
喜多村寿信さんの住所印には、往生させられた。弟さんからの依頼で「俳句を
やるので」と名前を彫らせていただいたのだが。まず、これに苦しんだ。自分では
80点をやっと超えたと思い、彫ったのだが。その礼状の住所印が素晴らしかった。
軽妙にして洒脱、しかも深淵。こんな住所印を持つ方に、あんな篆刻を送ったことを
悔いたが。「寿信」の印は、いずれ再刻させてもらおうと、自分の中で勝手な整理を
して。自分の住所印が無かったから、寿信さんの住所印を目標にあれこれ試みた。
結局は足元にも及ばず、「暮らしの手帖」まがいの書体でお茶を濁すことになった。
東京の個展に来てくださり、会社を退いたので「これは名刺代わり」といただいたのは
『刑事コロンボ』の文庫本。「翻訳:喜多村寿信」に、またまた驚かされた。CM界では
大先輩と聞いていたが、もうこれは敵わない。住所印は、ご自分で書いたものを
彫ってもらったと知って、ただ平伏するしかない。そんな寿信さんが暮れに亡くなった。
すっかり気落ちした弟さんに聞くのもはばかられるので、検索した。ちょうど私より
10歳上。レナウンの、あの名作CM「イエイエ」を手掛けている。大林宣彦の映画に
役者としても出て、演劇界でも活躍した多能の方だった。何で、そういう人が70歳
半ばでこの世界から消えてしまうのだろうか。消えてはいけない人が、消えていく。