張莉さんの『「倭」「倭人」について』。(印影:金印「漢委奴国王」)

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奈良の出野正さんは正統の篆刻をされるが、去年春の三游会で私の篆刻を見て、
「知らず知らずに固定観念が出来ていた」と思われたそうで、今回も若い篆刻作家と
来てくださり、楽しい話ができた。出野さんの奥さんは張莉(ちょうり)さん。中国の方
だが同志社大學準教授として甲骨文・金文や『説文解字』を研究されている。今年
7月発表された『「倭」「倭人」について』という論文を出野さんからいただき、読んで
その明快さに驚いた。中国人だから日本の歴史への先入観はない。古代日本を
記した中国文献を漢字学によって素直に読んだ結果を述べている。以下、張莉さん
の論文の主旨を、出典や年号を省いて出来るだけ分かりやすく書かせていただく。

「倭人」のルーツは中国・長江の中下流の南側で、越に属した従順な民族集団だが、
呉越戦争、楚の進攻での越の滅亡、秦や漢の中国統一などで中国南部や現在の
ベトナム、ラオス、ミャンマー、タイに逃れ、またある者は朝鮮へ、朝鮮からまたは
直接日本へ渡った。それが稲作や高床式建物などを伝えた倭人であり、弥生人だ。

印影は後漢の光武帝から与えられた金印「漢委奴国王」だが、通説の「漢の倭の
奴の国王」ではなく、胸に入れ墨をする匈の人を卑下して匈奴と呼ぶように「漢の
委奴の国王」であり、百余国を統合した「倭人の国王」という意味になる。(続く)

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