「楽篆堂の篆刻」の作風とは。

前回の記事からずい分時間が経ってしましたが、今回は「楽篆堂の篆刻」の特徴についてです。
「特長」なら他よりも特に優れている点や特別の長所ですが、「特徴」なので良い点もあれば悪い点もあるけれど、楽篆堂の篆刻で特に目立つ点や際立っていることをまとめてみます。まず、特徴のひとつの「作風」についてお話します。楽篆堂に篆刻を注文する際の参考にしていただけば幸いです。

楽篆堂の篆刻には「作風」がない。あえて「作風」を定めない。

「作風」とは広辞苑によれば「作品に表れた作者の手法・特徴」とあります。分かりやすくいえば、作品を見て、これは誰誰の作品だな、と分かるような特徴を持っていることでしょう。楽篆堂には、そういう作風というべきものがありません。いや、あえてそのような「作風らしきもの」は無いようにしています。
京都の篆刻作家で、いまでは日本を代表する篆刻家でもある水野恵先生は、例えばお菓子の「たねや」の書や篆刻で、「ああ、これも水野先生の作だな」と分かる特長的なスタイル、つまり作風をお持ちです。10年以上前ですが、楽篆堂が京都・博宝堂ギャラリーで個展をした時にお越しいただき、「私には先生のような作風がないのですが」とお話ししたら、「いやいや、そんなことは無いですよ」と
言っていただいたから、まったく楽篆堂らしさが無い訳ではないのだろうけど、それは篆刻の達人だから、それぞれバラバラの拙い作品ながらも通底する何かを感じとっていただいたのであって、普通の方が楽篆堂のホームページの「新作のご紹介」を見れば「楽篆堂の篆刻は、いろんな表現があって、共通する作風らしきものは感じない」というのが共通の感想だと思います。

「作風」を決めないのは、広告のクリエイティブ出身だから。

「作風」を決めない理由は、すごくシンプルです。楽篆堂・田中快旺は、田中安夫として広告のコピーライターからスタートして、アートディレクターを兼ね、また時にはクリエイティブディレクターまでをする必要がありました。一人のクリエイターですが、広告を任される企業や商品は多岐にわたります。現実にマクドナルドの企業広告、商品広告を担当しながら、並行してP&Gの洗剤の商品広告を作りました。松下電器でも大丸神戸店でも、まったくジャンルの違う商品を複数、同時並行で企画・制作したのです。
広告の世界でも、カメラマンやCMの演出家には、それぞれ得意の分野の中で個性、作風があって、それがアピールポイントでもあり、我々企画・制作者はプロデューサーとして、その作風を充分に勘案して依頼するのですが、依頼する側の広告代理店や制作プロダクションが得意分野や作風を決めてしまうことは、自らの活動範囲を狭めることになるので、対外的にはあらゆる分野のクライアント、商品に対応します、出来ますという姿勢になるのです。
そんな経歴の延長に、篆刻という表現、デザイン、アートを行うようになったのが楽篆堂なので、広告から篆刻にジャンルが変わっても、数ある篆刻作家の中から楽篆堂を選んで、依頼してくださる方なら、書道、絵画に限らず、どんな目的、どんな好みにもお答えしたいと考えるのです。結果として、出来上がる篆刻の姿、形、デザインは良く言えば多種多彩、悪く言えば雑多でバラバラになるのです。

あえて篆刻の師を持たなかった理由。

楽篆堂の篆刻に「作風」らしきものが無い、もうひとつの理由は、あえて意識的に誰か篆刻家に弟子入りしなかったことが大きいと思います。榊莫山先生にはお褒めいただき、激励の言葉もいただいたけれど、弟子入りはしていません。篆刻を始めた頃は、中国の徐三庚の華麗さにあこがれて、印影を集めて私製の「徐三庚字典」まで作り、その書体も真似て「般若心経」も彫ったけれど、それが済んだら徐三庚への熱がすっかり冷めてしまった。
だから楽篆堂の篆刻はそこまでで留まっているのだというご意見はあるでしょう。師につくメリットを自ら放棄したのですから。しかし、私は師につくデメリットも未然に回避できたと考えて、後悔もしていません。
余談ですが、少し剣道をかじった経験で言えば、剣道でも先輩、先生によって、本当に考え方、指導法が違う。誰かを師と決めて、その方の方法、思想を迷わずなぞれば、もっと上達したのだろうけれど、運もあって、そういう先生・先輩に出会わなかったし、いろんな方の言うことに翻弄されるままで挫折したのですが。
本題に戻れば、師につくデメリットとは、意識する、しないに関わらず、師につけば、その時間が長ければ長いほど、師の考え方、方法論、主義主張に染まっていかざるを得ないのです。モノを習うときの定石である「守破離」を例にとれば、師についたらまず師の教えをひたすら守ることから初めるのですから、師の教えに染まらなければならないのです。
それをしないで、あえて師につかず、独学で篆刻をするのは当然無駄も多く、遠回りなのですが、基本的な技術は「石の彫り方」や「印泥の扱い方」など、ほんのわずかなことであって、それ以外の大部分はつくる人の感性、感覚、感受性や表現力に関わることなので、師から教えてもらわずとも独自に確立することは不可能ではないのです。
その見極めをせずに、単純に「教えてもらう」「学ぶ」ために師につけば、師の何かに染まって、そこから抜け出せなくなることの方が多い、「守」の次に「破」をさらに「離」をと思いながらも、「守」のなかでもがき続ける方が少なからずいると思います。


楽篆堂へ篆刻を依頼するには。

「新作ご紹介」をご覧いただくと、「日展に応募するので、日展らしく」という極めて古典的なご希望から「フランスの展覧会に出品するので、独創的なアルファベットで」という前衛的なご希望まで、本当に多種多彩です。楽篆堂の篆刻は、本格的な、古典的な作品のご希望にもよろこんでお応えしますが、その対極にあるような、いわゆる篆刻らしさを突き破った、まったく新しい印をというご希望にはもっと燃える篆刻作家だとご承知のうえ、ご希望、お好み、願いなどを何なりと詳しくお聞かせください。全力でお応えすることをお約束します。

ページ上部へ