「落款」とは。「落款印」とは。

楽篆堂の篆刻を紹介してくれたNHK奈良の「ならナビ」(1月18日)、その再放送の「ぐるっと関西おひるまえ」(20日)を見たからという篆刻のご注文が落ち着いた頃、またお便りをいただいて「是非、落款を一つ、お願いしたく存じます。」 とあった。早速、電話で悦んで制作させていただくとお話しした。もちろん、この方のいう落款とは、「俳句やハガキに使用したく」とあるから、お名前の署名に添える篆刻(印)のことを指しているし、私もそのつもりでお受けした。
私の理解では、「落款とは書画などの作品に作者が自筆で署名し、さらに印をおすこと」なので、ご注文は「落款に使う篆刻(印)、落款印」のことだと思っている。この方のように、落款に使うための篆刻、印を作ることを「落款をつくる」というのは、正しいかどうか、ここで改めて考えてみたい。

広辞苑による「落款」とは。
まず、手元の広辞苑第七版(2018年)で【落款】を調べたら、「落成の款識(かんし)の意。書画に筆者が自筆で署名し、または印をおすこと。」だけでなく、さらに続けて「また、その署名や印。」とある。さらに古い第四版(1991年)を見たら、ここにも「落成の款識(かんし)の意。書画に筆者が自筆で署名し、または印をおすこと。また、その署名や印。」とあって、変わっていなかった。
つまり、「落款とは書画などの作者が、その作品に署名し押印する行為そのものを指すが、作品に書かれた署名そのものや印影そのものを言うこともある」ということだろう。
「印影を指して落款と呼ぶことはあっても、落款に用いる篆刻、印そのものを落款と呼ぶことはない」と
言ってよいと思うが、もう少し深く探ってみよう。

榊莫山氏による「落款」とは。
榊莫山氏の『印章教室』(創元社 1978年)では「落款印」の項目があり、「落款…難しい言葉だ。書や絵に、画家や書家が、その名をかいたりおしたりする署名や印のことである。署名だけのこともあり印だけのこともある。」と、広辞苑の解釈とほぼ同じ。「落款は落成・款識の意味だというが、款一字では「まこと」とか「よろこび」とかをあらわす文字であるらしい。それが款識となれば、款は平面よりくぼんだ字のことで、識は逆に平面よりでっぱった字のことをいうそうである。
のっけから、ややこしい説明になってしまったが、書や絵の世界では、この「落款」という言葉がよく出てくるので、もう少しつけ加えたい。むかし、中国で青銅の器に、さかんに文字を刻んだ時期がある。(中略) 落款の印はこれに倣ったわけでもあるまいが、印面が凹凸の印二顆をそろえて体裁をととのえるのが、かつて常識とされていた。つまり、紙におされた印影の文字の部分が、凹は白く、凸は朱という二顆をセットにしたものだ。(中略) さて、この落款印二顆を雅号や署名の下におすならわしは、江戸時代の儒学者や明治以降の書家の作品に多い。中国でも、明・清以降に多くなる。」
また「建築様式や芸術の形体の変化によって、二顆、あるいは関防(引首)印を加えた三顆セットの落款印が、いつしか一顆の印で落款を形成することも多い。」として、作品に署名せず、印ひとつを押すことも落款と呼んでよいとしているが、それに押すための篆刻、印は落款印と呼んでいる。

水野恵氏の「落款」とは。
水野恵氏の『印章篆刻のしおり』(芸艸堂 1994年)では、「そこで落款という語ですが、これも時々、書画用のハンコの事を言う語だと誤って覚えている人があります。」と、落款に用いるハンコを落款と呼ぶのは誤りだと断言しています。
続けて「落款は必ずしもハンコでなければならないものではありません。「落款」とは「落成の款識」という意味ですが、落成の款識などと言うとよけいわかりにくくなるでしょうか。「落成」とは工事の出来上がりです。工事と言えば今でこそ道路や建物の土木建築関係を思いますが、技術の未発達な時代は金属器を作るような工事も立派な工事だったので、小さな物を作り上げた時にも「落成」と言ってよいのです。「款識(かんし)」とは金属器に彫りつける文字の事で、陰文(凹文)と言って文字そのものを彫り凹めたものを「款」、陽文(凸文)と言って文字の周囲を彫り凹めて文字を凸形に残したものを「識」と言います。そこで「落成の款識」とは「金属器が出来上がった時に彫りつけた文字」ということになるのですが、その意味が拡がって「物が出来上がった時に記された文字」という事から、更に「物を仕上げた時に作者を示す証として記したもの」という意味になり、そのような習慣が書画に多い事から、書画の作者の署名、また捺印、また署名捺印の専門語のようになっています。」
さらに続く説明が、落款とハンコの関係をよく示してくれています。「しかし、陶磁器や彫塑や漆器や染織等に作者の名を記しても「落款」でよく、所謂「為書き」等の類も落成の款識に違いないわけですから、「作者が自らの責任の所在をあきらかにするために作品に明記するもの」を落款としてよいと思います。ですから「落款」がハンコであってもよいわけですが、ハンコが落款と同意でもなく、「落款」がハンコでなければならないわけでもありません。」と明快です。

広辞苑、榊氏、水野氏に共通するのは、落款とは「書画などの作品に記された署名、または印(影)、またはその両方を言う」であるし、「それに用いる篆刻、印、ハンコそれ自体を落款と呼ぶことは出来ない」というのも共通の考えです。

その他の資料で「落款」とは。
『大漢語林』(1992年、大修館書店)では、【落款】「落成款識の略。書画が完成したとき、筆者が自署する姓名や押印。」とあるから、署名や印(影)という広辞苑などと同じだ。
『日本語大辞典』(1989年初版、講談社)では、【落款】「書画に筆者自身が署名すること。また、その署名。俗に押印までふくめていう。」とあって、「署名のことだが、俗には押印も含む」というのは、他であまり見たこともなく奇異な感もあるが、総意としては同じだろう。

落款に使う篆刻、印は落款とは呼ばない。
結論をまとめれば、「落款とは書画などの作品に、作者が署名したり、更に印をおすことであり、またその署名部分や印影を落款と呼ぶこともあるが、そのための篆刻、印、ハンコを落款と呼ぶことはない、呼ぶことは間違い」だということになる。
では何と呼ぶか。落款のための篆刻、印、ハンコは「落款印」と呼ぶのが妥当だろう。その書画の作者でもない篆刻作家に「落款を頼む」と言われても不可能であって、落款用の篆刻・印=落款印を作ることならお受けできるのです。

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