
気の向くままに書いてきたら、何だか思い出話の流れに。それもいいかと。 でも、順を追っての回顧談じゃないから、話は行ったりきたりします。悪しからず。 で、やっぱり俺は心底広告が好きなんだと思い知って、また広告の世界に戻った。 思い知ったからこそ、いろいろあったけど今日まで広告を続けられたのは、事実。 その事実の中には小説より奇なことがある、という話をしておこう。忘れないうちに。 船場の会社のCIの仕事をしてから、中抜きでハイエスト・ハイという会社に跳ぶ。 自分の会社をはじめたのは遅くて、47歳。大丸神戸店の企業広告をメインに 何とかやっていたけれど、神戸の震災で店舗は大打撃。広告どころではない。 神戸の人も家も会社も、本当に悲惨だったけれど、こっちも経営の柱が無くなった。 そこへ、競合プレゼンの話が来た。大阪市の「ポイ捨て防止キャンペーン」。 越前屋俵太さんを、ついポイ捨てしちゃう大阪市民の代表にした案が、勝ち残った。 驚いたことに、カンヌ国際広告フェスティバルで、金賞まで獲ってしまった。 私は孫受けの企画に過ぎず、関係スタッフ皆さんの知恵と努力のおかげなのだが、 そのもともとの発注者は、私が会社を辞めるきっかけになった営業のTさんだった。 「縁」は布のふちの飾り。崖っぷちでの縁。ちゃんとお礼を言う前に亡くなったのが残念。