張莉さんの『「倭」「倭人」について』。その2 (写真:「漢委奴国王」蛇紐)

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張莉(ちょうり)さんの論文『「倭」「倭人」について』の続き。金印「漢委奴国王」の「委
(ゐ)」は蛇のうごめく形から生まれた文字で、委曲、うねうねと曲がる様を意味する。
中国南方や日本の倭人は蛇の入れ墨でその生命力を最大限に表現していた。この
金印と中国の雲南省で出土した金印「?王之印」の紐(印のつまみ)が共に蛇である
ことは、中国側が両地の集団を同じイメージで認識していた証しでもある。日本の
注連(しめ)縄は蛇の交尾を模したものという説もある。(張莉さんは「漢委奴国王」の
金印の一部の偽印説には一切触れておらず、文献とともに素直に受け入れている。)

張莉さんは「邪馬壹國」の「壹(イ)」は倭(ゐ)の表音だから「邪馬倭(ヰ)國」の意とし、
「邪馬臺國」は「邪馬大倭(タイヰ)國」の意と考え、「大倭國(タイヰコク)」が発音上
「タヰコク」になるのは自然とする。その「邪馬」とは、倭人が北九州を統一する前から
の北九州の呼び名で、邪馬壹國はかつて「ヤマ」と呼ばれる地方を制圧して新たに
打ち立てた倭人の国とする。「邪馬壹國」の壹が「邪馬臺國」となったのは、言われる
ような書き誤りではなく、二つの理由がある。第一に臺は臺(台)湾のように山島という
地理的状態を語るものであり、第二に臺は最も身分の低いものを表す言葉なので、
東南大海の中にある東夷の国「倭」にあえて「臺」という卑字を使った。(続く)

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