幸いの都には、よろずが具わる。(篆刻:幸都萬具)

幸都萬具
この「幸都萬具」の印の話をしておきたい。これを彫ったのは、1980年頃。
大阪・ミナミの長堀通り、銀行の隣の地下に、「SIDEBANK」という名のバーがあった。
コシノヒロコさんの店と聞いた覚えがあるが、そのマスターが仕事仲間の親戚だった。
篆刻をかじりたての悪い癖で、「この店の印を彫ろうか」なんて酔った勢いで
言ったに違いない。語呂合わせも仕事のうちだから、漢字はすぐに決まった。

デザインも、ほぼ定石通り、上の画数が多いから下に伸ばせる線をみんな流した。
初心者だから彫るのは多少時間がかかったけれど、苦労したという記憶はない。
榊莫山先生に取材したとき見ていただいたら、「おもろい、おもろい」と言っていただき、
亀井さんの目にもとまった。いま見れば稚拙極まりないが、私の篆刻歴の原点である。
実はこの「SIDEBANK」こそ、私が会社を、広告をも辞める決心をした現場だった。

大阪のホテルに1ヶ月も泊まりこんで、やっとのことで、1本のCMが完成した。
そのCMを見た営業が、「その他大勢をあんなに呼んだのに、それほど映っていない」と
陰で言っていることを聞かされた。すぐに店を出た。家に帰って辞表を書いた。
命を削ってまで広告ができるかと。その後、職業訓練校に通い、大工の勉強を始めた。
幸いの都に、何が吉か凶かは分からないが、すべて具わっている、のは本当だった。

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