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「天からの、贈りもの。 ⑥「狭川の会」から、NPOへ。(篆刻:SAGAWA)

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忠一さんと運搬する白井さんの話は済んだけれど、肝心の受け入れる側・狭川の
方は、ちょっと単純ではない。2年前から有志が1ヶ月に1回集まって、狭川の今を
見つめ、未来を考える「狭川の会」ができて、私も参加している。農業部会の方は、
農業の現状をアンケート調査して、その結果を反映して「草刈りお助け隊」を発足
させているが、もうひとつの生活部会の方はなかなか活動テーマが絞りきれず、神社の
秋祭りに2回、子ども相手に金魚すくいをした程度。外孫と親はよろこぶけれど、その
孫が大人になって狭川に住む可能性はほとんどゼロ。また今年も金魚すくいが議題に
なったから、神社の主祭神・天手力男命にちなんで「腕相撲大会」を勝手に立ち上げ
ようとした矢先に、この巨木アートの話が降ってわいた、という次第なのだけれど、、、

狭川の会は、自治連合会長が発起人だが、自治会の組織ではない。ではないけれど、
自治連合会の意向は無視できないという。狭川の会で具体的なカタチは農地の草刈り
お助け隊だけで、発足したばかりだから続けるという。農地の草刈りと巨木アートによる
狭川の活性化が、組織として共存できるか。それは難しいし、ややこしい。巨木アートに
よる活性化が目的の独立組織として、NPO法人を立上げることにした。名前は九頭神社の
主祭神・天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)にちなんで、「手力男(タヂカラオ)」。

「天からの、贈りもの。」⑤忠一さんを、見舞う。(篆刻:見舞)

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明日、ふじい忠一さんを病院に訪ねるなら、何をしたらいいか。まず、半紙に筆で
「やる木、げん木」と書いて、裏打ちして、適当な額にいれた。人の数倍のやる気で
巨木を曲げた忠一さんを、見舞い、励ますには、この言葉がいいと信じたからだ。
確認書が守田さんと私宛になっている。神社と自治会宛てに書き直してもらうより、
狭川の活性化に使うことを守田さんに認めてもらえばいいと「同意書」を用意し、また
「田中個人が譲り受けるのではなく、神社と狭川の活性化のためにいただく」との
誓約書も書き、捺印した。翌日、同意書に守田さんの判をもらい、病院に向かった。

病床で忠一さんは、私の話を聞きながら、ウン、ウンとうなずいてくれる。「ウンウン
じゃなくて、ありがとうでしょ」と雅子さんがフォローしてくれる。同意書と確認書を
渡し、持参の額を手に笑顔で写真に納まってもくれた。忠一さんがリハビリに行った
ので、ロビーで雅子さんと先客で友人という奈良の額縁屋・池田さんと話をする。
そこへ、大柳生の材木屋・白井さんから電話が入った。「いま、巨木をいただくふじい
忠一さんのお見舞いに伊賀上野の病院にいる。帰りに、そちらに寄って頼みがある」
と答える。白井さんは、私が狭川の家を買うとき、保証人代わりになってくれた人で、
ユニック付きのトラックでの巨木運搬を快諾してくれた。さあ、これで、準備は整った。

「天からの、贈りもの。」④氏子も、賛成する。(篆刻:氏子)

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狭川・九頭神社は宮司ひとりと、9町を3ブロックにした代表・氏子総代3人で支え
らえている。4人は、毎月1日、18日に月並祭を行い、運営について協議・決定し、
それを9町の信徒総代に伝えて、協力を依頼する。3月1日に宮司が巨木アートの
話を氏子総代にする。昼過ぎに宮司が来て、4人で現物を見たい、4日に行きたいと
言ってきたのだが。相手のあることとだし、自治会の都合もある。自治連合会長にも
来てもらって、2人の前で藤井雅子さんに電話をした。4日で構わないと言ってくれた
ので、神社、自治会、出張所の総勢9人で伺うことをお願いした。さて、3月4日に。

案の定、誰もが巨木のすごさに圧倒された。せっかく人数がいるからと、主な作品を
撮影し、寸法も測って、記録した。帰り道にやぶっちゃ温泉がある。食事をしながら
感想を聞くと、「神社と狭川の活性化のためにいただこう」と全員の意見が一致した。

帰って早速竹内さんに電話をすると、ちょうどいま、ふじい夫妻から郵便で確認書が
届いたといい、すぐにファックスをくれた。「巨木アート作品及び材木等を当方の要請
により無償にて譲り渡す」。忠一さんが震えながら、奥さんはしっかり捺印してくれて
いる。私がハシゴを外されることにならないようにと竹内さんが配慮してくださったこと。
奥さんにお礼の電話を入れると「忠一に会って欲しい、明日病院で」という急展開に。

「天からの、贈りもの。」③狭川に、やる気を。(篆刻:ヤル気)

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竹内夫妻が快諾してくださったので、お礼に美味しい蕎麦を食べていただくことに
した。というのも、一緒に巨木を見に行った守田蔵さんは、浄瑠璃寺門前で蕎麦屋を
していて、拾子さんも行きつけだったから。蔵さんと知り合ったのも拾子さんの紹介。

蕎麦をいただきながら、蔵さんに「狭川の町おこしに使わせてもらうことになった」と
話す。蔵さんは、かつて白洲正子に愛でられた陶芸家だし、現在は正倉院御物の
撥鏤(ばちる)の復元をしているアーチスト。付合いのある奈良工藝館にふじい忠一
さんが巨木を手放す話をしていたようで、そもそもアート作品をタダで貰うことには
反対のようだったが、そこまで話が決まっているのならと、なんとか賛同してくれた。
その後、車で15分足らずだからと、九頭神社を見ていただくことにした。3人は鳥居を
くぐって、階段を拝殿まで登り、参拝を済ませて「いい神社ですね」と言ってくださった。

ここまで決まったのだから、次のステップに進もうと、25日に宮司、自治連合会、狭川
の会、市・出張所の振興係、5人に集まってもらって、事の次第を説明した。ひとりは
半信半疑だったが、4人は賛成。「巨木アートで、狭川を活性化しよう」という方向は
定まった。誰も思いつかない巨木アートが狭川を刺激する。「やる気があれば、巨木も
曲がる」、「やる木、げん木」というキー・ワードも決まった。いよいよ、巨木が動き出した。

「天からの、贈りもの。」②狭川のために。(篆刻:アート)

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ふじい忠一さんの奥さん・雅子さんに巨木の処分を頼まれて考えた。篆刻で縁ができた
大阪芸大の方や東京芸大出の先輩もいる。芸大なら収蔵してくれるだろう。奈良県立
美術館にも置いてもらえるかも。しかし、収蔵されても、常設展示でなく、収蔵庫の奥で
埃をかぶっているのなら意味がない。この巨木アートがよろこんでくれる場所はないか。

「狭川歴史マップ」は、自治連合会の依頼で、私が制作した。万年青年クラブの依頼で
改訂版も出した。そこに狭川の氏神・九頭神社の主祭神が天手力男命(アメノタヂカラオ
ノミコト)とあるのを思い出した。天照大神が天岩戸にこもった時、神々の協力で岩戸を
こじ開けた怪力(&知力)の神様。21日の夜、A4に、狭川に巨木アートが来てくれたら、
九頭神社のシンボル的存在ができる、奈良市なのに知る人が少ない狭川も注目される、
活性化が可能になると、いくつかのアイデアを書き連ねた。翌日、竹内さんにアポをとり、
小林拾子さんと訪ねて、聞いていただいた。「有志たちが《狭川の会》で2年間、毎月
会議を続けているけれど決め手がなく、実績といえば神社の秋祭りで金魚すくいをした
くらい。狭川の活性化のために、巨木アートをぜひ。」とお願いした。竹内さんの答えは
「そこまで考えていただいて、大変ありがたいことです。ぜひそうしてください。ふじいの
方には私から伝え、忠一が反対でも私が説得します。」 狭川に巨木アートが来るのだ!

「天からの、贈りもの。」①巨木に、出会う。(篆刻:巨木)

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きようは、5月20日。ふじい忠一さんの巨木アートに出会ったのが、2月20日
だから、あれからちょうど3ヶ月になる。この奈良から、さほど遠くない伊賀上野の
島ヶ原に太い木を曲げる人がいるから、見に行かないかという話は、かなり前にも
あったけれど、芸術新潮などでそれを知っていた守田蔵さんが大病を患って、無期
延期になっていた。忘れた頃に、またその話だが、今回は作者のふじい忠一さんが
脳梗塞で入院して、退院しても、もうこの仕事は出来ないだろうという状況だった。

留守宅の奥さん・雅子さんが「作業場に作品が残っていると家が売れない。なんとか
片付けて欲しい」という。蔵さん、小林さんと我々の夫婦3組で見に行った。小林
拾子さんは、雅子さんのお兄さんである竹内さんの奥さんと中学からの友だちという
関係。巨木を曲げた現代アートということ自体、よく判らなかったのだが、実物を見て
驚いた。誰しも思うのが、熱を使わずに、どうして曲げたかだが、ふじいさんを手伝って
いた雅子さんは企業秘密というばかり。現代アートの不思議といわれる「ふじい忠一の
巨木アートこそ、天からの贈りもの」というストーリーが、いよいよここから始まるが。

もし蔵さんが病気にならず、あの時見に行っていたら、ふじいさんはまだ元気な盛りで、
「なんだお前たちは」程度に扱われていただろう。贈りものになんか、ならなかったはず。

椿の、フォトブック。(篆刻:椿)

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我が百野草(ものぐさ)荘には、椿が130本ほど植えてある。最初の30本は、亡く
なった息子の慰霊のため。後の100本は空き家に置き去りにされた鉢を引き取って
地植えしたもの。半分は名前が判らないが、残りは名のある椿で、それぞれが姿と
色で楽しませてくれる。しかし、それが同時には咲かないのが、残念と言えば残念。

年末にカミサンの友人から手編みのベストを2着もいただいた。お礼は要らないとの
ことだが、強いて言えば椿の写真を何枚かとのこと。ただ写真をプリントするというのも
味気ないから、これを機に椿のフォトブックを作ることにした。ネットでみると、いろいろ
あるのだが、ビスタプリントが良さそうで、試しに編集してみた。あらかじめ名前が判る
60点を選んで24ページに挿入する。写真のそばに名前を入れるのに細かな調節が
出来ないのが難だったが、プロのデザイナーじゃないんだからと居直ればいいので。
表紙、裏表紙、背表紙を決めて、プレビューすれば、我ながら惚れぼれする椿図鑑が
出来上がった。そのまま入稿して、1週間で届いた。厚いハードカバーで紙もしっかり、
60の椿が一堂に競い咲く。ベストをくれたHさん、空き家から椿の300鉢を運んで
くれたKさんに、それぞれ1冊を差し上げる。花のブログ、フェイスブックで紹介したら、
数人から欲しいという反響もあった。次は「草」と「木」で、百野草荘の3部作にしたい。

※フォトブックの写真は、こちらで。

襖を、張る。(篆刻:張)

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これを襖(ふすま)と言っていいものか、どうか。居間の襖4枚は建付けがゆがんで
いたので、家具屋の友人にベニヤで作ってもらったもの。しかも大和間で幅が広い
から、薄いグリーンの布を張って、黒い縁をつけている。その布が湿気の多い日は
ブヨブヨになるし、何よりタバコで茶色になって見苦しい。何とかしなきゃと思ううちに、
壁に壁紙でなく和紙を張ったのを見ることがあって、それに決めたが。紙はどうする?

名古屋の「紙の温度」という店は種類が多いと教えてもらい、近鉄で行って往復7時間
かかったが、タイ製の手漉きで幅96センチ、いい厚みのものがあった。さて、張り方は。
ネットで調べたら、ブログやYouTubeにあるある。それぞれ少しずつ違うので迷うことも
あったが失敗したって張り直せばいい。それなりの道具もホームセンターで揃えられた。

先の3連休で、決行。まず、布をはがしボンドのザラザラを取る。周囲に幅6センチの
紙を貼る廻りベタ。その少し内側に全面に糊をつけた下張り。それがすっかり乾いたら
上張りだが、これは紙に霧を吹いて、周囲だけに糊をつける袋張り。湿気で伸び縮して
くれる。結局、2日半で完成。紙が濡れているうちに、はみ出た周囲を切れば楽だったの
にとか、いくつか反省もあるし、シワもあるけれど、その達成感といったら尋常じゃない。
白い和紙の清浄感がたまらない。きっと、いい正月になる。だけどタバコは吸いますよ。

雪餅草の奇跡。(篆刻?:餅)

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少し前の話だが、餅をつく季節だから、まァいいかと、雪餅草の話。ユキモチソウは
仏炎苞と呼ばれるラッパかお姫様の襟のような花を咲かせるけれど、その中心は
2センチほどの真っ白なお餅そっくり。それが今年二つも咲いてよろこんだが。秋に
大きな実がなって驚いた。緑、黄色、オレンジ、赤の粒が密集して、なんとも美しい。

いただいた球根を植えて根付いて咲いたから、難しくもなかったが、ネットで調べると、
相当ややこしい植物らしい。半日陰で、雨風に弱いくせに乾燥を嫌う。分球しないので
種で増えるが、その種は赤い果肉に覆われている。果肉には発芽抑制物質があって、
しかも皮膚がかゆくなる毒があり剥くときは手袋がいる。その種ができるのは、もっと
ややこしい。小さなハエが花の周囲の部屋に閉じ込められる。雄花ではこの部屋に
雄しべから出た花粉が溜まっていて、花粉まみれのハエは穴から脱出するが、雌花
には穴がなく、出られず死ぬ。この中に雄花で花粉をつけて脱出したハエがいる時に
だけ受粉が成立するのだという。しかも、雌雄異株だが、苗ではどちらでもなく、少し
育つと雄株に、充実すると雌株に性転換するらしい。こんなにも複雑な条件をクリア
して、実がなったことは奇跡と言っていいだろう。こんな貴重な実だけど、カミサンが
絵の教室で欲しいという人にあげてしまった。雪餅が行き持ちになった、というお話。

 

桃栗三年、柿三十五年。(篆刻:柿)

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庭で花や実を見つけて、「あ、こんなところに。写真を撮らなきゃ!」と思うのだが、
撮り忘れるだけでなく、それが何だったかが思いだせない。昨日も、そんなことが
あって、さっき篆刻を彫りながら、ふと思い出したのは、庭の「柿の実」なのだった。

柿がなって何が珍しいか。その柿の木は、ここに越してきてすぐ、子どもが小学校
高学年、柿を食べて種を飛ばして遊んだ、その種が育ったものなのだ。庭の右寄り
に生えたし単調さを破るアクセントだから、適度な高さで剪定し続けて、35年。花は
咲くけど実はならないと、あきらめていたのに、柿色の実があったのだから驚いた。
桃栗三年、柿三十五年! また忘れてはと、雨の中、傘をさして撮った。暗い写真を
パソコンで明るくして見たら、もう熟して割れも入っている。亡くなった遊の飛ばした
種か、弟の種かは判らないが、熟れて落ちるのも忍びないから摘んで仏壇に供えた。

今日は、亡くなった息子さんの名前を彫った篆刻を発送した。先日、納骨が済んで、
この28日の一周忌に仏壇に供えるという。名前を口にするだけで涙が出ると言い
ながら頼まれた篆刻だから、名前に込められたご両親の想いを私なりに形にしたの
だが、デザインをしながら何度か胸にこみ上げるものがあった。まだ1年に満たない
なら無理もないけど。日にちという薬もある。思いがけない実がなるかもしれません。

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