戦わない、言葉。(篆刻:不戦)

不戦
朝、仕事場の窓を開けたら、上の道で、「クー、クー」と子猫が甘えるような声。 抜き足指し足で見にいけば、案の定、猿が3匹。少し赤くなりはじめたヤマモモを 下見にきたのか。竹林を駆け登る後ろに、BB弾を10発ほど撃ち込んだ。 直径5ミリのプラスチックだから、当たっても痛くも痒くもない。ただの気休めだが、 不労の略奪行為は許されない、というコミュニケーションの武器にはなる。 さて、この猿の甘えたような声「鳴き交わし」は、お互いが仲間であることを示す コミュニケーションで、人間の言葉の原始の姿らしい。ファティック、交話といって、 恋人同士の他愛のない会話がその典型。世のご婦人方の電話も好例で、 この用件で、なぜこれほど長話になるのかとあきれるが。伝えられる情報よりも、 おしゃべり自体が人と人の関係を深めるのだそうで。無駄話ではないらしい。 この交話をベースにした言語でグループ化に成功して、現在に至るのが ホモ・サピエンス。本来、言語は仲間同士で戦わないための道具だった。 篆刻は、旧作の「不戦」。「原爆投下はしかたない」という、防衛大臣の言葉も 聴衆やアメリカに媚を売るための交話だったのだろうが。「こんにちは」と 「無差別殺戮兵器」の違いも知らない人間に、「不戦」の意味など判りはしない。
ページ上部へ