「楽篆堂の注文篆刻」、デザインの特徴とは。

前回は楽篆堂の注文篆刻の特徴について「あえて作風をつくらない」ことをお話しましたが、今回はもう少し具体的な「篆刻の姿、形、デザイン」についての特徴です。楽篆堂に篆刻を注文する際の参考にしていただけば幸いです。

楽篆堂は、篆刻の枠(周囲)に「撃辺」を(ほとんど)しない。
以前、奈良の大乗院での花の会との共同展「三遊会」にもぐら庵の池田耕治先生がお越しくださって、この時の展示は額装した篆刻作品でしたが、「撃辺をしたらいいのに」とおっしゃいました。さすがに池田先生、楽篆堂の篆刻には「撃辺」が無いのを鋭く指摘されたのです。

この「撃辺」とは何でしょう。私が篆刻を始めた約45年前、大阪梅田の紀伊國屋書店にあった唯一の篆刻の教科書だった『わかりやすい篆刻入門』(中村淳監修、日本習字普及協会 昭和51年初版)には「印の制作」の「1:印稿を作る」、「2:字入れ」、「3:運刀」、「4:押印」の後に、「5:補刀、撃辺」の項があります。
「彫り上がった印を見ると、線の中にくずが残っています。取り除きましょう。これを《補刀》といいます。さらに線が不自然なところ、未熟なところが目に着きます。これにも手を入れましょう。」に続いて「ふちがあまりにもまっすぐになっていて、きれい過ぎることもあります。つまり、なまなましいのです。こういう場合、ふちを印刀の頭で軽くたたきます。あまり強く叩くと印材がこわれてしまうことがあります。軽く叩きます。これを《撃辺》といいます。そして古味、趣を出します。少しいびつになるように、わざと刀でふちを削る場合もあります。これも作品としての印の効果を高めるために行います。適当に行うのがいいでしょう。再び押してみましょう。完成です。」と書かれています。
篆刻の先生につかず、教室にも行かず、まったくの独学だった私も、初めはこの「撃辺」を篆刻制作の仕上げとしていました。時には強く叩きすぎて、「届いた印が欠けている」と注文された方から苦情が来たこともあります。

しかし、ある時、この撃辺によって「古味、趣」、いわゆる「雅味を出す」ことに疑問が生まれました。そもそも篆刻に「古味、趣、雅味」は必要なのか。日展作品などに見られるように、あからさま、露骨な古味の表現を見るにつけ、その違和感はふくらんでいきました。
もっと言えば、周囲の枠ばかりか、篆刻のあらゆる部分に「古味、趣、雅味」のために手を加えまくることは、
長く土に埋もれて発掘され、腐食の進んだ金属の印の風情を再現しようとする操作で、贋作作りに限りなく近いのではないかと思うようになりました。

そもそも、もっとも大事なことは発掘された印が作られた時のもともとの姿はどうだったのかです。江戸時代に田んぼの土のなかから発掘されたという金印「漢委奴国王」は、金だから腐食がないのは当然ながら欠けも傷もありません。日本の天皇の御璽も金製で、枠も文字も欠けなどない、実に謹厳にして端正なものです。

2010年、熊谷守一美術館での個展にご縁のあった書家・篆刻家の加藤晶韻先生がお越しになって、まったく腐食のないピカピカの古銅印を見せていただいたことがある。「古い銅印でも、保存さえよければ、本来こんな状態なのです。」と言われた言葉は忘れられません。
その時、加藤先生も編集に参加された『纘(さん)述堂古銅印存』をいただいた。加藤先生の師、谷村憙齊先生が蔵印をみずから印面の銹(さび)を1200番のサンドペーパーで細心の注意で擦り落とし、蘇生させた407顆が、鈕のある全体像、印影、印面で整然と並ぶが、どの印面も真剣に文字を刻まれていて、崩れや遊びなどは微塵もない。この稀有なコレクションが示すように、古銅印も金印も変わらず端正かつ謹厳であるのに、土中などから発掘された保存の悪い古銅印は腐食されて、ボロボロ、ギザギザになっているのは仕方のないことだが、なぜその無残な姿が「古味、趣、雅味」とされるようになったのでしょうか。

その答えを探すために、印の素材、印材について見てみましょう。古代中国の春秋時代にはすでに印があったといわれます。戦国時代の遺品にも古鉨(じ)印と呼ばれる官印・私印が多く発見されています。その素材は、専門の工人でなければ彫れない金・銀・銅・象牙などでした。もっとも多い銅は、銅と錫の合金で、その比率はそれぞれ異なっています。元代になって王元章が花乳石を入手して自ら印をほり、次の明代になると青田石・寿山石など石の印材の発見が相次いで、いよいよ篆刻文化が開花します。

明・清時代には漢印の復古で、古印収集、古印譜の編集が盛んになり、摹(も)刻や摹刻印譜も流行します。
明の文彭(ぶんぽう)は篆刻の開山、近代篆刻の祖とされていますが、その弟子の何震(かしん)(1535?~?)が文彭の平板な風を脱して、「破砕刀による古意の表出に努めた」といわれます。これが撃辺などによる「古味、趣、雅味」の始まりといえるでしょう。

「撃辺」はしないが、必要に応じて、朱文の枠、白文の辺を破る場合がある。
楽篆堂は「新しいのに、懐かしい」篆刻の創造を目指しているから、撃辺などで意図的に「古味、趣、雅味」を演出することは無いのだが、文字の意味を損なう場合は、あえて朱文の枠を欠いたり、白文では文字が辺を突き抜けることをする。

たとえば朱文の「電柱職人」では「柱の木」を上の「電」の横にまで伸ばして、電柱の高さや頼もしさを表現したので、木の上の枠は邪魔だから欠いて空けている。「晶」は星なので、上の枠を欠く。「景」は高い凱旋門の影だから、やはり上の枠は切った方がいい。
白文でも「雨」は天から降るのだから、文字の線は辺を突き破った方がいい。別に決まった法則があるわけでなく、そうした方が希望された文字の意味にふさわしいだろいうというほどのことなのだが、その言われてみれば当たり前のことが「楽篆堂」の楽篆堂らしさではないかと考えているのです。

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