だったが、やむなく融資の依頼を
取り下げることにした。結果的に、資金は須蒲(すがま)孝委員長が個人で立て替える
ことになるが、須蒲さんはそういう決断をしてくれた。須蒲さんは75歳、自治連合会で
副会長、会長などを長く歴任してくれた人で、狭川を何とかしなければならない、座して
死ねないと、手力男の委員長を引き受けてくれた。余命を懸けても、という気迫だった。

「天からの、贈りもの。」➉農協倉庫に、巨木を。(篆刻:農)

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市から旧幼稚園を借りる要望書の返事が無いまま日が過ぎていく。藤井雅子さん
からは、出来れば早くという話なので。狭川のちょうど中間、県道33号線(笠置
街道)に面して奈良県農協の旧狭川支店がある。奈良寄りの東里支店に統合され、
空き家のまま10年以上経っている。農協は、ここは貸さないと一貫していたのだが、
6ヵ月、倉庫を巨木の仮置き場にと頼み込んで、月1万円で契約することができた。

4月29日、ユニック(クレーン)付きのロングボディのトラックが借りられて、いよいよ
巨木アートを島ケ原から狭川に運ぶ大作戦を決行する。木製品を大事に運ぶプロ
の米田さんと中棹さんが布団と毛布を持って来て、杉ヒノキの山仕事が得意の奥田
さん、中村建築士、私の5人が9時前に狭川を出発。ふじい宅の入口で、トラックを
停めるのに手こずったが、主な巨木アート6点は全員がチェーンブロックで台車に
積み、トラックまで引っ張り、ユニックでトラックに荷台へと、思った以上にはかどった。

トラックの運転手は、カーブを曲がりながら「5トン以上あるな」とつぶやくが、笠置の
大橋が見えた時は、「いよいよ巨木が奈良に来た」と感無量だった。笠置を抜けて、
県境の広岡から農協へ。農協の前ではたくさんの人が出迎えてくれる。トラックから
下ろし、倉庫へ、皆も手伝ってくれて、1時前には搬入が済んだ。巨木は狭川に来た!

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