スポーツ

田中遊のホームページ。(篆刻:ASOBU)

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田中遊をネットで検索すると演劇の同姓同名の方がほとんどで、やっと出てくるのは
「ニュースで楽しむ掲示板・街の灯」の99年12月5日23:57の記事だけだ。「5日
午前10時5分ごろ、三重県鈴鹿市の鈴鹿サーキットで、アマチュアのオートバイレース
「鈴鹿サンデーロードレース」の競技中、奈良市の会社員田中遊さん(27)のオートバイ
が転倒、コース左の壁に衝突した。(後略)」 楽しむというのには違和感があるけれど。

遊の死後に知ったのが親としては情けないが、「ハードコアレーサー 田中遊」という
ホームページをつくり、公開していた。当時は、まだ電通でもPCを全員が持っていな
かったのではないか。誰でも簡単にホームページをつくれる時代ではなかったから、
専門の手引書でプログラムしながらだろう。全ページが黒バックで、写真がたくさんの
凝ったもの。まさにレースやバイク仲間との青春グラフィティで、いかに遊がレースを
謳歌していたかを思い知らされた。十三回忌ではバイク仲間に集まってもらったのだが、
その頃プロバイダーを変えたし、みんなの心の中に残ればいいとネット上からは消えて
しまったが。現在のネット社会をみるにつけ、丸16年も前の先駆的な行動はスゴイと
思う。カミサンに話したら「初めて遊をちゃんと誉めたね」と言われたが。ホームページは
遊びと割切り、自分の会社のアピールにと考えなかったのが、いかにもあの遊らしい。

あまりに、見苦しい。(篆刻:苦)

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多少剣道をやった者として言わせていただくが、柔道はもはや武道とは言えない。
強いて適当な言葉を探せば「見苦しい」のひと言だ。数え上げればきりがないが。

もっとも問題なのは、礼の精神が崩壊していること。お辞儀が下手なのは許すとして、
勝った時のガッツポーズは無いだろう。寝技が決まり、相手にまたがったまま両手を
挙げて吠えるなど言語道断。負けた相手に対する敬意も何もあったものではない。
勝敗の宣告後、礼をしてからの握手も意味がない。その前の礼は、何のためなのか。
畳に上がる時、降りる時、試合の場に対する礼をせず、勝者がセコンドに飛びつくなど
過去日本の選手にもあったが、反則として勝ちを取り消してもいいくらいではないか。

もうひとつは、柔道着の見苦しさ。予選では体力のない者が故意に帯をゆるく締め、
帯を直す時間に休むのが多かった。決勝に近づくにつれて、それはなくなるのだが、
力が拮抗するほどに組手争いから道着の乱れは激しくなる。延長の3分ともなれば、
あらかた胸をはだけた状態が続く。オリンピック種目の中で、着衣や道着がこれほど
ぶざまなのは柔道だけ。こんな柔道は、はたしてオリンピックにふさわしいのかどうか。

お家芸だった柔道で日本の影が薄くなって何年たつだろう。オリンピック柔道は武道
でなく、K1なみの格闘技だからと苦し紛れの言い訳で、もう参加をやめたらどうだろう。

人々は、誰のため。(篆刻:人々我為)

人々我為
ハナタレという飛びっきり強い焼酎で酔眼朦朧だった。しかも途中で寝てしまった
のだから、あれこれ文句をいうのもおこがましいが。その朦と朧のまん中でも、
あの北京五輪の開会式が常軌を逸しているという、私の感覚は間違っていない
と思うのだが。あれでは、人間が万里の長城の一塊のレンガのようではないか。
世界に発信するための画像の、たったひとつの画素にしか過ぎないではないか。

あの開会式は、ある意味で完璧、圧倒的だったから、世界の評価は総じて高かった
らしいが。あちこちでほころびも出てきた。鳥の巣に向かう巨人の足跡のような
花火が、実はCGだったとか。革命歌を歌った可愛い少女が、他の少女の歌の
口パクだったとか。それでも、音楽監督は「国家のためだ」と居直っているとか。
すべての種目が、いまいちの日本チームが、かえって人間的でノーマルに見える。

篆刻は、昔の習作「人々我為」。「我為人々」との対で、"One for All, All for One"と
意味は同じだというが。チベット、新疆ウイグル、四川省の地震の報道を見る
かぎりでは・・・すべての人々は我のため、国民は国家のため、としか思えない。
あんまり中国に文句を言うと、今ごろになって漢字や篆刻の知的所有権は
中国にあると主張しかねない。それじゃ日本も私もお手上げだから、止めておく。

ハッケ、ヨーイ。(篆刻:発気)

発気

小学生の頃、教室で好きなお相撲さんは誰か、という話になった。
校庭で相撲はとって遊んだけれど、特に好きではなかったし、別にヒイキも
いなかったから、黙って聞いていたのだが。帰って新聞を見て、勝ち星が
ほどほどにきれいに並んでいる力士を探した。次の日、またその話になって、
「ボクは、松登が好きだな」と言ったら、皆にケゲンな顔をされた。

駄菓子屋の当てもので、力士の写真が新聞紙の袋に入ってぶら下がっていた。
袋から出てきたのが松登だったが、シワだらけのガマ蛙じゃないか、と
がっかりやら、恥ずかしいやら。調べれば、昭和29~30年に関脇とあるから、
まあまあの実力だったのだろうけれど。大相撲初場所にちなんで、テレビの
なかった時代の笑い話。ついでに、篆刻は、今年の年賀状に使った「発気」。

行司の「ハッケヨーイ!」は、この「発気、良い」。畑の堂々たる山芋に感動して、
その写真と「大地の力だ。どすこい、どすこい。」のコピーを添えた。といって、
相撲が好きになった訳ではなく、最近のモンゴル相撲にも興味はないけれど、
私の相撲はそこそこ強い。ここに越してすぐ、大柳生の祭りの相撲では、刑務所の
看守などセミプロもいたが健闘よろしく小結になった。・・・まずい長芋のような蛇足。

月という、馬。(篆刻:月)

月

伊丹十三さんが何かの本で、床屋で眉を剃った男のキッパリしすぎる顔を
「馬から降りたばかりの鞍馬天狗」と表現して、言いえて妙と感心した覚えがある。
鞍馬天狗は、もちろんアラカンこと嵐寛十郎。その馬が白馬だったことを
知る方も多いだろう。この白馬の名は「ムーン号」。実は、そのムーン号こそ、
私が乗馬らしきものを習った馬。きっかけは、以前に書いた王選手のCMだった。

大船撮影所だったと思うが、打ったボールが水滴になって飛び散る撮影現場。
待ち時間の雑談で、「馬に興味があるなら、いつでも乗りにおいでよ」と
誘ってくださったのは高橋さん。お言葉に甘えて、早速家族で牧場まで出かけた。
そして乗せてもらったのが、ムーン号。かなりの歳だったが、おとなしく賢い。
「チッチ」などの声をよく聞き分けて、歩く、止まる、走るが自在なのだった。

手綱さばきを覚えて、次は多摩川に遠乗りをという頃、奈良に引越しになる。
高橋さんとは、タカハシレーシングのボス、高橋勝大さん。特殊馬術はもちろん、
カースタントの第一人者で、TVのタイトルで見るたびに懐かしい。急の引越しから、
30年近い。何のお礼もしなかったのに気づいて、いま冷や汗が流れている。
ホームページには、ムーン号の写真もあった。せめて篆刻は、天駆けるような「月」。

自分を見る、自分。(篆刻:正見)

正見

私は、将棋の金と銀の違いが覚えられない。野球のボーク、サッカーのオフサイドが
分からない。サッカー選手もほとんど知らないが、川崎フロンターレの中村憲剛選手は、
スタンドの上から自分の状況を見渡すような能力を持っている、らしい。
さて、私が小学生の4、5年の頃のこと。その土曜日は、家に早く帰っていた。
家の上の道から、同級生の声がした。「先生が、呼んでいたよ。学校に来なさいって」

担任の女の先生は言った。「先生はね、あなただけの先生じゃないのよ」
小学校の休み時間、外で遊べない日などは、みんなで先生を囲んで、
我勝ちに「センセ、ね、聞いて」というのは、よくある光景、のはずなのだが。
私の目は、潜水艦の潜望鏡が、だんだん水に入っていくような具合になった。
その日から、私の中には私を見つめる、もうひとりの私が生まれた。

と聞いて、ええ?と驚く人は多いだろうな。「お前ほど空気の読めない人はいないよ」
「よそ様のブログにちん入して、コメントのいい流れをぶち壊しているじゃないか」
で、篆刻は、旧作「正見」。50年後のいまも、もうひとりの自分が自分を、見てはいる。
しかし、正しく見ているかどうかは、別。これで、もうひとりの自分がいなかったら、
私はどうなっているのやら。うーん、反省にも言い訳にも、なっていないなあ。

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