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「天からの、贈りもの。」⑬手力男の、マークを。(画像:手力男)

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NPO法人「手力男(タヂカラオ)」の設立準備委員会を立ち上げてすぐ、マークを
思いついた。怪力の神様・天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)にちなんで、丸の
中に力こぶを3つ巴にして、手力男3文字を上から時計逆回りに入れることにした。

基本の形は決まって、大阪の知り合いのデザイナーにフィニッシュを頼んだのだが、
どうもしっくりこない。東京のHILLS(ヒルズ)というデザイン会社は、Y.S氏と
私が、1984年に設立したもので、私が辞めてからも、パナソニックといい仕事を
続けている。ズームなど松下系のプロダクションが消えたいまも、頑張っているのは
ほとんど奇跡に近い。カメラのM.Yさんがヒルズを紹介してほしいというので、京都の
オフィスに一緒に行って、手力男とマークの話をする。社長のT.Kさんが、快く
引き受けてくれた。ギャラは、狭川のこの秋の新米30キロだから、出血大サービス
だが、都会人の彼らは大よろこび。ほどなく、どこに出しても胸を張れるマークが届いた。

担当の女性デザイナーが頑張ってくれたから、彼女にも別に新米5キロを送る約束を
した。力こぶ3つは、手力男と神社と自治会とかに決める必要はない。手力男とふじい
忠一さんと狭川とか、狭川と奈良市東部と奈良市全体とか、とにかく狭川を元気にする
ために、そのつど、目的に応じて力を合わせる、協力するというシンボルなのだから。

「天からの、贈りもの。」⑫幼稚園を、断念。(篆刻:断)

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出張所を通じて奈良市長宛てに旧幼稚園を貸してほしいという要望書を出したのは
4月の16日だったが。市の教育委員会から1回説明を受けたままで、日が過ぎて
いった。返事が来たのは、約2ヵ月後の6月14日。出張所長の話は、こうだった。

狭川の幼稚園は大柳生に統合されてからも、地主に地代を払っている。もし、市が
手力男に幼稚園を貸す、または無償譲渡の契約を結べば、同時に市は地主に土地を
現状復帰して返却し、手力男と地主の再契約になる。その場合は、入り組んだ数人の
地主によって測量が必要で、負担は地主になる。市も、幼稚園のプールや進入路の
フェンスを撤去しなければならない。要するに、手力男のために市や地主は新たな
出費を迫られることになる。はっきりと言わないまでも、幼稚園を使ってもらうと、
困ったことになる、ということだ。そんな話で2ヵ月待たされるなんて、と思ったが。

旧農協の倉庫に巨木アートを仮置きして以来、坂の上の幼稚園より県道沿いのここの
方がいい、という声は日に日に多くなっている。幼稚園の要望を取り下げることにする。
旧農協の広い倉庫を「ふじい忠一記念館」にする、と決める。農協は、土地建物は貸さ
ない、売却すると一貫している。手力男が購入するとしたら価格はいくらかと交渉を
始める。すると農協も手力男以外の希望者を募りはじめた。他に欲しい人はいるのか。

「天からの、贈りもの。」⑪自治会に、融資を依頼。(篆刻:資)

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旧農協の倉庫に巨木アートを運びこんだのは、4月29日だが。それに先立つ20日、
手力男は狭川の自治連合会に500万円の融資を依頼している。かなりの額の特別
会計が定期預金で眠っているので、狭川の活性化に使わせてもらいたい、もちろん
定期以上の金利で返済する条件での依頼なのだが。4月の10町の自治会長会議では
一部に抵抗があり、各町に持ち帰って意見を聞き、それを集約することになった。

5月の連休5、6日に、倉庫の巨木アートを実際に見てもらい、融資の賛否の材料に
してもらおうとした。自治連合会から各町の自治会長に公開を伝えてもらったのだが、
各町の自治会長の受け取り方や理解にばらつきがあって、公開が全住民には伝わら
なかった。それでも、2日間で約80人が見に来てくれて、驚いたり、写真をとったりした
のは、大成功と言える。しかし、融資の依頼が、各町、各人に混乱を与えたことは事実。

いくつかの町では、ほとんど全員一致で、融資も賛成だったが、やむなく融資の依頼を
取り下げることにした。結果的に、資金は須蒲(すがま)孝委員長が個人で立て替える
ことになるが、須蒲さんはそういう決断をしてくれた。須蒲さんは75歳、自治連合会で
副会長、会長などを長く歴任してくれた人で、狭川を何とかしなければならない、座して
死ねないと、手力男の委員長を引き受けてくれた。余命を懸けても、という気迫だった。

「天からの、贈りもの。」➉農協倉庫に、巨木を。(篆刻:農)

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市から旧幼稚園を借りる要望書の返事が無いまま日が過ぎていく。藤井雅子さん
からは、出来れば早くという話なので。狭川のちょうど中間、県道33号線(笠置
街道)に面して奈良県農協の旧狭川支店がある。奈良寄りの東里支店に統合され、
空き家のまま10年以上経っている。農協は、ここは貸さないと一貫していたのだが、
6ヵ月、倉庫を巨木の仮置き場にと頼み込んで、月1万円で契約することができた。

4月29日、ユニック(クレーン)付きのロングボディのトラックが借りられて、いよいよ
巨木アートを島ケ原から狭川に運ぶ大作戦を決行する。木製品を大事に運ぶプロ
の米田さんと中棹さんが布団と毛布を持って来て、杉ヒノキの山仕事が得意の奥田
さん、中村建築士、私の5人が9時前に狭川を出発。ふじい宅の入口で、トラックを
停めるのに手こずったが、主な巨木アート6点は全員がチェーンブロックで台車に
積み、トラックまで引っ張り、ユニックでトラックに荷台へと、思った以上にはかどった。

トラックの運転手は、カーブを曲がりながら「5トン以上あるな」とつぶやくが、笠置の
大橋が見えた時は、「いよいよ巨木が奈良に来た」と感無量だった。笠置を抜けて、
県境の広岡から農協へ。農協の前ではたくさんの人が出迎えてくれる。トラックから
下ろし、倉庫へ、皆も手伝ってくれて、1時前には搬入が済んだ。巨木は狭川に来た!

「天からの、贈りもの。」⑨幼稚園を、借りたい。(篆刻:幼)

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旧幼稚園を記念館として借りるための、市への要望書。冒頭の「狭川地区の現状」。

①住民の減少と高齢化によるあきらめの蔓延
・狭川10町では、住民の減少と高齢化が進行し、外部からの流入はほとんどあり
ません。・「狭川の会」の農業実態調査でも、狭川の農業は10~15年で消滅する
のではないかと危惧される状況です。・秋の運動会では、転出した子ども、孫などが
驚くほど多く集まります。また、「狭川の会」が神社の秋祭りで行った「金魚すくい」は
2年目でかなりの転出した親子が来て、よろこんでくれました。・しかし、そんな彼らが
狭川に戻り、住んでくれる可能性はほとんどありません。何をしても無駄、狭川は静か
に滅んでいくだろう・・・皆がそう考え、あきらめているのが、ここ狭川の現状です。

②立地が不便、知名度がない、特産品もない
・狭川は市の北東部のドン詰まり、外から来るのはゴルフ客ばかり。・狭川といえば
「東大寺の狭川さん?」と答えるのは、ましな方。・柳生や月ケ瀬のような知名度も
特産品も無い。ほとんどが年金での農業で、田植えや稲刈も昔のような家族総出は
珍しく、ほとんどが一人での農機作業。先祖代々の土地だから辞められないのです。
それでも、他地区にある「共同で営農」という動きは、狭川ではみられません。

「天からの、贈りもの。」⑧神社に、収蔵庫を。(篆刻:九頭神社)

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狭川・巨木ロードの中核は、天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)をお祭りする
九頭神社。そこに巨木アートのメイン作品を新築の収蔵庫とともに置くこと。以前、
東部山間の地域おこし協力隊に一級建築士がいて、古民家再生をしたくて赴任
したが、退任したOさんを思い出して、収蔵庫の設計を打診した。彼はよろこんで
愛知から駆けつけて、素晴らしい案を出してくれたが。コンクリートの打ちっ放し、
意外性で注目されるだろうが、膨大な費用がかかる。断念して、次善の策を練る。

以前から気になっていた「板倉工法」。柱に溝を切って、横板を差し込む。さらに、
縦板を密着させると、防火構造になる。普通の木造の3倍の材木が要るために、
長野や東北など材木が豊富で、なおかつ土壁にし辛い寒冷地での工法なのだが。

まずはネットで「板倉工法 奈良」で検索してみると、工務店や建築士など、3件に
出会った。何はともあれと、メールで簡単な事情を伝えて返事を待った。翌日、N.S
という一級建築士から返事があって、明日は奈良の西ノ京にいるので、会って
話を聞いてくれるという。奈良で会ったが、とにかく九頭神社を見てもらい、夕方まで
話し込んだ。彼の息子さんが一条高校に通っているが、名前が「遊」と聞いて驚いた。
私の亡くなった息子も遊だから。板倉工法での設計をお願いする。快諾してくれた。

「天からの、贈りもの。」⑦狭川に、巨木ロードを。(篆刻:道)

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さて、手力男は巨木アートを使って、狭川をどう活性化するのか。まず、主祭神が
天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)である九頭神社に収蔵庫を造って、巨木
アートを置く。九頭神社の御旅所である田部神社にも、置く。神社の向かいの丘の
上にある、空き家の旧幼稚園を市から借りて、残りの巨木を置いて「ふじい忠一
記念館」にしよう。出来ればここに忠一さんの道具やチェーンブロックなどを置いて
アトリエを再現しよう。しかし、これでは細長い狭川の真ん中に巨木アートが集中
するだけだ。奈良市内から来ても、笠置から来ても、真ん中だけを見てUターン
されたら、狭川全体の活性化にならない。そこで、奈良側の両町の県道添いの
桜の根元にも巨木を、笠置側の広岡町にも巨木を、それもベンガラを塗って雨や
日差しに耐えるようにして、モニュメント的に設置すれば、奈良から来た人は広岡
まで、笠置から来たら両町まで、巨木を見に足を延ばしてもらえるのではないか。

名付けて「狭川・巨木ロード」。これが狭川の太い背骨になれば、おいおい周辺に
点在する歴史スポットにもつなげていける。それで狭川全体の骨格が形づくれるの
ではないか。つまり、県道33号線(笠置街道)に拡がる狭川の両端を、ふじい
忠一の巨木アートでつなぐこと。手力男のやるべきことの基本は、これで定まった。

「天からの、贈りもの。」⑥「狭川の会」から、NPOへ。(篆刻:SAGAWA)

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忠一さんと運搬するS.Tさんの話は済んだけれど、肝心の受け入れる側・狭川の
方は、ちょっと単純ではない。2年前から有志が1ヶ月に1回集まって、狭川の今を
見つめ、未来を考える「狭川の会」ができて、私も参加している。農業部会の方は、
農業の現状をアンケート調査して、その結果を反映して「草刈りお助け隊」を発足
させているが、もうひとつの生活部会の方はなかなか活動テーマが絞りきれず、神社の
秋祭りに2回、子ども相手に金魚すくいをした程度。外孫と親はよろこぶけれど、その
孫が大人になって狭川に住む可能性はほとんどゼロ。また今年も金魚すくいが議題に
なったから、神社の主祭神・天手力男命にちなんで「腕相撲大会」を勝手に立ち上げ
ようとした矢先に、この巨木アートの話が降ってわいた、という次第なのだけれど、、、

狭川の会は、自治連合会長が発起人だが、自治会の組織ではない。ではないけれど、
自治連合会の意向は無視できないという。狭川の会で具体的なカタチは農地の草刈り
お助け隊だけで、発足したばかりだから続けるという。農地の草刈りと巨木アートによる
狭川の活性化が、組織として共存できるか。それは難しいし、ややこしい。巨木アートに
よる活性化が目的の独立組織として、NPO法人を立上げることにした。名前は九頭神社の
主祭神・天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)にちなんで、「手力男(タヂカラオ)」。

「天からの、贈りもの。」⑤忠一さんを、見舞う。(篆刻:見舞)

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明日、ふじい忠一さんを病院に訪ねるなら、何をしたらいいか。まず、半紙に筆で
「やる木、げん木」と書いて、裏打ちして、適当な額にいれた。人の数倍のやる気で
巨木を曲げた忠一さんを、見舞い、励ますには、この言葉がいいと信じたからだ。
確認書がM.Kさんと私宛になっている。神社と自治会宛てに書き直してもらうより、
狭川の活性化に使うことをM.Kさんに認めてもらえばいいと「同意書」を用意し、また
「田中個人が譲り受けるのではなく、神社と狭川の活性化のためにいただく」との
誓約書も書き、捺印した。翌日、同意書にM.Kさんの判をもらい、病院に向かった。

病床で忠一さんは、私の話を聞きながら、ウン、ウンとうなずいてくれる。「ウンウン
じゃなくて、ありがとうでしょ」とM子さんがフォローしてくれる。同意書と確認書を
渡し、持参の額を手に笑顔で写真に納まってもくれた。忠一さんがリハビリに行った
ので、ロビーでM子さんと先客で友人という奈良の額縁屋・I.Kさんと話をする。
そこへ、大柳生の材木屋・S.Tさんから電話が入った。「いま、巨木をいただくふじい
忠一さんのお見舞いに伊賀上野の病院にいる。帰りに、そちらに寄って頼みがある」
と答える。S.Tさんは、私が狭川の家を買うとき、保証人代わりになってくれた人で、
ユニック付きのトラックでの巨木運搬を快諾してくれた。さあ、これで、準備は整った。

「天からの、贈りもの。」④氏子も、賛成する。(篆刻:氏子)

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狭川・九頭神社は宮司ひとりと、9町を3ブロックにした代表・氏子総代3人で支え
らえている。4人は、毎月1日、18日に月並祭を行い、運営について協議・決定し、
それを9町の信徒総代に伝えて、協力を依頼する。3月1日に宮司が巨木アートの
話を氏子総代にする。昼過ぎに宮司が来て、4人で現物を見たい、4日に行きたいと
言ってきたのだが。相手のあることとだし、自治会の都合もある。自治連合会長にも
来てもらって、2人の前でふじいM子さんに電話をした。4日で構わないと言ってくれた
ので、神社、自治会、出張所の総勢9人で伺うことをお願いした。さて、3月4日に。

案の定、誰もが巨木のすごさに圧倒された。せっかく人数がいるからと、主な作品を
撮影し、寸法も測って、記録した。帰り道にやぶっちゃ温泉がある。食事をしながら
感想を聞くと、「神社と狭川の活性化のためにいただこう」と全員の意見が一致した。

帰って早速T.Hさんに電話をすると、ちょうどいま、ふじい夫妻から郵便で確認書が
届いたといい、すぐにファックスをくれた。「巨木アート作品及び材木等を当方の要請
により無償にて譲り渡す」。忠一さんが震えながら、奥さんはしっかり捺印してくれて
いる。私がハシゴを外されることにならないようにと竹内さんが配慮してくださったこと。
奥さんにお礼の電話を入れると「忠一に会って欲しい、明日病院で」という急展開に。

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