守り、破り、離れる。(篆刻:守破離)

守破離
「守破離」は、しゅはりとも、しゅばりとも。武道で言われることが多いのだが、 お花でも、俳句でも、フラダンスでも、習い事は「守破離」だそうな。 まず先生の教えをただひたすらに守る。私の場合は、徐三庚先生の教えと おぼしきものをひたすらに真似たということ。それを続けるうちに、先生の教えが 窮屈になってくる。どうしても教えからはみ出る思念が、ふつふつと湧いてくる。 ある日思い切って、先生の教えを破る。いや破らざるをえない日がくる。 破ったのはいいけれど、それはただの破れかぶれ、かもしれない、とも思う。 それから、あぁ先生の言うとおりやってりゃ楽だったのに、 なんて言いながら、とぼとぼ歩いている。と、突然、ぱっと目の前が開ける。 それが、「離」ということ、らしい。これでめでたく、自分流の開眼(かな?)。 何を隠そう、私は剣道をやっていた。四段の試験を10回近く受けた。 昇段をあきらめて、考えた。そうだ、何人かの先生の教えを守ろうとして、 ただ混乱して、迷うばかりで、「守」すらできなかったんだ、と気がついた。 「えっ、篆刻の話ほっぽり出して、いきなり剣道の言い訳か」 左様。これを白状しておかないと、篆刻の話も腰がすわらない、のでござる。
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