先日、NHK奈良放送局の「ならナビ」で楽篆堂を紹介していただきました。当然、撮影前の取材から撮影中も「篆刻とは」の説明をしながらでしたが、「篆刻とは」をちゃんと説明できたか、伝わったか自信がありません。改めて、この「篆刻」とは何かを整理したいと思います。
さて、この下の写真は何でしょうか。
「形はちがうけれど、どれも石ではないか?」 「文字、アルファベットや模様が凸や凹で彫ってある。」「赤い印肉のようなものがついている。」という観察の結果、一番多い答えは、きっと「石のハンコ」でしょう。わざわざこのホームページを何らかの目的をもってご覧いただいた方なら、「4つの篆刻」と答える方が多いでしょう。「ハンコ」も「篆刻」も、どちらも間違ってはいません。
でも、世の中には「篆刻」という言葉を聞いたことがない人の方が多いでしょう。
篆刻をまったく知らない人にあえて説明するなら、「書や絵におされた赤いもの」といえば、少しは通じるかもしれません。しかし「篆刻」と言う言葉を聞いたことがある方でも、「篆」という字はなかなか書けないでしょう。書けないばかりか「篆刻」という言葉の正しい意味を理解している方はあまりいません。
(写真:楽篆堂の自用印4顆で、左から「快」、「LuckTenDo」、「三つ巴」、「無為天成」)
しかし、このホームページは「篆刻」専門のホームページですから、篆刻に関わる膨大な情報で構成されています。このサイト内では「篆刻とは何か」を曖昧なままにして良い訳がありません。そこで、ここでは「篆刻とは何か」を分かりやすく説明して、それに付随する言葉や意味までも解説することで、共通の理解を深め、「彫って、おして、見て、うれしい、楽しい」、「新しくて、懐かしい篆刻」の創造に貢献できればと考えています。
「篆刻」とその周辺の言葉の一般的な理解のために、以下、広辞苑(第七版)を中心に調べていきます。
《篆刻と、その関連の言葉と意味について》…目次
①【篆刻(てんこく)】
②【印】
③【判】
④【判子(はんこ)】
⑤【印章】
⑥【印鑑】
⑦【印顆(いんか)】
⑧【顆】
⑨【印影】
⑩【印材】
⑪【篆刻とは】(まとめ)
①【篆刻(てんこく)】
まず「篆刻」とは、「木・石・金などに印をほること。その文字に多く篆書を用いるからいう。」とあり、印にする素材に篆書体の文字などを彫る「行為そのもの」とされています。
②【印】 ①しるしとするもの。特に木・牙・角・水晶・石・金などに文字などを彫刻し、文書・書画に押して証明とするもの。判(はん)。「―を押す」「―鑑」
・・・ここでは「印」と「判」は同じで、「文字などが彫刻された物」とされています。また、文書に押す印と書画に押す印が同列、同等です。
②として「昔、中国で官職のしるしとして佩用した金石製の印章。「―綬」」の記述もありますが、印の歴史的なことなので、別の機会に説明します。
③【判】しるし。わりふ。花押。印鑑。「―を押す」・・・「花押」とは印を手書きに適するように工夫したもの。「印鑑」がここにあることについては、【印鑑】のところで解説します。
④【判子(はんこ)】(「はんこう(版行)」の転)印形(いんぎょう)。印判。判。認め印。「―を押す」・・・ここに「認め印」があるのは、「はんこ」が日常的な言葉であることの影響かもしれません。
⑤【印章】印。判。はんこ。
ここまで広辞苑で「印」、「判」、「判子」、「印章」を見たのですが、大まかに言えば、どれも同じ意味で「文字などが彫刻された物」として使われている言葉と言えそうです。「篆刻」は「木・石・金などに印を彫る」行為ですが、「印」、「判」、「判子」、「印章」はすべて「モノ」なのです。
京都の篆刻家・水野恵氏は、「ハンコ」と同意で復捺性(何度も同じものが捺せる性質)」を持ったものを指す語は「ハンコ、はん、おしで、しるし、印、印判、印形、印章、璽(鉨)、印璽、章、記、印記、印信、朱記、条記、図記、図書、図章、関防、押、合同、宝」の23語をあげています。
また水野氏は、「当人が、限定された記載事項を、証拠を残して証明する」行為を「示信行為」と言い、その証明を「示信」と言う。その方法であるハンコ、サイン、その他をすべて「示信の具」と言う。示信の具としてハンコを指す語が多くて煩わしいので、「印章」を特に示信の具であるものを指す言葉の代表として用いることを提案しています。(3)
ここまで、「印」に関わる「判」、「判子」、「印章」という言葉をみてきましたが、
【判】のなかに「印鑑」という言葉がありました。では、印鑑を広辞苑で見てみましょう。
⑥【印鑑】
「①関門・城門などを通過する時に提示した捺印(なついん)手形。
②あらかじめ市町村長や銀行その他取引先などに提出しておく特定の印影。印の真偽鑑定に用いる。」です。
水野氏によれば「世間ではハンコとか印章のことを「インカン」と呼ぶ人が多くいて、ハンコの専門家であるハンコ屋さんまでが印章と言わずインカンと言うことがあるけれど、これは誤りで、「印鑑」の「鑑」は見分けるしるしの意ですから、「印鑑」は「印の鑑」、「ハンコを照合するための見本となるもの」であり、具体的には「印章を登録しておく台帳」のことです。」と書いています。
このように、「印鑑」という語にはハンコとか印章というモノの意味はなかったのですが、広辞苑の最新の第七版では、「③印。印章。判。」と、モノとしての意味が加筆されています。時代の流れに中で、間違った意味がとうとう認知されてしまったのです。
ところで、「印」、「判」、「判子」、「印章」という「文字などが彫刻された物」を指すのに適当な言葉はないのでしょうか。一般的には聞きなれない言葉ですが、「印顆」という、印そのものを示す熟語が広辞苑にもあるのです。
⑦【印顆(いんか)】「印。印章。印判。判。」
⑧【顆】「丸いもの、つぶ。玉石、果実などの個数を数えるのに用いる語。」としており、篆刻も「一顆」「二顆」と数えます。落款印の白文、朱文の組合わせは「二顆組」とか、関防(引首)印が加われば「三顆セット」とか呼ばれます。
ちなみに⑨【印影】は「紙などに捺された印のあと」です。
また、木・牙・角・水晶・石・金などで、まだ文字などを彫刻される前のものは、⑩【印材】と呼ばれます。
これをまとめると、以下のようになります。
木・牙・角・水晶・石・金などの【印材】を用いて、篆書などの文字を彫ることを【篆刻】といい、出来上がったものは【印、印章、印判、判】、また最近では【印鑑】とも呼ばれるが、それらのモノを称して【印顆】という。印を数えるときは一印、二印ではなく、一顆、二顆と言う。
以上で「篆刻」とその周辺の言葉を整理しましたが、「本来的には文字が彫られた印そのもの」を「篆刻」と呼べるでしょうか。
篆刻によって出来上がった「印」が押されるものに「書」や「絵」がありますが、「書」も「絵」もそれを生み出す行為を言うと同時に生み出された結果の物を指すこともあります。私たちの言葉は、往々にして「行為イコール結果」とすることの方が多いし、それに抵抗を感じる、違和感を持つことは少ないのではないでしょうか。
⑪【篆刻とは】
つまり、世間の一般的な理解では、いくら広辞苑に記されていないと言っても、【篆刻】とは印材に篆書などを彫ることであると同時に、印となった制作物、または作品それ自体(=印顆)を【篆刻】と呼ぶことが多いのです。もっと言えば、「紙などに捺された印のあと」イコール【印影】さえも「篆刻」とか、「篆刻作品」と呼ぶことも多いのです。
この楽篆堂のホームページでは、「篆刻」と言う言葉を、上のアンダーラインのようにあえて広義にとらえていることをお断りしておきます。
参考資料:
(1) 榊莫山『印章教室』創元社、1991年、ISBN 4-422-73007-X
(2) 榊莫山『書の講座⑥文字を彫る』角川書店、1983年、0371-650606-946(0)
(3) 水野恵『印章篆刻のしおり』芸艸堂、1994年、ISBN 4-7538-0161-6
(4) 水野恵『日本篆刻物語・はんこの文化史』芸艸堂、2002年、ISBN 4-7538-0192-6
(5) 梅舒適・監修、金田石城・編著『篆刻のすすめ』日貿出版社、1979年 第4刷
(6) 梅舒適ほか 『篆刻百科』芸術新聞社、1994年、T1005466102601
(7) 中村淳・監修『篆刻入門』日本習字普及協会、1976年