2007年9月

草の、鹿対策。(篆刻:小鹿)

小鹿

馬の話のすぐ後が鹿の話になってしまうが、他意はないのでお許しいただきたい。
奈良に30年も住めば、奈良公園の鹿は、もうすっかり当たり前の光景。
車で客を奈良まで迎えに行って、突然「わっ、鹿だ!鹿だ!」と叫ばれると、
何事かと驚いてしまう。流れていた車がなぜか渋滞しはじめて、よく見れば
鹿の群れが道路を横断していることもある。それが県庁のまん前だったりする。

で、本題。奈良公園の鹿は、約1200年前に茨城県の鹿島神宮から連れて
こられたそうだが。ここに生えるイラクサという植物が、鹿に食べられるのを
防ぐために進化した、という。イラクサの葉や茎にある細いトゲには
ヒスタミンなどが含まれていて、触ると皮膚炎などを起こす。公園のイラクサは、
県南部など別の場所のそれに比べて、トゲが平均で50倍以上も多いとか。

県南部のイラクサを奈良公園に移植して鹿の食べ方を比べたら、移植したものは
すべて食べられて、公園自生のものは60%以上が残ったという。研究グループの
奈良女子大教授によれば、「鹿への防御機構が進化した」とのこと。
さて奈良の人類は、1200年間でどれほど進化したか。篆刻は、写真の革新に
励むカメラマン小鹿(おしか)総一さんの印。篆刻作者の進化は、棚に上げて・・・

月という、馬。(篆刻:月)

月

伊丹十三さんが何かの本で、床屋で眉を剃った男のキッパリしすぎる顔を
「馬から降りたばかりの鞍馬天狗」と表現して、言いえて妙と感心した覚えがある。
鞍馬天狗は、もちろんアラカンこと嵐寛十郎。その馬が白馬だったことを
知る方も多いだろう。この白馬の名は「ムーン号」。実は、そのムーン号こそ、
私が乗馬らしきものを習った馬。きっかけは、以前に書いた王選手のCMだった。

大船撮影所だったと思うが、打ったボールが水滴になって飛び散る撮影現場。
待ち時間の雑談で、「馬に興味があるなら、いつでも乗りにおいでよ」と
誘ってくださったのは高橋さん。お言葉に甘えて、早速家族で牧場まで出かけた。
そして乗せてもらったのが、ムーン号。かなりの歳だったが、おとなしく賢い。
「チッチ」などの声をよく聞き分けて、歩く、止まる、走るが自在なのだった。

手綱さばきを覚えて、次は多摩川に遠乗りをという頃、奈良に引越しになる。
高橋さんとは、タカハシレーシングのボス、高橋勝大さん。特殊馬術はもちろん、
カースタントの第一人者で、TVのタイトルで見るたびに懐かしい。急の引越しから、
30年近い。何のお礼もしなかったのに気づいて、いま冷や汗が流れている。
ホームページには、ムーン号の写真もあった。せめて篆刻は、天駆けるような「月」。

馬の、ちから。(篆刻:馬)

馬

トレーラーの横に大きく《EL RANCHO GRANDE》の文字があって、「やっぱり」と
思った。そのトレーラーの中には、興奮した元競走馬がいて、降りるのを嫌がった。
犬塚弘扮する装蹄師の老人が近づくと、馬は静かになった。大きな瞳のアップが、
この映画のベストショットだと、私は思う。映画は『風のダドゥ』。ダドゥとは、
馬の体の中から聞こえる風のうねりのような音のことで、生きることの象徴。

10年以上も前。銀婚記念にとカミサンと福岡へ行き、レンタカーのロードスターで
大分・九重町の知人を訪ねた。彼女が子どもの頃、福岡から乗馬に通った牧場が
あると聞いて立ち寄ったのが《EL RANCHO GRANDE》。飛び込みで、ただ乗馬が
好き、経験少々にも関わらず、外乗を許してくれた。馬の背から見はるかす草原は、
久しぶりに走る怖さも忘させ、ただこうして在ることのうれしさを感じさせてくれた。

映画のストーリーは、生きる意味を失った少女が、馬との交流を通して、再び
生きる希望を見出すのだが。阿蘇の大自然の中、もの言わぬ草、花、風、太陽、
そして馬の存在感が、筋書きや人間関係を些細なことと感じさせてしまうのは、
皮肉だったが。しかし、それこそがアニマルセラピーの真の力。アニマルだけでない、
アニマの大いなるパワーが、清々しい涙を流させてくれた映画だった。

懸かりながら、待つ。(篆刻:懸待)

懸待

今朝の日経を、1面からよく読んだ。参院選後、このブログでも、この総理の
言葉は信じられないと書いたが、辞任表明の言葉も意味も、軽く、空疎。しかも、
あと1週間後には新総理が決まるというのに、日本中で誰も予測できない、という
おかしさ。そんな場合、副大統領がその日のうちに代わるというアメリカの制度は、
危機管理という意味では理にかなっている。などと、思いつつ日経の最終面へ。

なんと、文化欄に柳生流の袋撓(しない)を山梨に住むロシア人が製作している、
という話。先日の柳生・正木坂道場でも、お借りした撓が二蓋笠会の方の
お手製と聞いて、「これなら自分にも造れるかも」と、ふと思ったのだったが。
国内外約300人の転会(まろばしかい)の会員の撓を一手に引き受けている、
とのことで、不愉快な気分は一転。爽やかな風にふかれた心地になった。

篆刻は、「懸待(けんたい)」で、以前の「表裏」との対の昔の習作。何かで読んで、
新陰流の言葉だけを寸借したが。受ける太刀がそのまま攻める太刀。懸かると待つ、
攻めると防ぐが表裏一体なことは、いかに鈍い私でも演武を見て分かった。
中学で武道をまた必修にする話もあるが、その前に政治家の必修にすべきでは、
と思う。まあ、H元総理の剣道は、ぜんぜん役には立たなかったけれど。

先より、後。(篆刻:後能応先)

後能応先

先週の土曜日、久しぶりに柳生の正木坂道場に行った。市民だよりで、
柳生公民館の催し「柳生を学ぶ~柳生新陰流とは」を知った。その袋竹刀を、
お世話になった武道具店・柳生堂のおじいさんがご苦労の末に復活した話は
聞いていたし、興味はあったけれど、実際に演武を見る機会がなかった。
早速、応募。講師は、柳生新陰流二蓋笠会(江戸柳生)の方々だった。

かつて剣道の道場で何度かお会いした畑峯博先生は、師範代として最後の
模範演武。時代小説作家で、自ら小転(こまろばし)中伝の多田容子氏の
分かりやすい解説には大いに助けられた。剣道形が覚えられずに苦労した
私は、数々の形の速さに目を見張るだけだったが。その形のほとんどが、
相手を斬り殺さず、理合で動きを止め、制して勝つのには、感動すら覚えた。

篆刻は、「後、よく先に応ず」。ずいぶん昔、剣道の本で見つけて彫ったが、
いまだに剣道の「後の先」や「先の先」が分かってはいない。柳生流には
大いに興味がわいた。練習させていただこうかなあ、とも思いかけるが。
いやいや、一時の興味だけで先走ってはいけない。じっくりと考えて、
その後に決めても遅くはない、と思い直す。それが、いまの私の「後能応先」。

独りを、楽しむ。(篆刻:独楽)

独楽

大学の広告研究会のOB会を10月に予定していたけれど、幹事がガンになった。
今朝、また「もうひとりも」と聞いて、少しブルーになっている。が、本題に入ろう。
私が、広告代理店Dを辞めたのは、27年前の9月9日。34歳のときだった。
金内一郎さんが亡くなった後だったので、「幾人か死に去り行きて なぜ我ここに
命さらすや」と、半紙に筆で書いて出したが、書式が違うと突き返された。

決められた用紙に「これからは、好きな人と好きなように生きていきます」と書き、
受理された。そうは書いたが、そうはいかない。やっと、自分で会社をおこしたのは、
それから13年後、47歳になっていた。それでも、本当に自分を信頼してくれる人と
好きな仕事だけが出来るようになったのは、この奈良のSOHOになってから。
当然、そんな仕事は多くない。篆刻と二足のわらじで、救われているのも事実。

Dに関連した会社から、Yさんが独立して、きょうは「船出のパーティ」なのだという。
パーティなど苦手だし、Yさんと会ったのも2回ほどなのだが、顔を出させて
もらおうと思う。52歳で、あえて荒波に漕ぎ出そうとする、その志を良としたい。
篆刻は「独楽」。注文印からお借りしたが。これからは、同志、応援が何人いても、
頼れるのは我ただ独り。独りを楽しむ、いつかそんな日が来ることを祈る。

生んで、育てる。(篆刻:愛育)

愛育

横浜から奈良に越してきて、かれこれ30年になる。住みはじめた頃は、
まあ、何と覇気のない町なのだろうと驚いたが。最近は、奈良はこのままでいい、
余計な開発などしないで、そっとそのままにしておいて欲しい、と思う。
京都のきらびやかな賑わいに触れて、奈良に帰りつくと、なおさらそう感じる。
ただし、医療体制、特に母子医療の後進性だけは、その限りではない。

橿原市の妊婦を奈良の病院が受け入れ(ることができ)ず、大阪に搬送される
途中で流産した。マスコミ報道の論調をただうのみにする訳ではないけれど。
規模も技術も高度と認定される総合周産期母子医療センター、比較的高度な
産科・小児科医療が行える地域周産期母子医療センター、そのどちらも無い県が、
秋田、山形、佐賀、長崎、宮崎、鹿児島、そして岐阜と奈良なのは、事実。

篆刻は、「愛育」。育は、母と頭を下に生まれたばかり子の姿。愛は、後ろに心を
残して立去ろうとする人の姿。愛の語源が、愛惜の意味だったことが分かるが。
愛することも育てることも、生むことから始まる。母と子の命よりも、JR奈良駅と
その周辺の立体高架工事を優先する、そんな県の姿勢に間違いはないか。
母と子の命より、平城遷都1300年祭が大切か。道より、祭りより、人の命が先。

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