
角川俳句叢書・日本の俳人100の『有情』は、大石悦子さんの第五句集。出版直後に
送っていただいた中扉には、タイトル下に私の遊印「有情」が鮮やかに押されていて、
何とも晴れがましい気持ちにさせていただいた。書名はこの世に生き情を解するもの、
一切の人間・鳥獣などをさすが、私も知る人への哀悼の句がある。大石さんとの縁を
結んでくれた人で吉野が好きだった森慎一さんへの「中有(ちゅうう・中陰)より二月
(ふたつき?)礼者(年賀に回る人)となりて来よ」、乗馬を愛した医師・中井黄燕さんへ
「梅が枝を鞭(しもと)にとりて逝かれしや」。古季語や難季語を詠む「紫薇」の同人に
なられた、その探究心には頭が下がるが、葩煎(はぜ)が糯米を炒った菓子だとか、
青首が鴨やアヒルであると分かるまで難渋することが多かった。素人の私でもその
精神の高さと技術の確かさには脱帽しきりだが、そのお人柄を知るだけに「椿象
(かめむし)は来るはパソコンは鈍(のろ)いは」とか「茶柱が立つたり鶯が来たり」など、
しばし立てた旗を置いてつぶやいたような句は、「口論は苦手押しくら饅頭で来い」を
思い出しながら微笑んだ。自選十二句の中の「土木通(つちあけび)奈良新聞に
包み来し」は送った人を知っているのでうれしかったが。「しろじろとかりそめを生き
栗の虫」は、栗虫に枯らされた木を伐ったから分かる。生きとし生けるものへの心眼。