篆刻の歴史。

絵の封泥から、文字の芸術へ。

篆刻とは「木・石・金などで印を彫ること。その文字に多く篆書体を用いる」ものなのですが、印が生まれてから、いまのように紙に朱の印泥で捺しての実用性、芸術性を獲得するまでには5000年もの長い歴史を経ています。
いまの篆刻とその芸術性を語るまえに、まず印章・篆刻の歴史をたどってみようと思います。

1:印章の起源は、護符、そして封泥。
印の起源は大変に古く、いまから5000年前のメソポタミアですでに用いられていました。エジプト、インド、中国の世界四大文明国で印の存在が知られていますが、中国で用いられたのがいちばん新しく、春秋時代末から戦国時代の初め頃といわれます。
古代、文明が起こった西方では神秘的や珍奇なものに現実を超えた大きな霊力、神のような存在を感じたようで、それを護符として身につけ、さらに幾何学模様などを加えて呪術力を高めました。これを貴石などに施したのが印章の原型と考えられます。
しかし、印が印となるためには、自分の信用を示し、財産を守り、権利と義務を表す所有標章といった社会的機能を果たす必要があります。そうした機能を備えた本格的な印と認められるのが、メソポタミア文明でシュメール人が使った円筒印章です。この時代の印は文字より絵が主体で、容器の口に粘土を貼って、円筒印章を転がして浮き彫りになった模様で封印しました。開封にはこの粘土の模様を壊すことになるので、封緘には個人所有の観念があり、また僻邪(へきじゃ)の呪術力で開封を禁忌(きんい)する考えがあります。
それから遅れた中国の印章も銅を素材にして同じように封泥に使われ、馬などの図象(肖形印)でスタートしています。粘土に捺す封泥では陰文(白文)で彫ることで、図形も文字も美しい立体像(凸)が得られます。
ですから、陰文こそが印の祖型ではないかと考えられています。

2:春秋・戦国時代の印章の役割。
春秋時代末にはすでに印があったといわれていますが、戦国時代初期の遺品が多く、大量の古鉨印(こじいん)が使用されていたことがわかります。
春秋時代中頃にはゆるやかだった共同体生活に実力主義が持ち込まれます。貨幣が発生し、流通経済が盛んになって、後に製鉄業もおこって商工業も急激に発達し、生産力の増大につれて富の集中もおこってきます。諸侯が治乱興亡を繰り返す時代を迎えて、まざまな局面で権利と義務を表す所有標章として「文字を彫った印章」が重要な役割を担うことになります。鉄製農具で深耕や新田開発にともなって生産力が増大し、これを支配する灌漑水利の権利を、主従の契約を結ぶことで王から認められた管理者の印といった印章が登場するのです。こうしたことで戦国時代には大量の印が発生し、国ごとに独自の印の制度が生まれました。

3:秦の全国統一と印の制度。
先の治乱興亡を治めて中国全土を統一して強力な中央集権国家を完成させたのが秦の始皇帝です。全国統一がなると、権力の行使と権力の象徴としてさまざま制度が改革され、文字や貨幣、度量衡などに加えて印の制度も制定されました。もともと印象は身分を表す象徴といった側面が色濃くあり、これを所持する人も貴族や士大夫など身分の高い人々に限られ、王から授けられた官印のほか、多くは私印でした。
秦の官印の制度は階級によって印の材質や大きさ、印面に彫る文字などが細かく定められています。皇帝が用いる印を「璽(じ)」と称し、この璽だけが玉で作られました。これに対して臣下が使う印を「印」と呼び、諸国の王以下、金・銀・金鍍金・銅などと身分で使い分けられました。

4:漢の官職と印の制度。
漢の時代には印の制度も一層整備され、官職の上下で印の大きさや材質はもちろん、印のつまみの部分=鈕(ちゅう)にも差が現れ、鈕の穴に通して印を腰に結ぶ絹の組紐=綬(じゅ)の色にも身分による細かな定めが出来ました。漢の時代は印の制作も精緻を極め、封泥の全盛期として、古銅印の掉尾を飾る時代でした。ちなみに漢から奴に授けられた「漢委奴国王」の金印の鈕は蛇です。

5:漢時代以降の一大変革。
後漢に発明された紙が次第に普及すると、南北朝からは紙に朱で捺す時代が来て、印章は一大変革を迎えます。朱を用いる結果、朱をくっきりと効果的に見せるために、これまでの白文とは逆の朱文印が多くなり「捺印」の時代になるのです。

6:元から明へ、石の印材発見と篆刻芸術の開花。
唐代には収蔵印や堂号印が書画などの鑑賞印として盛んになり、宋・元期には民間雑用の私印や花押印が発生して、庶民が印を手にする時代になります。
従来、金・銀・銅・象牙などの印材は専門の工人でなければ彫れなかったのですが、元の時代に王元章が花乳石を発見して印を彫り、素人でも彫れる「篆刻芸術」発生の基因となりました。
次の明の時代には青田石・寿山石など石印材の発見が相次ぎ、篆刻の開山といわれる文三橋(ぶんさんきょう)をはじめとする文人が自らの印刀で印を彫ることで、篆刻芸術開花の曙を迎えました。

7:明・清の篆刻芸術。
明・清代に勃興する篆刻は漢印の復古から始まります。古印収集と古印譜の編集が盛んになり、これらを摹刻するかたわら、摹刻印譜制作が流行し、さらに篆刻家個人の印譜が刊行されました。
清代には丁敬(ていけい)を頭目とする浙派(せっぱ)が興り、丁敬以下の西泠八家と呼ばれる印人が中心となり、篆刻が文人必修の教養として重視されるほどになりました。
これ以降、鄧石如(とうせきじょ)・呉譲之(ごじょうし)・趙之謙(ちょうしけん)・徐三庚(じょさんこう)・呉昌碩(ごしょうせき)など、その後の篆刻界を代表する済々たる作家が登場し、篆刻の歴史を脈々と現代に伝えることになるのです。

参考資料:

榊莫山『印章教室』創元社、1991年、ISBN 4-422-73007-X
榊莫山『書の講座⑥文字を彫る』角川書店、1983年、0371-650606-946(0)
水野恵『印章篆刻のしおり』芸艸堂、1994年、ISBN 4-7538-0161-6
水野恵『日本篆刻物語・はんこの文化史』芸艸堂、2002年、ISBN 4-7538-0192-6
梅舒適・監修、金田石城・編著『篆刻のすすめ』日貿出版社、1979年 第4刷
梅舒適ほか 『篆刻百科』芸術新聞社、1994年、T1005466102601
中村淳・監修『篆刻入門』日本習字普及協会、1976年
淡交ムック『篆刻入門』淡交社、1994年

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