
広告会社を辞めて、失業保険をもらった。保険の受給期間のうちに春になって、 職業訓練校の始業とダブったので、建築科に入学できた。高卒の若者といっしょに、 カンナ研ぎから設計パースまで、1年間、割とまじめに勉強した。 3時には学校が終わるから、自動車の教習所に行って、免許もとった。 だから私は「2級建築技能士」である。といっても、大工の丁稚なみの腕だけど。 ほぼ1年半、保険のお世話になりながら、気がついた。改めて確認できた。 「やっぱり、俺は広告が好きなんだ」と。ちょうど大阪・船場の現金卸の会社から、 「ビルを建て替えるのを機に、CIをやりたい。顧問にならないか」という話が、 知人を介して舞い込んだ。こういうことが、私の人生には、何度かある。 ありがたく、週3日出勤で即契約。広告のコピーのバイトも再開した。36歳だった。 この4月、33歳の次男が、2度目の転職をした。自動車の整備工だったのだが、 広告のデザイナーに変わって5年。「やっぱり自分は、机に座ってマックを扱うより クルマを触る方が好きだ、とよく分かった」という。それが分かっただけでも、 デザインをやった意味はあったと、賛成した。こんどは、2輪の整備工になった。 「転」は、変わる、また、ころぶとも。自分で転んだなら、誰を恨むこともないのだから。