篆刻「楽篆堂」と「花の会」の共同展「三遊会」(篆刻:三遊会)

1994(平成6)年、「花と、土と、石と、遊ぶ。」三遊会スタート。

篆刻「楽篆堂」と「(野の花と遊ぶ)花の会」の共同展「三遊会」は1994(平成6)年4月が第1回だった。93年に広告の企画制作会社(有)ハイエスト・ハイを大阪の茶屋町で設立して、その翌年のこと。初めて自分の会社を作ったのがこの時で47歳だから、かなりの遅咲きになるのだが、会社がいくらか軌道に乗ったからかもしれない。
会場は、奈良の県知事公舎の隣の旧世尊院:国際奈良学セミナーハウス。本格的な書院造で、近鉄奈良駅から歩ける距離だし、国立博物館は向かいという、またとない好立地。何回か会場の催しを見て、こんな場所はなかなか借りられないだろうと思っていたけれど、聞いてみれば料金は驚くほど安いし、予約もほとんど無かったから、すぐに希望の時期が借りられた。
花は田中理節の「(野の花と遊ぶ)花の会」、篆刻は楽篆堂、もう一つの「土」は、陶芸の宝寿窯の尾崎円哉さんで、それで「三遊会」と名付けた。尾崎さんは大阪の大学を出てからアメリカに行って、マーロンブランドの運転手をやったり、日本贔屓の彼の頼みで茶室を建てたりした面白い人。メキシコ人の奥さんと結婚して帰国後は、信貴山に陶芸の窯を設けて、友人のバラ園からもらった薔薇の灰釉で、キリッとモダンな作風だった。
この時、どんな篆刻を出品したのか、まったく記憶にないのだが、間違いなく「篆刻初心者」のお恥ずかしいものばかりだっただろう。
それでも、翌95(平成7)年7月に第2回の「拙守」をやっているから、まあまあの評価はあったのかもしれないが、篆刻といえば案内ハガキに印刷した篆刻の「拙守」を見ても、拙さを守るどころか、拙いものしか出来ませんという感じで、思い出しても冷汗が出る。
第3回は97(平成9)年4月の「一草一神」、第4回は98(平成10)年10月の「一草万里」と2年連続で春秋の開催。「一草一神」も「一草万里」も自然農法の福岡正信さんの影響が濃く出ているし、篆刻の作風は鋭角的な白文が多いようだ。

第5回から、尾崎さんに替わるゲストで、三遊会に。

第5回は、1年間を置いて2000(平成12)年4月は「素心」。この回から尾崎さんは陶芸活動休止になったので、篆刻の「遊刀斎:東學」さんをゲストにお招きした。東さんは大阪を代表する素晴らしいグラフィック・デザイナーだが私の篆刻を見て、瞬く間に東流の独特の篆刻を極めた人だ。

第6回、01(平成13)年11月は「花の心、字の心」(篆刻は「心」)で、花の会と楽篆堂。篆刻は心のつく漢字を中心に展開した。
第7回は03(平成15)年3月、「温もり」(篆刻は「温」)で、木彫の武田喜代子さんをお迎えした。

04(平成16)年10月の第8回「恵み」(篆刻は「恵」)と07(平成18)年6月の第9回「滴(しずく)」(篆刻は「滴」)では、ここ西狭川で竹炭を焼く小林茂(クマ)さんをお迎えし、アートの域にある様々な竹炭が大活躍してくれた。

第10回から、「三遊会」」は事実上「二遊会」に。
第10回は07(平成19)年11月、「山川草木」(篆刻も「山川草木」)からは、毎回篆刻の楽篆堂と花の会の共同展になったから、事実上は「二遊会」となる。
第11回は09(平成21)年3月、「在るがまま」で篆刻は「在」。

第12回は10(平成22)年11月、「継(つ)なぐ」(篆刻は「継」)で花の会は秋の草花の種や花穂が次の季節へ命をつなぐ姿を表現。篆刻では石だけでなくステンドグラスなどにも挑戦。紅葉した木の葉に文字を刻んだり、篆刻に彩色した「篆彩」など、新しいチャレンジをご披露できた。

第13回は12(平成24)年春、テーマは「のびやか」で篆刻は「伸」。春らしい河津桜や青竹が会場を盛り立ててくれて、篆刻教室「天の会」の作品も展示。3日間で700人が来場された。

第14回は13(平成25)年11月の「安らぎ」で篆刻は「安」。第15回は15(平成27)年春の「和気」(篆刻も)。3年に2回、春の次は1年空けて秋というペースで続けてきた旧世尊院(国際奈良学セミナーハウス)が再開発のためにこれで最後になってしまう。白壁の門をくぐって、格式高い玄関に入り、床の間のある和室から長い廊下で大きな二つの板の間に、というまたとない素晴らしい会場がもう使えなくなるのは本当に残念だった。

2016(平成28)年からは、新会場:名勝・大乗院で。
2016(平成28)年10月は第16回。会場を奈良ホテルの隣、名勝・大乗院に移して、テーマは「豊(ゆたか)」(篆刻は「豊」)。花の会は秋の草木の豊かな表情を大きな会場いっぱいに展開。篆刻は中二階を篆刻コーナーにして、二つの床の間も活用して、贅沢な構成に。3日間で1000人近くの方にご覧いただき、大盛況でした。


第17回は、いよいよ最後の三遊会。

そして第17回は18(平成30)年4月の「無心」(篆刻も「無心」)。これが21年続いた三遊会の最終回になりました。理由は、花の会のメンバーの高齢化と野山・自然の環境の変化。花の会のモットーは「自分が活ける花だけを野山からいただく」こと。見つけた花や枝を求めて、崖に登り、谷を下りということが難しくなったのです。事故の無いうちに区切りにしようという判断になりました。スタート時のメンバー・尾崎円哉さんの花器も加わって、無心に展開した花と篆刻に3日間で1200人もの方がお越しくださって、フィナーレとなりました。

それからの花の会と楽篆堂は。
その後の花の会は、いままで通り、月に2回、田中理節の程よい野のような庭と四方半里あたりで花を摘みながら、野の花で遊ぶうれしさを持続しています。
また楽篆堂は三遊会という共同展は終了しましたが、その後、奈良の「五風舎」、大阪・枚方のTSUTAYA、京都の博宝堂で個展を開催しています。次回、来年になりますが、このブログで個展のご報告を予定しています。
このブログは今年最後になります。コロナがまた増えているようですが、どうぞくれぐれもご自愛のうえ、佳い年をお迎えください。ありがとうございました。

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