2007年11月

愚かなり、マクドナルド。(篆刻:守愚)

守愚

こんなニュースで、あの赤い看板を見たくないけれど。看板のカタカナの
「マクドナルド ハンバーガー」は昔のままで、マよりハが下がっている。
アートディレクターのIさんが、「頭を揃えると、どうも読みにくい」と言いながら、
写植の「ハンバーガー」をずらした。すると、格段に読みやすい。ならばと、
藤田田社長にプレゼンして決まったもの。もう30年以上も昔のことだけれど。

最初のポスターの黄色いMの上のスローガンは「世界最大のハンバーガー・
チェーン」だった。しかし、最大級表現に厳しい時代で、事実だけれど、
入稿まで時間が無くて証明できない。急きょ代わりの案を考えろと言われて、
とっさに思ったのが、一定時間がたったハンバーガーは売らずに処分する、
という話。「味なことやるマクドナルド」のコピーは、そうして生まれたのだが。

それが、賞味期限のラベルの貼り替え、フランチャイズ契約の破棄、という
情けないニュース。しかも元社員の会社だという。篆刻は、旧作「守愚」。
「守拙」と同じく、小ざかしい世渡りを戒める言葉。藤田さんは、銀座三越の
1号店をアメリカ本社の言うことを聞かず立食にして、横紙破りのように
思われているが。私が知る限りはマニュアルを愚直に守り抜いた人だった。

何かのご縁で、NHK。(篆刻:縁)

縁(新)

三游会の会場、国際奈良学セミナーハウスは、県の施設なのだが、興福寺の
塔頭・旧世尊院を復元した書院造り。向かいが奈良公園と博物館の好立地で、
こんなに野の花と篆刻が似合う会場は、他には考えられない。10回目ともなれば
知恵もついて、会期は3日だが、搬入搬出の前後を含めて5日間借りる。
19日は、午前中に片付けをして、昼は反省、慰労を兼ねての食事会となった。

いつもは、ここでドッと疲れが出るのだが、今回はちょっと様子が違う。
翌20日、我が家でNHKのドラマの撮影があったのだ。花の会のSさんが
奈良のフィルムコミッションのボランティアをしていて、古民家の縁側を探している、
古民家は多いが、どこもアルミサッシで困った、ということで我が家になった。
NHK奈良放送局の制作で、「万葉ドラマ」とだけ聞いていたのだが・・・。

必殺シリーズに出ていた三島ゆり子さんがおばあさん役。中学生の孫と、
座敷、縁側、玄関、さらには前の坂でと、かなりのカット数。ボロ家の妙なものが
写ってはと心配したし、CMの現場の感覚がよみがえって、妙に気が張った。
篆刻は、「縁」。布の縁飾りの意味だというが、猫の爪研ぎで磨り減った
縁側の戸がとりもつNHKとのご縁。はてさて、どんな画面になるのだろうか。

痛くても、ニッコリ。(篆刻:破顔一笑)

破顔一笑

この16日から18日は、野の花と遊ぶ花の会と楽篆堂、恒例の「三游会」だった。
このブログのために彫った作品もあり、いつもより裏打ち、額装も早く終わって、
準備万端だったが。35個の額を2階に上げたり降ろしたりで、背筋が痛くなった。
それが奥歯にきて、15日の夜、痛み出したが、鎮痛薬がない。薬草の本を見て、
ハコベがいいというから噛んでみたが効かない。痛さをこらえての初日になった。

さて、今回は10回目でもあるので、はじめてアンケートをお願いしてみた。
来場者は約800人、その1割の方がアンケートに答え、こんな感想をくださった。
「心に響く言葉があって、いつも心が洗われる」、「自由自在」、「発想の深さに感動」、
「言葉と字体が面白いほど合っている」、「いつも新しいコトバに出会えてうれしい」、
「字の意味をうまく形にしていて素晴らしい」、「新しい世界を発見した」等々・・・。

N展のような聞いたこともない言葉や見たこともない文字での独りよがりではなく、
いまの時代の篆刻を、という私の方向性を良とされた、と思っていいだろうか。
テーマの「山川草木」は「悉有佛性」を加えて軸にして床の間に掛けた。会場の
様子は、ホームページをご笑覧いただくとして。篆刻は、展示の中から「破顔一笑」。
痛止めを飲みながらも、うれしくも賑やかな、破顔千笑の3日間だった。

人の過ちを、忘れる。(篆刻:忘人過)

忘人過

我が家は、古いボロ農家だが、前庭は南東向き。1年中、朝日は視界から
上がるし、月も出る。惜しむらくは、向かいの山の尾根にある高圧塔。雨に煙ると
消えるのだが、昼は線までくっきり、夜の赤いランプも邪魔。もうひとつは、
家の下の市道の向かい側が建設会社の資材置き場で、土砂や重機が置いて
あること。といって、他人様の土地、どう使おうと、それはご自由なのだから。

で、昨夜10時20分頃。テレビを見ていたら、トラックが来て、重機を動かす
音も聞こえた。外に出て暗い庭から見れば、1坪ほどの鉄板を吊り上げて
トラックに積んでいる。水道工事もしているから、どこかで水道管が破れたか、
ご苦労なことだと思いながら、家に入った。ところが、きょうの午後駐在さんが来た。
その会社から鉄板盗難の被害届けが出た、目撃していないか、と聞かれた。

そういえば、公民館の入り口で、U字溝に置いた鉄板が盗まれたのは、つい先日。
同じ頃、県道添いの鉄工所でも、U字溝の鉄板が盗られている。しかし、昨夜の
あれが泥棒だなんて、疑いもしなかった。篆刻は、「忘人過」。何かで見かけた
「記人功」と対の旧作。夜遅く大きな音を聞いたことさえ忘れようとしたのだが。
いよいよ、人を見たら泥棒と思えというご時世。さて、「記人盗」でも彫りましょうか。

変わる、山の色。(篆刻:山色清浄心)

山色清浄心

今年の紅葉は遅いけれど。それでも庭のモミジは真っ赤だし、イチョウは下から
黄色くなってきた。そこで、篆刻は「山色清浄心」。蘇東坡の詩の「山色清浄身に
あらざること無し」によるから、「心」でなく「身」なのだが。山の姿かたちは、
すべて清浄身(仏の法身)そのもの、ということ。花は自分の美しさを誇るけれど、
紅葉はただ素直に美しいから、心が清らかだという、うがった解釈まである。

ところが、いま日本の各地で紅葉時期の前から、森林が赤くなっているという。
原因は、カシノナガキクイムシ(略してカシナガ)。ナラ、シイ、カシなどの幹に
穴をあけて、その中で菌を培養して幼虫を育てる。その木は水を吸い上げられず、
いわゆる「ナラ枯れ」になる。その1本から3万匹の幼虫が生まれて、
ナラ枯れは拡大する。最近の高温、少雨が被害を加速させているのだという。

昔は、枯れそうな木はすぐ伐ったし、ある適度育ったら薪や炭にしたから、
カシナガの被害だって目立つこともなく、拡がりもしなかった。この地区でも、
炭を焼いているなんていう物好きは、自称「西狭川炭焼倶楽部」の熊さんひとり。
日本の南から北へ、山の下から上へ、仏の身体そのものの森林に虫が巣食って、
うごめき、増殖している現実。これこそ現代の地獄絵ではないかと、薄ら寒い。

諦めること、投げ出すこと。(篆刻:諦)

諦

般若心経の「羯諦(ぎゃてい)」は、玄奘三蔵があえて訳さず、原音「ガテー」を
そのまま音写したという。意味は「取り除く」だが、松原泰道老師は「渡ろうよ」、
中村元博士は「往ける者よ」と訳す。渡る、往く、その先は迷いも執着も無い彼岸。
童謡の「お手てつないで野道を行く」、それこそが大乗の心なのだという。
当て字にあえて「諦」を選んだのは、仏教では真理を意味する大事な言葉だから。

苦集滅道である四諦(したい)と八正道、という難しい話はさて置いて。
諦めるとは、明らかに究めることなのだそうだ。ヨットマン、海洋冒険家の
白石康次郎さんは、物事や状況を明らかに見究めて、その結果断念することは、
恥ずかしいことではなく、正しいと言う。必ず次につながる。そういう諦めは何回も
した。しかし、明らかに究めることもせずに、ただ投げ出すことはしなかったと。

再び仏教にもどれば。苦悩の原因は飽くなき欲望、我々の無知にあるとする。
そして自分の苦悩を、社会が悪い、あの人のせいだと「あきらめ」てしまう。
しかし、自分の欲望、無知によると「諦める」ことができれば、現状を受け入れ、
解決もできる、というのだが。篆刻は、「諦」。意味ありげな四角、丸に意味はない。
ただの成り行き、思いつき。日暮れて道は遠いが、転がる石はどこへ行くのか。

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